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インタビュー時:41歳(2019年12月)
関係:母
医療的ケアのある子:長女5歳
首都圏在住。夫と娘の3人家族。
第一子となる長女が原因不明の先天性疾患をもって生まれ、生後まもなく気管切開をし、現在人工呼吸器を装着している。
2歳で胃ろうの手術をし、胃ろうから24時間持続的に栄養を注入している。
大学卒業後から会社員として働き、仕事復帰を望んでいるが、娘の預け先がなく復職は叶わずにいる。
仕事を再開できる環境が整うことを望んでいる。
語りの内容
私は、大学を出てからは、ずっと会社員として10年以上働いてきました。
出産後も早々に復帰して、家事、育児、仕事を両立させていきたいなって、モチベーションがすごく高かったんですけれど、それがかなわなくなってしまって。
それは今思えば、子どもに病気や障害があるからではなくて、ネックなのは医療的ケアがあるから子どもを保育所に預けられないとか、うちは来年から学齢期ですけれど、学校でも終日付き添いでいなければならないとか、もちろん放課後も親が一緒にいなくてはならないっていう環境になってしまったことです。
働くことが全くできなくて、人生がガラッと変わってしまったんですよね。
仕事大好きだったりしたんですけれど、今までの、出産前日までの自分の人生とほぼ決別しなきゃいけないような経験をして、で、今に至ってるっていうことがあって。
今思うのは、子どもに障害とか病気があること自体はすごく大変だったり、不便なことはあるけれど、多分それ自体が不幸なことでは本当はないのかな。
生まれたときは、子どもに病気とか障害があることが不幸で、自分がそういう母親になることが不幸なのかなと思ってたんですけど、もしかしたらそうではないなと。
障害とか病気、そういったことで、社会から差別されたり、孤立してしまう。
本人もそうですし、私のような親もそうですけれど、違う扱いを受けるとか。
今まで暮らしてたところと同じところにいるのに、自分だけ別世界のところに隔離されているような。
そういう生活というか、人生を強いられることはすごく不幸なんだなっていう結論に今は思ってます。
インタビュー03
- 夫も病院でケアの指導を受けたが、成長に応じて必要となる手技や工夫が増えて母中心で回っており分担はほとんどできていない
- 子どもに障害があることが不幸なのではなく、医療的ケアがあるために社会から特別視され、孤立することが不幸なのだと思う
- 療育センターの入所は医療的ケアを理由に断られ、居場所がないと思っていたが、越境して通える療育があることをSNSで知った
- 発話はなくともうれしい時は笑い、嫌なときは寝たふりをする。ストレスがかかると血糖値があがるという形での意思の表出もある
- バス利用には事前連絡が欠かせない。乗降時に他の乗客の視線が気になっていたが、運転手が遠慮しないでといってくれた
- 仮死状態で生まれて高度医療が必要となり、こどもだけが転院搬送となった。自分としては漠然とした状況のみなんとか把握できた
- 心の準備もなく障害児の親になんてなりたくないと思った が、この子がかわいそうな子になるかどうかは自分次第だと気づいた