※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。

インタビュー時:40歳(2021年10月)
関係:母
医療的ケアのある子:長男11歳
首都圏在住。夫と長男の3人家族。

妊娠25週頃切迫早産で息子は生まれた。
生後まもなく人工呼吸器や経管栄養等の医療的ケアが始まったが、具体的な病名があげられるでもなく生後10か月まで入院した。
その間東日本大震災を経験した。息子は耳が聞こえず、話すことができないため、自分で人を呼ぶ手段を身に着けてほしいと思い、タブレットで意思表示する練習を親も勉強しながらしている。
将来は医療的ケアがあっても選択肢が持てるような社会環境を望む。

語りの内容

息子が生まれたときは、2週間前から切迫早産で入院していて、その3日ぐらい前からほんとに危ない状況で、いつ、どこ(別の病院)に搬送されるか分かりませんという感じで。
その当日も、もう足が出てきてしまって、このまま搬送されますっていう状態だったのに、ほんとに出てきてしまって、あれよあれよとその病院で生まれちゃいました。

――3日前からというのは、足が出てきちゃう3日ぐらい前から、ちょっと怪しいというか、兆候が見られたっていうことですか。

そうですね。張りが結構強くなっていて、もうほんと、先生たちの間では、もういつ生まれるか分からないっていう感じで、ずっと「いつ搬送になるか分かりません」って言われてました。

――妊娠の経過っていうのは、いわゆる普通の順調っていう状態だったんですか。

そうですね。入院する直前までは普通に働いていて、来週、再来週ぐらいから旅行に行こうねっていう話をしていて、検診のときに、頸管長(けいかんちょう)が短くなってるから即入院って言われて入院しました。

――それは、妊娠何週ぐらいの?

22~23~24週です。

――ご自身の中で、どういうふうに思ったかとか覚えておられますか。

いや、突然のこと過ぎて、もうパニックになっていて、ちょっとあんまり覚えてないです、そのときの状況は。

――入院ていうか、手術みたいな状態だったんですか。

手術ではなく、えーと、ほんとは帝王切開だと思うんですけど、小さい子たちは。
(でも)出てきちゃったので、そのまま普通に産みました。

私は: です。

(アンケート結果の扱いについては個人情報の取り扱いについてをご覧ください。)

認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。

ご支援
ご協力ください

モジュール一覧