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インタビュー時:36歳(2021年7月)
関係:母(インタビュー28の妻)
医療的ケアのある子:次女10歳
四国在住。夫、長女、次女の4人家族。
次女は緊急帝王切開で生まれて直ぐ、先天性心疾患と稀少な染色体異常があるとわかり、手術のため1年ほど入院した。
退院後も体調を崩しては入院し、経管栄養、導尿、人工呼吸器などが必要になった。
元看護師だが、次女を在宅で診ることに不安も大きかった。
夫がケアを覚え看護師並みに活躍してくれることが、とても心強い。
次女は特別支援学校に入学したが、地元の小学校に看護師配置が実現し、現在長女と同じ小学校に通っている。
語りの内容
34週の定期の妊婦健診のときに、エコーしたときに、ちょっといつもよりか時間が長いなーと思ってたら、どんどん病棟のほうまで、「そっちの機械のほうがよく分かりやすいから」と言われて案内されて行きました。
そのうちに先生から、「このままだったら、おなかの中で赤ちゃんが亡くなってしまうかもしれないから、今、これから手術をして、帝王切開で出してあげたほうがいい」ってことで、ほんとに思ってもなく、急に出産となりました。
でも、私はその日もすごい軽い気持ちだったので、いつもずっとつわりがひどかったので、その日はちょうど旦那と妊婦健診行っていました。
「朝も食べてないけん、検診が終わったらうどん食べて帰ろうなー」とすごい軽い感じで思ってたのに、「食べてないんだったらちょうどいいけん、そのまま手術行こう」みたいな感じで、オペ室のほうに連れて行かれました。
そこから、私は手術室入って、帝王切開して30分ぐらいもたたんうちに、次女は出てきたんですけど、先生は一瞬見せてくれて「元気やからね」って言ったけど、明らかにやっぱり泣き声はなく。
やっぱり長女のときとは違う感じで、「元気やからねー」と、もう連れてかれたら私はそれ以来会えず。
旦那とおばあちゃんは後から来て長女と下でおるときに、NICU室に行くところの入り口で、ちょっとすれ違ったみたいで、次女にアンビューバッグで呼吸をしながら、補助しながら行ってるのを見たってことで。
――そのときは、ああ、生まれたけど、はてなっていう…。
そうですね、やっぱり元気なのかは、すごく不安でしたね。「元気だよ」って言われたけど、やっぱり泣き声ひとつなかったので、いや、違うだろうなっていう違和感はすごくありました。
急に帝王切開することになったときに、やっぱり心臓に問題があるということを言われて、いざ、帝王切開して生んだ後は、心臓のほうよりも呼吸のほうの異常がすごくあって。
今、呼吸器が必要やし、肺のほうが膨らんでないから、しばらく治療が必要かなということを言われました。
インタビュー29
- 1人自宅で娘のケアを担うことに大きな不安があったが、夫が医療的ケアを全て覚え、看護師並みの働きをしてくれて本当に心強い
- 普通学校は断られ、特別支援学校に通っていたが、姉が妹と通いたいと言ったことをきっかけに行政に働きかけ、普通学校に転校した
- 普通小学校への転校に際し、市は学校看護師を2名雇い入れたほか、訪問看護ステーションとも契約してくれた
- 看護師だったので、デイサービスに付き添うついでにそこで働いた。娘は他の職員が見てくれて娘の知らない一面も知ることがあった
- 田舎で小児の訪問看護を見つけるのは難しい。入院中に枠が埋まり、スタッフも人員不足で毎日入浴させるのは難しくなってきた
- 娘は視線入力のゲームをしている。射撃でうまく標的に当てている様子から娘の目は見えているのだという発見もあった
- 娘はお風呂やプールが好きで入るとニコニコ嬉しそうにするので、家族で温泉や川遊びを楽しむこともある
- 将来、障害のある次女も地域で自立して暮らせる在宅環境を願っているが、田舎で事業者や病院がなく、民生委員との連携もなく不安だ
- 定期検診で異常が見つかりその日に帝王切開となった。生まれてすぐ医師は元気と言って顔を見せてくれたが、泣き声もあげなかった
- 希な疾患をもつ子どもの今後の成長は医師にも見当がつかなかった。驚きと同時に、元気に生まれてきてくれたことが嬉しかった