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インタビュー時:36歳(2021年7月)
関係:母(インタビュー28の妻)
医療的ケアのある子:次女10歳
四国在住。夫、長女、次女の4人家族。
次女は緊急帝王切開で生まれて直ぐ、先天性心疾患と稀少な染色体異常があるとわかり、手術のため1年ほど入院した。
退院後も体調を崩しては入院し、経管栄養、導尿、人工呼吸器などが必要になった。
元看護師だが、次女を在宅で診ることに不安も大きかった。
夫がケアを覚え看護師並みに活躍してくれることが、とても心強い。
次女は特別支援学校に入学したが、地元の小学校に看護師配置が実現し、現在長女と同じ小学校に通っている。
語りの内容
次女が支援学校に入って学校の付き添いがなくなったときに、一度は(看護師の仕事に)復帰しました。
でも、また体調を崩して人工呼吸器になってからまた辞めた感じで、小学校入る前には放課後のデイサービスとか、ほういう児童発達系のデイサービスのほう通って、そこに次女とともに行って、私も働かしていただいてました。
――あ、そういう仕組みも、できるんですね。
なんか、「子どもを預けてる間、もったいないから働いたらば?」と言われて、「家ですることすることないんちゃうん」っていう感じで、「働くとこ探してるんやったらここで働き」っていう感じで言ってくれて。
――へえ、面白いですね。
はい。
――毎日のようにデイがあって、放課後に行く?
まだ入学前だったので、普通に朝から通えていたので、一緒に子どもと出勤してまた一緒に帰るみたいな(笑)。
――それによってお子さんと、いい意味での距離ができたりとか。
そうですね。
それまでは自分が24時間付いてるから、次女(について)の知らないこと、私が知らないことはなかったんですけど。
ま、言ったらみんな保育所に預けて、親と子が離れてて、あ、こういうことあったんだねーっていうことがあると思うんですけど、ようやくそういう自分の知らないところの時間が発見できたというか。
――その意外なわが子の側面って、例えばどんなこととか、覚えてることありますか。
私は次女が嫌いなこと分かってなかったときに、他のスタッフから「ほういうことしたらすごい怒ってたよ」とか、「ほういうことしたらすごく喜んでたよ」という新たな部分、自分の知らなかった部分の発見もたくさんありました。
――お母さんだと気を遣って出さなかった、あるいは、お母さんがスルーしてたりとか、そういうこともあったってことなんですかね。
家族以外と多分、触れることが少なかったから、そういう面で成長があったのかなという思いもあります。
周りの子たちの様子とか、環境での成長があったのかなーと。
インタビュー29
- 1人自宅で娘のケアを担うことに大きな不安があったが、夫が医療的ケアを全て覚え、看護師並みの働きをしてくれて本当に心強い
- 普通学校は断られ、特別支援学校に通っていたが、姉が妹と通いたいと言ったことをきっかけに行政に働きかけ、普通学校に転校した
- 普通小学校への転校に際し、市は学校看護師を2名雇い入れたほか、訪問看護ステーションとも契約してくれた
- 看護師だったので、デイサービスに付き添うついでにそこで働いた。娘は他の職員が見てくれて娘の知らない一面も知ることがあった
- 田舎で小児の訪問看護を見つけるのは難しい。入院中に枠が埋まり、スタッフも人員不足で毎日入浴させるのは難しくなってきた
- 娘は視線入力のゲームをしている。射撃でうまく標的に当てている様子から娘の目は見えているのだという発見もあった
- 娘はお風呂やプールが好きで入るとニコニコ嬉しそうにするので、家族で温泉や川遊びを楽しむこともある
- 将来、障害のある次女も地域で自立して暮らせる在宅環境を願っているが、田舎で事業者や病院がなく、民生委員との連携もなく不安だ
- 定期検診で異常が見つかりその日に帝王切開となった。生まれてすぐ医師は元気と言って顔を見せてくれたが、泣き声もあげなかった
- 希な疾患をもつ子どもの今後の成長は医師にも見当がつかなかった。驚きと同時に、元気に生まれてきてくれたことが嬉しかった