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インタビュー時:47歳(2022年1月)
関係:母
医療的ケアのある子:長女15歳
関西在住。夫と長女(15歳)、長男(11歳)の4人家族。
長女は生後何日経ってもミルクを飲まず経管栄養が開始され、生後7か月で胃ろうとなった。
3歳頃に染色体の一部欠損が分かり、今後できないことが多いのかと思ったが、その予測に反し娘は歩けるようになり、歌やダンスが大好きな子になった。
普通小学校入学を希望し、地域の大きな支援を受けて看護師配置が実現した。
娘の小学校入学を機に仕事をしたいと思い、現在自宅で英語塾の講師をしている。
語りの内容
日々ちょっとずつ、どんどんできるようになるとうれしくて。
幼稚園に、療育をしながら、小学校行かせようとしてるお母さん方もいっぱいいるんですよね。
そういうお母さん方に憧れるんです。私もそうなりたいな。
私、そのメリットをすごく聞くんですよね。小学校に行った時の。
うちの娘にもぜひそういう体験をさしてあげたいと思いまして、何とか地域の小学校に入れたい。
ただ、この戦争は長いよっていうふうには言われてまして、2年前から、年中さんの頃から、いろんな人に声を掛けたりとか。
担任の先生に注入してもらえませんかって言ったら、担任教諭はそういうことは一切できませんっていうことで。
じゃあ、保健室の先生お願いしますって言ったら、保健室の先生は、800人の子どもたちを見てるから、あなた一人のお子さんだけを見てるわけではないからっていうふうに言われるんですね。
保健室の先生は、保健室の先生の仕事があるんですっていうふうで、断られてるんですね。
本当にその難しさっていうのを(知って)。
看護師さんの人件費を出したらいける。看護師さんを雇うって意味でね。
でもその人件費を出すのは市じゃなくて、あなたが出すんだったらってふうなんですけど、もちろんそんなことできるはずないじゃないですかっていう。
そんなお金持ちじゃないのにっていう感じだったんですけど。
それをどう乗り越えようかなっていうところで、ほんとにいろんな人の声と理解を求めて、議長さん、議会議員の方とかにも、話し掛けに行って。
そうすると、いろいろ声掛けまくったので、少しずつの声が固まりまして、理解してあげようじゃないかとか、こういうことまだ間に合うんじゃないかとか。
基本的に小学校上がる前の、年長さんの10月ぐらいまでには大体決めとかないと、その後の、小学校の現場での、場所なり人的な確保っていうとかいう問題があるんで。
もう本当に最後のプッシュで、それでもそれでもって、どんどんやってて、2月のほんとに末ぐらいの時に、OKが出たんです。
もううれしくて。そこからランドセルを買って、入学式に間に合わせたみたいな感じですね。
ランドセルなんか背負えないんですけど、大き過ぎて。まあ、そんなんで行きました。
実際のところ学校のほうは、担任の先生以外に、その注入をしてくださる、看護師さんを付けてくださいました。
その先生のおかげで、担任の先生は療育のような感じで、学校のやつ(授業)を進めてくださって。
ちょっと、学校のことをちょっと悪く言ったような感じがするんですけど、そうではなくて、本当にすごくいい学校なんですね。
インタビュー37
- 食事中、娘の行動で注目を浴びて恥ずかしかったようで、息子が「もう一緒に食べたくない」と言った。ついにこの時が来たと思った
- 私は毎日子どものケアなのに、夫は自由に過ごし腹が立った事もある。でも娘の成長を誰より喜べるのは夫婦2人だけという気持ちだ
- 娘が成長し力が強くなり、高齢の祖父母にお願いしづらくなった。自分の親きょうだいも助けてくれたが、吸引は任せられなかった
- 普通小学校入学にあたり行政との交渉が難航した。議員らにも働きかけて、学校に看護師を派遣してもらい、無事入学できた
- 運動会の組体操で、他の子に混じった娘の姿を探した。今まで目立ちすぎていた娘を探さないといけないことがどれほど嬉しかったか
- 下の子の出産時、長女のケアについて悩んだ。障害児向けの幼稚園で先生方が胃ろうのケアの資格をとって、宿泊で受け入れてくれた
- パソコンやテレビは使い方を教えなくても自分で機能を発見して遊んでいる。音声検索機能で好きな動画や画像を出すのも楽しそうだ
- 胃ろうのルートをつけたまま抱いてルートを引っかけボタン部分が外れてしまったことが2回ある。帰省先では小児対応の病院も材料もなく焦った
- 娘は小学校高学年まで積極的な様子がなかったが、身体が成長すると急にボールつきをしたり、学習意欲があふれてきて驚いた
- 1時間かけて経鼻で与えたわずかなミルクも吐き戻してしまうため、胃食道逆流症の手術をし、退院後のことを考え胃ろうも造設した