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インタビュー時の年齢:44歳(2021年6月)
関係:母 (インタビュー25の妻)
医療的ケアのある子:長男15歳
北関東在住。夫、長男、二男(1歳)と暮らしている。
長男は小学2年生のときに交通事故で寝たきりとなり、人工呼吸器の管理、痰の吸引、胃ろうからの経管栄養の医療的ケアが必要となった。
息子は現在、特別支援学校の訪問教育を受けている。
自分は息子のお世話をしながら、バリアフリーに改装した自宅で小さなカフェを始めた。
同じような境遇にある方々にとって安心して外に出かけられるきっかけとなる場所にしたいと思っている。
語りの内容
ちょうど退院して1年ぐらいたったときに会議を開きまして、診療所の主治医の先生のほうから、1年たちましたというお話がありました。
看取りということで帰ってきましたが、今はまあ安定しているし、今も継続して何かあれば看取りという部分では変わってはいないんですけれど、看取りというよりも、「この先、じゃあどうしていきましょうか」という形で。
ちょうどそうですね、1年ぐらいが節目ではあったと思うんですが。
その前も、やっぱり「あと2~3カ月」って言われてた時点での、その2~3カ月目に向けては、変わらないけれど、ほんとにいなくなっちゃうんだろうかとか、そういう思いはずーっとありながら。
何かその兆候は見られるんだろうかとか、どういうのがあったらそういう方向へ向かっていくのかっていうのは、お医者さんや看護師さんにも何度かこう、聞いたかもしれませんね。
でも特にあの、どうっていうこと、こういうふうに変化をしていくとか、例えば徐々に何かが、数値が下がっていくとか、そういったことではないというお話で。
で、そのまま、あ、2カ月たった、3カ月たった、あ、4カ月たった、で、1年たったというところで、その辺りから、先を見た生活を考えていこうっていう思いには徐々に変わってきましたね。
なので、最初は先ほどお話ししたように、どれだけ楽しい思い出をつくってあげるかというか、最期どれだけ幸せに送ってあげるかという思いのほうが強かったんだと思うんですけれど、
そこから今もどんなふうに楽しく過ごそうかは考えてはいるんですけれど、その、短期での目標ではなくて長期的なプラン。
例えば学校にも通い始めようかとか、もうほんとに最初は、学校なんか行ってる暇ないよ、楽しいことでいっぱいでいいよ、もう遊んで終わりでいいよっていう気持ちがあったんですけど。
長い目で見て、じゃあ学校生活はどうしていくか。今であれば、もう高校生になったので、あと3年で卒業、では、その学校が終わった後はどうしていくかっていうふうに、すごく先に目を向けていけるようになりましたね。
幸いにも風邪一つひかず、ほんとに熱一つ出さず、病気しないままに、「お熱が出たらどんな感じになりますか」って聞かれても、「熱が出たことがないので分からないです」って答えるくらい、あの、病状が安定をしているので。
ほんとに体のことは今のところ大きく心配をしているっていうことがなく、むしろ生活面に目を向けて暮らして数年たったという感じですね。
インタビュー24
- 息子のケアに慣れてきた頃、下の子が生まれた。まだ手のかかる時期だが、下の子がいることで家族全体で楽しい時間が増えた
- 自家用車での通学時、予定時間に到着できない事があり、ヘルパーさんをお待たせしてしまったり、自分たちが待ったりする
- 交通事故で医療的ケアが必要になり元の学校に戻るか相談した際、息子の状態や学校の負担、親の付き添いの負担も考え訪問籍にした
- 訪問教育でじっくり子どもの反応を引き出してもらえた。訪問籍でも通学籍の子との交流の機会もあり子ども同士のつながりもあった
- リフォームで玄関のバリアフリーや濡れずに出入りできる駐車場、雪の積もらないスペース確保、地震時に安全なものの配置などを考えた
- 息子をディズニーランドに連れていきたいと主治医に伝えると、車いすや行ける環境を整えてくれた。息子の昔からの友達とママ達との交流も楽しい時間だ
- 最初はスロープ付きの軽自動車を購入したが、呼吸器のチューブが外れたときに横に介助者がいないと危険なため、買い直した
- 田舎でバスの本数も少ない。将来息子が大人になったときに公共交通機関を使って自力で移動できるよう、定期的に経験させている
- 事故で身体が動かなくなった息子が退院したとき、近所のママたちがクリスマス会を企画し、子どもたちもこれまで通りに接してくれた
- 地域の避難訓練に参加し、吸引やアラーム音、荷物の量など知ってもらった。家が一番なのでできるだけ家で過ごせるよう準備している
- 呼吸器のチューブ内に結露した水が気管に流れ込み、子どもの顔色がみるみる変わり、怖い思いをした。予防や対処法を知り、対応している
- 宣告された余命をはるかに超えて子どもが落ち着いて過ごしている。少しずつ長期的なことに目を向けていけるようになった