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インタビュー時:46歳(2021年3月)
関係:母
医療的ケアのある子:長女15歳
首都圏在住。夫と長男、長女、次女の5人家族。
妊娠中に水頭症、出生後に二分脊椎が分かり手術した。
生後2か月頃から呼吸及び嚥下障害がみられ酸素療法・経管栄養を行った。
今春、特別支援学校中学部を卒業し、高等部に入学予定。導尿・摘便などの医療的ケアがある。
移動には車いすを使用しており、移乗や身体介助で自身と長男は椎間板ヘルニアを発症した。
今後、長女が家族と離れ自立した生活を送ることも見据え、自力でできることを増やしていきたい。
語りの内容
午前中は、きょうだいのために時間を使う。
午後は、娘のために病院に行く。
と、自分の中で分けて時間割を作っていて、お料理が好きだったので、週に2回ぐらい、午前中だけ友達に家に来てもらって、みんなで材料を持ち寄ったりして、夕飯を作っちゃうんです。
それぞれタッパーに入れて持って帰ったり、冷蔵庫にしまったりしながら夕飯を作って。
その間は友達の子どもたちと、うちの兄弟が遊んで、子どもも満足するし、私も友達とワイワイしながら楽しい時間を過ごして、午後は集中して、娘のとこに行く。
帰ってくるともう自分で作った夕飯ができてるっていう。
それがすごい自分の中でも落ち着けたっていうか。
そんなふうにしながら、病院に通ってるうちに、仲間の1人が、「もうそろそろお兄ちゃんたち3歳になるけど、幼稚園どうする?」みたいな話になって。
地域の仲間だったので、みんなそれぞれの幼稚園や保育園の情報を持ち寄って「いやいや、あなたのところは下の子が大変で病院に毎日行くんだから、幼稚園じゃなくて保育園でいいんじゃないの?」みたいな話をしてくれて。
そこから、はっと、そっかと思って、お兄ちゃんの保育園探しをしました。
市内に、1箇所だけ障害児の受け入れをしている保育園があったんです。
ここにお兄ちゃんが行けば、兄弟枠で下の子も退院したときに行けるんじゃないかと思いながら、もう絶対そこにしか入れないって気合いを入れて、担当の人を口説きに行って。
市長さんにも、お手紙を書いたりしながら、何とかそこに入って。
お兄ちゃんは朝から保育園に行き、私は家のことをし、午後から病院に行きっていう、ルーティーンに変わってった感じです。
インタビュー16
- お兄ちゃんと娘で時間を分けていたが、お兄ちゃんを保育園にいれたら生活しやすくなると思い、入園を役所に申請した
- お兄ちゃんの保育園に送迎する際、誰も頼れず、携帯で呼吸や吸引の様子をモニターしながらケアの必要な子を留守番させた
- デリケートなケアは、異性のきょうだいにはお願いしない。同性のきょうだいはいやだと言わない限り見てもらうことはある
- スクールバスで通学できても、本人や車椅子の乗せ降ろしがあり、ヘルパーにバス停までの送迎を頼むのも制度が複雑で難しい
- 普通学校にはバリアがあり過ぎ、特別支援一択だと思った。いずれ付き添いが外れれば自分も就労できるかもという期待もあった
- 入学当初は胃ろうで看護師のケアを受けられたが、経口で食べられるようになると誤嚥が心配と、給食時の親の付き添いを求められた
- 小学校の修学旅行で看護師は夜間のケアまではできないと言われ、子どもの宿泊先の近くに家族皆で宿泊して、母親がケアをした
- 雨が降ると歩いてバス停まで行くのが難しく、移動支援とは別に生活サポートという事業の契約をする
- 療育園は準備が大変なのに、保育士とも他の子とも交流もなく、行く意味があるのかと思ったが、次の人につなげたいと意地で通った
- 療育園に親の完全付き添いで週2回午前だけ通うことになった。給食の時間もいたかったが、食べられないのにかわいそうと言われた
- 娘は鉛筆よりも太い筆が向いているのではと書道教室に連れていった。初日から目をキラキラさせ、文字も頭に入るようになった
- 在宅療養が始まり、自分の自由がなくなった。失敗もあり、息抜きは訪問看護がある間のスーパーでの買い物だった
- 外出時に自動吸引器は音が気になり、手動は容量も少なかったので、夫が100均の水筒と血圧ポンプを使って吸引器を自作してお出かけした
- 娘は中1頃から反抗的な行動もある一方、洗濯物を畳んだり、家族のために自分ができることを探してくれたり成長を感じる
- 娘は導尿が必要だが、腰を固定してもらえば自分で導尿ができるよう練習している。周りに声をかけ支えてもらえるようになってほしい
- 生後2カ月でミルクにむせるようになり経鼻チューブが必要になった。子どもは一生チューブでご飯を食べるのだと知り衝撃を受けた
- 娘は導尿が必要だが、腰を固定してもらえば自分で導尿ができるよう練習している。周りに声をかけ支えてもらえるようになってほしい