診断時:71歳
インタビュー時:73歳

1999年に診断を受け、2000年に外照射と組織内照射療法

語りの内容

――それは普通の放射線治療、外部照射治療でしたか。

そうです。普通の、3方向から、左側、中央、右側から照射しました。

――何回照射したのですか。

13回。週末を除いて毎日13回病院へ行きました。その後、体内照射療法を受けました。確か照射装置の整備の都合で1週間待たされてから、2日間入院してブラキセラピー(brachytherapy:小線源療法)を受けました。医者たちは何か他の名前で呼んだけれど、それが何か思い出せない。とにかく一般的には、体内照射療法と言われるものです。

――2日間の入院中の様子を詳しく説明してもらえますか。

ああ、病院に着くと血圧やなんかを測られて最後の食事をした。次の日は、前立腺にカニューレ(管)を挿入するために全身麻酔をするので、朝食抜きだった。ストレッチャーで手術室へと運ばれて、何もわからずまた病室に運ばれた(笑)。少し痛みがあるだけで、それから体内照射療法を受けるためにまた運ばれて、そこでほんの数秒で、放射線源の粒を前立腺に挿入されて、その後病室に戻ったんだ。

――その間中ずっと、麻酔がかかっていたのですか。

いいや。

――カニューレを挿入する時だけですか。

そう、カニューレを入れる時だけだ。それから、体内照射療法をうける部屋へと運ばれた。そこではたくさんの管がカニューレに接続されていたと思うんだ。放射線源の粒が、たくさんの管に相次いで挿入された。全体としてそんなに長くはかからなかった。たくさんの管がカニューレにつながれて、接続が確かめられた。スタッフがその場を離れて、機械装置が小さな粒を順番にカニューレに自動的に挿入されそして抜き出されてと思う。挿入された粒はすべて数を確認してあるので、体内に残されたままになる心配はいらないと言われたよ。

――治療中はどんな感じでしたか。挿入中は。

実際には、特に何も感じないよ。テレビのモニター画面で異常がないか観察されているし、もちろんなにか問題があれば、声をだせばスタッフは分かるし、その間中見ていてくれているし。でも、装置からはずしてもらって、病室にもどるまでそんなに長くはかからなった。うれしいことに、病室に戻ると何か食べたくなったよ。(笑)でも。もう一晩入院しなくてはいけなかった。退院までに、体内照射療法を、あと一回受けることになっていたからね。

――カニューレを挿入したまま、病室に戻ったのですか。

そうだ。

――違和感はなかったですか。

行動を制限されて、痛みがあって非常に不快だったけれど、翌日にははずしてもらえるとわかっていたからなんとか我慢することが出来たよ。

――静かに横になっていれば、大丈夫だったのですか。

そう。大丈夫だったよ。

――翌日、もう一度その療法を受けたのですね。

そう、次の朝に。でも、今度はすることが分かっていたからそんなに不安にはならなかったよ。痛み止めなしに、カニューレをはずしてもらうのが、少し痛かっただけですね。(笑)医者は「思い切り叫んでいいですよ」と言ったので、その通りにしたよ。(笑)

――その後は、どうされましたか。退院後は。

一週間後に検査のために診察の予約をいれた。そのたびに、生活の質などや困ったことなどについて、質問表に書き込んだ。実際にはたいした問題はなかったよ。PSA検査を受けたんだが、少し下がっていた。2~3ヶ月後もしくは2週間後からだったかな。ゆっくりとPSA値が下がっていて、外来診察の間隔が徐々に長くなってきた。最後に計ったときには0.5まで下がったんだ。

私は: です。

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