※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
インタビュー時:46歳(2021年3月)
関係:母
医療的ケアのある子:長女15歳
首都圏在住。夫と長男、長女、次女の5人家族。
妊娠中に水頭症、出生後に二分脊椎が分かり手術した。
生後2か月頃から呼吸及び嚥下障害がみられ酸素療法・経管栄養を行った。
今春、特別支援学校中学部を卒業し、高等部に入学予定。導尿・摘便などの医療的ケアがある。
移動には車いすを使用しており、移乗や身体介助で自身と長男は椎間板ヘルニアを発症した。
今後、長女が家族と離れ自立した生活を送ることも見据え、自力でできることを増やしていきたい。
語りの内容
――お兄ちゃんも医療的ケアに参加するっていうこともあるんですか。
もちろんありました。
退院した当時は胃ろうからの注入物や吸引が多かったので、吸引器の使い方と、それから注入を全部ってわけじゃないですけど、私が用意をして止まってたら流してあげるとか、流れ過ぎてたら少しゆっくりになるように。
このクレンメ(鉗子[かんし])の操作とかは教えたりしてました。
――何歳ぐらいから?
もう退院のときからなので、4歳ぐらいですかね。
ただ、導尿に関してはすごくデリケートな問題なので、同性だったら教えたかもしれないですけど、異性だっていうこともあって、そこは本人のためにもお兄ちゃんのためにも、やめておこうって思って。
どこかで医療を目指しますっていうんだったら、「あ、じゃあやってみる?」って、声は掛けるかもしれないですけど、そうでもない限りそこは別のものとして考えようかなと思ってます。
ただ、下の子は女の子で今7歳なんですけど、今、導尿するときは、見てもらうこともあります。
で、「いずれ一緒にやってくれる?」っていう声の掛け方はしています。
本人が嫌だって言えば、そこはやれとは言わないですけど。
――その下の妹さんはどういうふうに今は。
基本的に超が付くほど世話焼きなので、本人にすごく嫌がられる。
自分でできる仕事まで取っちゃうぐらい世話焼きなので、やりたいっていう強い思いでいるとは思います、今は。
インタビュー16
- お兄ちゃんと娘で時間を分けていたが、お兄ちゃんを保育園にいれたら生活しやすくなると思い、入園を役所に申請した
- お兄ちゃんの保育園に送迎する際、誰も頼れず、携帯で呼吸や吸引の様子をモニターしながらケアの必要な子を留守番させた
- デリケートなケアは、異性のきょうだいにはお願いしない。同性のきょうだいはいやだと言わない限り見てもらうことはある
- スクールバスで通学できても、本人や車椅子の乗せ降ろしがあり、ヘルパーにバス停までの送迎を頼むのも制度が複雑で難しい
- 普通学校にはバリアがあり過ぎ、特別支援一択だと思った。いずれ付き添いが外れれば自分も就労できるかもという期待もあった
- 入学当初は胃ろうで看護師のケアを受けられたが、経口で食べられるようになると誤嚥が心配と、給食時の親の付き添いを求められた
- 小学校の修学旅行で看護師は夜間のケアまではできないと言われ、子どもの宿泊先の近くに家族皆で宿泊して、母親がケアをした
- 雨が降ると歩いてバス停まで行くのが難しく、移動支援とは別に生活サポートという事業の契約をする
- 療育園は準備が大変なのに、保育士とも他の子とも交流もなく、行く意味があるのかと思ったが、次の人につなげたいと意地で通った
- 療育園に親の完全付き添いで週2回午前だけ通うことになった。給食の時間もいたかったが、食べられないのにかわいそうと言われた
- 娘は鉛筆よりも太い筆が向いているのではと書道教室に連れていった。初日から目をキラキラさせ、文字も頭に入るようになった
- 在宅療養が始まり、自分の自由がなくなった。失敗もあり、息抜きは訪問看護がある間のスーパーでの買い物だった
- 外出時に自動吸引器は音が気になり、手動は容量も少なかったので、夫が100均の水筒と血圧ポンプを使って吸引器を自作してお出かけした
- 娘は中1頃から反抗的な行動もある一方、洗濯物を畳んだり、家族のために自分ができることを探してくれたり成長を感じる
- 娘は導尿が必要だが、腰を固定してもらえば自分で導尿ができるよう練習している。周りに声をかけ支えてもらえるようになってほしい
- 生後2カ月でミルクにむせるようになり経鼻チューブが必要になった。子どもは一生チューブでご飯を食べるのだと知り衝撃を受けた
- 娘は導尿が必要だが、腰を固定してもらえば自分で導尿ができるよう練習している。周りに声をかけ支えてもらえるようになってほしい