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インタビュー時:39歳(2021年2月)
関係:母
医療的ケアのある子:長男3歳
首都圏在住。夫と長男の3人家族。
妊娠5か月頃、エコーで胎児の脳室が通常より大きく、先天性水頭症と診断された。
出生後、自力での呼吸維持が困難なため挿管による人工呼吸を開始し、その後在宅酸素療法に移行した。
自力歩行が困難で発話がまだない等、発達はゆっくりではあるが、数字や電車に興味をもち親とコミュニケーションを図ることを楽しんでいる。
シンガポール人である夫の両親に会うため、子どもが2歳のときに海外渡航を家族で経験した。
語りの内容
市内に新しく児童発達支援ができるっていう話を聞いて、そこも(受け入れ)大丈夫ですって、そこは息子だけでいいですよっていうことでした。
最初1日だけ私も付き添いして、その翌週からはもう預けられることになったので、9時から3時まで預けました。
私自身の時間がそこで初めて持てるようになって、週に1回そっちに通って、もう一つのほうは、親子通園で週に1回は通うようになって、2箇所通うようになって。
それがしばらく続いて、去年の4月から息子は幼稚園でいう年少さんの年なので、市内の幼稚園と同じタイプの児童発達支援があって、そこに、幸運にも入れることになって。
でもちょっと週5っていうのは息子的にも、大変だろうなあと思って、そっちに今は週に3回、今までのところは辞めて今、市の児童発達支援に週3回通ってます。
――児童発達支援に行ってから、お子さんの表情だったり、できるようになったこととか、ご自身も少し、時間ができたっていうことで変わったことっていうのはありますか。
そうですね。ほんとにそれはすごくあると思っていて、週に1日だけでも、そのときはほんとに気付かないんですけど、後になって、私こんなに気張ってたんだなっていうのを自分で気付いたんです。
週に1日だけでも、息子のことは心配だけれども、自分も大事だなっていうふうに思うようになりました。
少しでも安心して預けられるところがあって家のこと、今までため続けていたことをできたりとか、少しでもほっとできる時間があったりとか、ご飯が1人で食べられるとか、そういう時間ができただけでも、すごく気持ち的にもありがたいなーとも思いました。
あとはやっぱり、私だけじゃないんだなって。
こんなふうに思うお母さんって私だけじゃないんだな、って思えるようなお母さんやお父さんと会う機会になったっていうのも、すごく大事なことだったなあとは思います。
息子自身も今まで、対大人ばかりだったんです。
病院でもそうですし、私たちもそうだし、訪看さんとかリハビリさんとかも来ていただいてるんですけど、対大人とだけの関係だった。
そこで初めて同じような、小さいお子さんたちに会うことができて、最初はすごいなんか戸惑ってたっぽい、様子を見るっていう感じだったんですけど、だんだんだんだん、やり取りとかも増えてきてますよとかっていうのを聞くと、ああ、よかったんだなっていうふうには思います。
インタビュー13
- 児童発達支援施設に子どもを預けるようになり、気を張って生活していたことに気付き、自分をいたわることも大事だと思った
- 息子が小さい頃は訪問看護やリハビリの方と話すくらい。地域の子育ての場にも入れずに、日々、緊張と孤独の中で生活していた
- 息子は実家の大きいカレンダーに興味を示したことがきっかけで数字にはまった。お散歩で速度標識の数字探しをするのも楽しい
- コロナ禍で家時間が増えたとき息子にYouTube動画を見せたらはまってしまい、電車の動画が見たいと手を打って合図する
- 夫婦2人で生活していた家に息子を迎え、赤ちゃんのいる生活に驚きもあり、病院とは異なる環境で酸素ボンベの位置なども気を遣った
- 息子が2歳のときシンガポールに1週間滞在した。航空会社、酸素ボンベの会社などにあらかじめ連絡しホテルはキッチン付きを手配した
- 子どもと酸素ボンベを背負ってバスに乗っていてもほとんど声をかけられない。その中で近所のおばあちゃんとのなにげない会話がとてもうれしい
- 性別がわかるのを楽しみに夫と一緒に行った検診でお腹の子の異常を指摘された。二人とも何の話か理解できなかった