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インタビュー時:47歳(2020年12月)
関係:母
医療的ケアのある子:次女10歳
首都圏在住。夫と長女、次女の4人家族。
妊娠中、胎児の脱腸が発見され、出産当日に突如胎児の心拍が下がり緊急帝王切開で出産した。
生後2週間で脱腸の手術を行った際、気管内挿管がうまくいかず脳性麻痺となり、その原因を調べて先天性染色体異常が分かった。
生後3か月、誤嚥性肺炎を起こした際、先天性疾患の特徴で喉の構造が複雑なため、気管切開を勧められ手術をし、現在も気管切開と胃瘻がある。
子どもは現在特別支援学校に通う。
語りの内容
(子育てで)すごくつらかったっていうのがないんですね。そう考えてみたら、すごい制度に守られてたんですよ。
例えば、退院してきて間もない頃は、東京都の場合は東部訪問看護、西部訪問看護(注1)っていうので、重症児のお宅に看護婦さんが1週間に1回来てくれる、東京都の制度があって、それで来てくれてたんですね。
それとは別に(市区の)訪問看護ステーション、週1回来てくれてたんで、外に出れなくても週2回は、大人の人がうちに来て、子どものケアをしてくれたんです。
だから話す相手もいたし、私的には程よい時間だった。
(時間が)少ないっちゃ言えば少なかったんだけれども、すごく制度としてはありがたいなって思ってました。
児童発達(支援サービス)のほうに関しても、年中(組)のときに新しく区でできて、週4ないしは週5通えてたので、すごく満足してたんです。
でも今、丸5年たってふたを空けてみたところで、児童発達のほうは子どもの数が増えてるので、週4とか絶対無理なんですよね。
同じところで、年長さんで週2、それ以外は週1しか通えない。
この丸5年、6年違うだけで、こんなに、受け入れる制度っていうのが違ってきてしまうんだなと思ったときに、それはほんとに、その時代時代なんだなと。
今は就学前でも親が働いてれば、医療的ケア児を預かってくれる保育園とかもありますけれども、もしかして私の子どもがちっちゃいときにそれがあったら、私はそれを選択肢として働いてたかもしれないなって。
そんとき働いてたらまた違った形の姿っていうのが、今あったのかもしれないなとかって思うと、ほんとに何て言うのかな。
制度ってほんと5年、6年ぐらい違うだけで全くやっぱり違うなって。
その時代に合ったものを、その時その時でチョイスしてやってかないと、取り残されちゃうし、自分が嫌な思いするんじゃないかなって思って。
だから発想をね、いいほうにいいほうに全部チェンジしてやっていかないといけないなって、すごく思います。
注1)東京都重症心身障害児等在宅療育支援センター東部・西部訪問看護事業部は、東京都からの委託事業として、特別区と多摩地域の訪問看護事業部を行っています。(特別区を東部訪問看護事業部、多摩地域を西部訪問看護事業部が担当)
重症心身障害児等在宅療育支援センター 東部・西部訪問看護事業部
インタビュー11
- 長女は、将来妹の面倒をみると言ってくれ優しい心がうれしい。親が年をとった将来を考えないといけない が、今は考えたくない
- 気管切開があり通学バスは乗れないと言われ、苦肉の策で電動自転車に子どもと吸引器と荷物一式を積み40分かけて通学した
- 自治体で医ケア児専用スクールバス制度ができたが、毎早朝に付添してくれる看護師を確保できず週5日中1日しか利用できない
- 学校では気管切開のカニューレが外れると親を呼び出したり、吸引器の吸引圧も変えられなかったり、臨機応変とはいえなかった
- 学校に入ってジェスチャーで自分の気持ちを伝えることを学び、情緒が安定してきた。今では一週間のスケジュールも把握している
- 様々な補助を受けるため障害者手帳が早く欲しかった。自治体によっては、発達の遅れでは手帳がすぐに交付されないケースもある
- 子どもが退院してすぐ訪問看護が週2回来てくれ助かった。今は医療的ケア児の人数が増えなかなか利用が難しいと聞いている
- 絵カードを自作したところ視覚的に一週間を理解し、マカトンで自分や家族の予定を発信するようになった
- 染色体異常の子は第二次性徴に伴い、身体やこころに新たな症状が出てくるようで、娘は側弯(そくわん)が強く出ている
- 休校中は子どもと過ごす時間が長く外出支援がありがたかった。特別支援学校の授業はYoutubeの配信が一度あったきりだった
- 生後3ヶ月で気管切開をすることになってしまい、そんな子どもの顔を見るのが辛くて面会に行けなくなってしまった