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インタビュー時の年齢:37歳(2021年5月)
関係:母
医療的ケアのある子:長男7歳
首都圏在住。夫、長男(7歳)、長女(5歳)、義父と暮らしている。
長男は、妊娠中に異常が指摘され、染色体異常が分かった。
現在、気管切開、痰の吸引、人工呼吸器、経鼻経管栄養の医療的ケアが必要である。
特別支援学校に通っており、いたずらをして家族を困らせることが得意で、豊かな表情で気持ちを表現してくれる。
障害がわかった時から、悩みは尽きないが、子どもを大事にしてくれる周りに助けられて楽しく生活している。
語りの内容
支援学校と一口に言っても、肢体不自由児が通う学校、知的障害の子が行く学校とか、いろいろ分かれているんですね。でもそれも自分で調べなければ分からない。
教育委員会も相談の場を年1日ぐらい設けるんですけれど、各幼稚園のほうにはお知らせが行くんですね。
私は通っていなかったんで分からないんですけれど、もしかしたら、療育園なんかにも(お知らせは)行ったかもしれないですね。市報に小さく載っていただけで。
障害や病気がある子の自宅に、何かお知らせがもらえるものだと思っていたんですけど、全くなくて。
問い合わせてみて、で、もう(相談日は)終わったっていうのを聞いて。
市報に載ってましたって言われても、小さくて正直、そんなに見てる余裕はないんですね。
ものすごく、優しくないなーと感じて。
市の教育委員会とやり取りをする中で、まず、障害課とつながっていないっていうことに驚愕(きょうがく)して、そこはせめてつながってほしいです。
きっと相談の会場に来る子って、ちょっと発達が心配な子とかがとても多いと思うんですよ。
それはそれでいいと思うんですけど、医療的ケアがある子がまずその場に行く、連れて行くっていうことはものすごく難しいことなのです。
だから、こういう子がそういう場所にいるっていうことをまず知ってくださいとは訴えて、一応、教育委員会のほうで、市の障害課とはつながりますとは言ってもらったんですけど、その後はちょっと分からない状態です。
――実際に教育委員会に、談判をするような感じで、就学まで行き着いたっていうことでしょうか。
直談判というか、まず、支援学校に行きたいと思ったら、教育委員会に自分で申請をしないといけないんですね。
まず市の教育委員会に、こういう障害があるので支援学校に行きたいですっていう申請をして、それが通ったら、今度は県の教育委員会に同じような申請をして、そこで下りて初めて支援学校に通えるっていう状態です。
今、通っている支援学校は割と家から近いんですけれども、ちょっと離れた所にもう一軒あって、その2校かなって勝手に思っていたんですね。
でも、誰も教えてくれないので自分で調べてみると、実は、もう一方のほうは、知的の子だけの学校だったっていうのが分かったり。
だから公的にはそういうことは、一切教えてもらえなかったです。
インタビュー22
- 特別支援学校の就学について問い合わせたら、相談日を過ぎていた。自分で動かないと何もわからないと思い、HPや先輩ママを頼りに情報収集した
- 子どもが退院して最初の1か月は緊張で寝ることもできず、休んでいいよと言われても罪悪感を感じた
- 体が限界を迎えて動けなくなり5日ほど入院した。自分は超人じゃないし1人じゃ限界があると思い知った
- 行政から医療費の助成などを受けることができたが、申請窓口は別だった。用紙記入、医師の診断書などの準備も負担があった
- 息子は発話はないが、感情を表に出してくる。経管栄養のチューブを引き抜こうとするなど、親の注目を浴びるようないたずらをしてくる
- 息子は小学2年生になった。ここまで息子なりに成長してくれたことに感謝しかない。次の目標は10歳の誕生日を盛大に祝うことだ