※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。

インタビュー時:49歳(2019年11月)
関係:母
医療的ケアのある子:長女16歳(逝去時)
首都圏在住。夫、長男、長女の4人家族。

長女は生後まもなく、ぐにゃりと反り返る姿勢をとるなど、2つ上の長男とは異なる様子があった。
検査しても原因はわからず、1歳頃にたん吸引、4歳頃に胃ろうと経管栄養が必要になった。
24時間続くケアで安心して眠ることができず心身ともに限界だったが、当時は子どもを見るのは母親の仕事として、ヘルパーや訪問看護の利用がなかなか認められなかった。
あきらめずに説得し、制度利用を少しずつ認めてもらうようになった。

語りの内容

手足が動かないっていうことで、1歳半ぐらいになってくると、成長が遅いとは言いながらも、通常のベビーカーにはもう乗れないサイズになってくるんですよね。

成長は確かに遅かったんですけど、もうベビーカーではだんだん難しくて。
で、大きくなってくると、子供が乗るバギーというものがあって、自費で買うと10万円を当時、超えるような高額なもので。

ただ、通常の数万円のベビーカーには、もう乗れるようなサイズではないので、ベビーカーからバギーに替えるためには、やはり手帳を取らなくちゃいけないよねっていうことを検討し始めて。

身体障害者手帳を取ると、子供用のバギーでも行政が(費用を)負担をしてくれるおかげで、私たち利用者は、一部の費用負担で済むので、一応手帳を取得することを決めて1歳半で身体障害者手帳1級(を取得)。
当時、埼玉県に住んでいたので、知的障害を示す手帳を確か就学前に取りましたね。

ただ、東京都に行くと、その手帳は「愛の手帳」となるので、「愛の手帳」というかたちになると1度という障害になります。
ですので、身体障害者手帳1級、「愛の手帳」1度という、状態としては非常に重い障害の状態の診断が下されたおかげで、まあ大変ではあったんですけど、そのおかげで、ヘルパーさんも行政のいろんな支援も受けやすくなったことも事実です。

正直、手帳を取得したときは、ものすごくショックなことだったんですけれど、でもそのおかげでいろんな支援を受けられるようになったので、すぐに受け止められるようになったと思います。

私は: です。

(アンケート結果の扱いについては個人情報の取り扱いについてをご覧ください。)

認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。

ご支援
ご協力ください

モジュール一覧