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英国人の前立腺がんの語り

精巣滌除術の術後合併症について語っている

外科の先生は私をすわらせて、いろいろな治療選択肢を教えてくれました。1つは放射線療法ですが、それがどこでできるのか知らないので駄目だと先生は言い、私も彼に同意しました。私は「それでは、どんな方法を考えているのですか」と尋ねました。

――他にはどんな方法があったのですか?

そうですね、方法としては限られていて、・・・・・

――それは精巣摘除術のことですね。

はい、実際のところ方法は3つの選択があり、1つは放射線療法、その他に2種類の手術法があり、1つは私が受けた手術で、両側の精巣切除術です。3つ目の手術の名前は思い出せませんが、それは実際もっと大規模な手術でした。

――なるほど。

そこで、医師は私に全てを説明してくれて、私が決定しました。「では、どれがいいと思いますか?」と私が尋ねたところ、「これがいいでしょう」と言われ、私も同意して、11月29日に手術を受けました。

――つまり、あなたは実際に癌だと確信していなかったけれど手術を受けた訳ですね?

そうです、私はその助言を受け入れたのです。

――主治医があなたは多分癌だと思うといったからですか?

はい、先生は私が多分癌だと考えていて、私はそれに反論できませんでしたから。

――セカンドオピニオンを求めようとは思わなかったのですか?

いいえ、先生は有名な外科医で、個人的に診察してくれていたのです。しかも何年か前にヘルニアの手術をしてもらったこともあるのです。

――よろしければ手術中にどのようなことが起こったのかご説明いただけますか?他の人たちのために、彼らも知りたいと思っているでしょうから。もちろんその人たちにはあなたが誰かはわかりませんので。

その手術は運が悪かったのだと思います。麻酔は完璧でしたし、先生は私の睾丸に手術を施しました。そしてその翌日、もう1度手術をしなければなりませんでした。というのは、手術したところがものすごく腫れていて、内部に血の塊ができていたからです。先生はご自分の口から、もう1度切開しなければならないといいました。

――おやまあ、本当は最初の手術の時に何があったのですか?

先生が何を切除したのかよくわかりませんが、先生はわたしの睾丸のどこかを切ったのです。

――先生はなぜそうしたのか説明してくれましたか?

はい、先生は切除した理由を説明してくれましたし、私に必要な性生活が終わったことも説明してくれましたが、私はもう75、76歳ですし、妻は半身不随ですのでそのことは全く問題ではありません。

――でも、切除が有益だと考えた理由についても先生は説明してくれましたか?

はい、先生は自分がしようとしたこと、何かの流れを止めようとしたと説明してくれました。先生が何を言ったか思い出せませんが、そうすることでPSA値の上昇が止まると言いました。

――よくわかりました。それであなたはどのくらいの期間入院していたのですか?

そうですね、3日間の入院の予定でしたが、先生が別の手術をしたので、私は5日間入院しました。

――結構長いですね。

そうですね。

――入院中は快適でしたか、それとも心地よくなかったですか?

いいえ、とても快適で何の問題もありませんでした。私はいつもと同じように毎日を過ごし、洗物をしたりしていました。
ですから、私にとっての主要な問題は、PSA値は高かったけれど、そもそも自分に癌はあったのかどうか確信が持てないということなんです。私は生検を2回受け、いずれも左右両側から2カ所ずつ、計4カ所の標本を採取しました。全身の骨スキャン検査を2回も受けました。私はPSAについて疑問に思っているので、それがどの程度信頼できるのかを知りたいと思っているだけです。

――これまでPSAについてどんなことを知っていたのですか、またその情報はどこで知ったのですか?

タイムズ紙に執筆している先生が書かれたもので、とてもすばらしい記事でした。

――Stuttaford先生のことですか?

そうです。その後デイリーメール紙にも、前立腺とは何か、政府は何をしようとしているのかについての記事がありましたが、それは『前立腺癌かどうかを調べる検査としては、PSAは信頼できない』と言っているようなものでした。また、癌でなくともPSA値が高くなることはあると言っています。でも、あなたならどうしますか、助言に従うでしょう? 前にも言ったように、私はちゃんと先生に尋ねたのです。「それでは、どんな方法を予定されているのですか?」と尋ねたのですから。そういうことなんです。

――それでは、あなたが今でもPSAについて確信が持てないのなら、手術を受けたことについては、今どう思っているのですか?

その時点では正しい判断だったと思います。というのは、先生方は「PSA値が380に上がっていて、しかもその速度が非常に早いので、何かまずいことが起きていますね」と言われたし、私は手術を先延ばしにしたくなかったのです。私の友人に起こったこと、彼が1年間にわたって悪化していったことを見ていたので、そのようなことが私に起こって欲しくなかったのです。彼に起こったことを見たから、私は納得したのだと思います。

英国人の前立腺がんの語り

手術はたいした試練ではなかったと述べている

ええ、私は自分が年をとっていくことを考えて(手術を)受けると言いました。私は去勢術を受けました。

――そのような決断をするのを不安に思っているかもしれない他の方々のためにお聞きしますが、去勢術は局所麻酔で行われたのですか?

ええ、実際、たいしたことはありませんよ。

――そうなのですか?

ええ。

――どんな様子なのか、他の方々にお話しいただけるとよいのですが。みんなはその点を心配しているかもしれませんから。

ええ、そうですね・・・。医師は3つくらいの方法を提示しますから、(その中のどれにするか)自分で決心しなければなりません。自分以外の人に、どうすべきかなんて話すことはできませんよ。でも私は、1ヵ月に1回くらい出かけて行ってここに注射をされたり、他の治療を受けなければならなかったら・・・と考えました。去勢術を受ける場合のことも考えました。もし私がもっと若かったら、ひょっとすると受けなかったかもしれません。でも、手術はなんでもありません。本当にたいしたことはありませんよ。

――手術は誰が行いますか? そのために病院へ行くのですか?

ええ、病院でやりました。

――病院で。

ええ。

――局所麻酔で?

ええ、手術が行われているなんて全然わかりませんよ。

――そうですか。では、長い時間はかからなかったのですね?

2~3分です。

――そんなに短時間なのですか?

ええ(笑)、そのとおりです。全く何の違いも感じませんよ、全くね。もちろん、その後は勃起したりするなんてことはありませんし、その手のことは全くなくなるわけですが・・・。

――それ以外に何か副作用がありますか?

いえ、いえ。だから、私が間違った決断をしたのかどうかは、自分でもわかりませんけど(笑)。

――その後は少なくとも毎月注射を受ける必要はありませんね。

ええ、そういうことです。手術は一度限りです。去勢術を受ければ、それで終わりです。他にどんな方法があったかはわかりません。注射は1つの方法でしたし、何か別の方法もありました。でも、それは続けなければならないものでした。ずっと受け続けなければならないものだったのです。だから私は去勢術を選びました。

――なるほど。

私はその場ですぐに決断し、それで決まりです。

――奥様の反応はいかがでしたか? 問題はありませんでしたか?

さっきも言ったように、私たちは年をとっていきます。年をとっていくから。

――つまり、問題はなかったわけですね。

ええ、私は既に70歳を超えていましたからね。問題はありませんでした。

――では、あなたにとっては容易な決断だったのですね。

ええ、とても容易でした。

――なるほど。

もし私がもっと若ければ、そのことを少しは考えなければならなかったかもしれませんが、ええ、決断は容易でした。

英国人の前立腺がんの語り

ワクチン試験の体験について語っている

ロンドンに着くと、まず説明を受けたのは、私が治験対象として適格か、医学的適性があるかどうかを診るために、いくつかのテストを受けなければならないということでした。テストは約8週間をかけて行われ、私は確実に3ヶ月間、月2回出席していました。

――そのたびに出かけて来られたのでしょうか?

そのたびに来て、私が候補者として適切かどうかを診るための様々なテストや検査をしましたよ。幸い私は候補者としての適性があったので、前立腺癌から採取して無毒化させた癌性物質の注入コースを開始しました。

――ヒトから採取したものですか?

そうです。その物質は無毒化されているとのことで、人間に注入しても全く安全だと説明を受けました。1か月に1度リンパ節サイトへの注射を4回受けることになっていました。

――あなたが注射を受けたリンパ節サイトはすでに癌にかかっていたのですか?

私の知る限りではかかっていません・・・。(注射した)リンパ節サイトはこの4か所で、2か所は腹部、1か所はそれぞれ両腕かその辺りでした。

――なぜリンパ節にその注射をするのか、説明を受けましたか?

まあ、彼らは基本的にリンパ系に注入したかったのです。なるべく早く体内に循環させて、必要なだけ抗体が作られるかどうかを知りたかったのだと思います。でも残念なことに、この数ヶ月後、私のPSAレベルは高くなり過ぎてしまい、顧問医師はその時点でこれ以上治験を続けるのは私にとって無意味だと決断したのです。

――ワクチンのことでお聞きしてよいですか? 最初に説明を受けた時それについて何か心配しましたか?

別に心配は何も。

――不安はなかった?

全くありません。それは恐らく私には電子、物理、工学といった背景があるせいで、巷で噂になっているホメオパシーや薬草療法よりも最近の技術に期待する傾向があるからでしょう。私は最新最高のものを求めています。ともかくこれが最新で最高のものになるとよいのですが。

英国人の前立腺がんの語り

ワクチン試験の体験について語っている

そこで私は聖ジョージ病院へ、ワクチン療法治験を行っている医師へ手紙を書いて、詳しい情報を求めました。この治験が始まってから2ヶ月ほどの時でした。60人の男性が新しくできた前立腺ガンワクチンを受けることになっていました。同様のワクチンがメラノーマ(黒色腫)で使われており、有効と判定されていたので、あるガンに効くのなら他のガンにも効くだろうと考え、勇気づけられました。治験に関する情報を書いた資料を手に入れ2人の娘と話し合いました。彼女らは ”もし私がこの療法を受けてみたいなら、やってみたら”と言ってくれました。これが効かないと感じたら何時でも治療をやめられるとのことでした。この治験を受けるためには満たすべき一定の基準がありました。主な条件の一つは、PSA値が30以上で上昇中であること、二つのホルモン治療薬が効かなくなっている、ということで私は後者の条件を満たしていた。唯一の問題は私のPSA値はその時30をちょうど切っており、上昇していないことでした。それで、そうなるまでは受け入れられない、と言われたのです。 私はPSA検査を毎月定期的に受け、結果的に3ヶ月後に30を超えて上昇しました。それで昨年の7月に治験を受ける資格を得て、始めたのです。
これは治験なので、受けている間に事態は変わりました。最初は4週間毎にロンドンへ行って注射を受けなければなら無いと言われました。注射は左右それぞれの腋下リンパ腺に二つと鼠蹊リンパ腺に二つに打ちましたが,大丈夫でした。そんなに悪くなかった。注射したときにちょっとずきずきしたけどすぐに収まりました。治療を始める前に皮膚に(アレルギー)反応が出るかどうかをみる試験的な注射をしましたが、反応は出なかったので、治療を進めることになりました。それで4週間毎に注射を受け、気分は良好でした。活力が増してきたように感じ、以前のような疲れ易さも感じなくなり、ワクチンは効いているなと考えました。医師にどう思うか聞いてみましたが、当たり障りのないことを言われただけでした。多分まだ試験段階なのであまり多くのことを言いたくないのだろうと思いました。彼らが言った唯一のことは、治療を受けた大半の人達が体調が良くなってきたと感じており、ガンと闘う免疫細胞をさらに作り出しているようだとの印象を受けている、ということで、励みになるニュースでした。私は非常に気分が良くなってきたので、ガンと闘う細胞をどんどん作り出している人達の一人だろうと思いました。 

――ワクチンがどうやって作り出され、何が主成分なのかを説明してもらいました?

これは他の患者の死んだガン細胞から作られたものです。似たような試験がアメリカでも行われていて、ワクチンは当の患者自身から採取された細胞から作られており、ここが違う点です。たしか,イギリスでもアメリカとまったく同じく、患者自身から採ったガンの死んだ細胞からワクチンを作って再注射するという試験も行われていると聞いています。私の知る限り目下追加の治験がおこなわれていて、聖ジョージ病で新しいものとロンドンのハマースミス病院でもう一つ、ね。これらについての詳しいことは知りません。

――この治験はどのくらい続くのですか?

私たちが最初に説明を受けたのは、12回の注射を受け終わった後は12週間毎の注射に切り替わるとのことでした。しかし私が12週間毎の注射の時期に来たときに、医師達は考えを変えたと言ったのです。私の前に治療を始めた人達の何人かが12回の注射を受けた後で12週毎の注射を始めたときに副作用を示したとかで、当初の計画を変更して12回の注射だけで打ち止めにすると決定したのです。それで私はこの7月で注射を終えたのですが,この直後に骨の痛みが再発してきたのです。注射を止めたせいなのか、または単なる偶然の一致なのか、私には分からないのですが。

英国人の前立腺がんの語り

放射線療法が奏功せず、凍結手術を受けることになって、どのように感じたかを語っている

――放射線治療の後に冷凍手術を受けることに決めたのはなぜですか?話し合ったのですか?

それしか方法がなかったからです。がんが再発し、またPSAがどんどん上昇していたものの、外部に転移はしていなかった。幸いその頃には冷凍手術ができるようになっていました。ですから、私は最初に冷凍手術を受けた2人のうちの1人です。がんが再発して使える方法がこれならば、受けるしかないでしょう。

――手術はNHSで受けたのですか? 費用は政府が支払ったのですか?

はい、そうです。でも、それ以来、患者支援団体が代わりにすべて払ってくれました。私はがんにかかってからこの患者支援団体に参加したのですが、治療基金(Heal funding)というものがあります。後でパンフレットを差し上げますが、治療基金は勿論包括的な研究をしていますが、私のことでは必要品の供給ですね。

――入院して冷凍手術を受けたときのことを初めから終わりまで話していただけますか?

はい、準備はほかの手術と同じで、手術をする箇所以外の全身の健康状態の検査がありました。翌日に前投薬を受け、手術は2時間で終わる予定だったのですが、私の場合は8時間かかりました。冷凍手術ではカテーテルを3本留置するのですが、1本はお腹に、もう1本は会陰部に留置し、最後の1本は尿道を保温するためのものです。3本目をどこに留置するかはご想像におまかせします。

――尿はお腹から排出されるのですか?

はい、お腹からです。もう1本は手術中に尿道を保温するためだけに挿入されるもので、そうしないと大きなダメージを受けてしまうのです。

――このときは全身麻酔を受けたのですか?

そうです。レポートを読んでいたので局所麻酔でもいいことは知っていましたが、8時間もの間局所麻酔では耐えられなかったでしょうから、全身麻酔でよかったと思います。

――手術に長い時間がかかった理由はご存知ですか?

いいえ。

――その後のことを詳しく聞かせていただけますか。

長い時間がかかりましたね。X先生は、泌尿器科医だけでなく同席したガン専門医やレジデントへも、手術手順のあらゆる面について説明していたようですから。

――意識が回復したときどのように感じ、それからどうなったのか詳しく聞かせてください。

意識が回復したときは、他の手術と基本的に同じでした。しくしく痛むのは当たり前ですが、一番驚いたことは患部が入院した時よりは全体的に縮んでいたことでした。今でもそうですが、刺すようなしびれがあります。でも、これは純粋に選択肢が他にあるかという問題で、私はこれをとるでしょう。重要なのは、冷凍手術はまた受けられるということです。再発したとき何度でも受けられるというのは非常に重油で、放射線手術も受けられますが、限度があります。

――何日間入院したのですか?

5、6日です。はい、入院した日を入れると6日間です。

――それは普通ですか、それとも少し長かったのですか?

予定より少し長くなりましたが、この治療法はまだ始まったばかりの段階ですから、医師はリスクを避けて、きちんと抜管してから退院させたかったのだと思います。

――排尿カテーテルのことですか?

そうです。カテーテルを入れたまま歩き回って、人に会っているときに誤って栓が開いてしまったりしたら大変ですからね。

――手術の後はすぐにベッドから下りることができたのですか?

はい。

――翌日に?

はい、でも入院中は必ず弾性ストッキングをはいていなければなりませんでした。これは近頃は絶対的な必需品です。

――退院する前に抜管できたのですか?

はい。

――その後は問題なく排尿できましたか?

そうでなければ退院させてもらえなかったでしょう。

――副作用はありましたか?

尿カテーテルが抜けてからは全くokでした。もちろんこのちくちくする感じを除いてはね。もちろん、最初のうちは血が出ましたが、それは想定されていました。

――尿に血が混じっていたのですか?

そうです。

――失禁はありませんでしたか?

ありませんでしたが、少し漏れることがあって、とりたてて言えば不便でした。

――それは今でも続いているのですか?

今は問題ありません。手術は成功だったと思います。

英国人の前立腺がんの語り

凍結手術の経過と、なぜ彼がそれを受けたかったを語っている

放射線療法はしたくなかったんです。興味がありませんでした。私の個人的見解では、放射線療法は治療するというよりははるかに破壊的だと思ったんです。私は前立腺切除を勧められました。いや、そうじゃなかった。すみません。前立腺切除をするには歳をとりすぎていたんだ。私がもし70歳より若かったら前立腺切除をすると言われたんだが、私は71歳でしたからね。私が選べるのなら前立腺切除を選んだんだがね。だけど結局、デポ投与をしてもらうことにしました。だから、ある新聞記事を読むことがなかったら、私はデポ投与を受けていたと思います。その記事の内容というのは、X町のある専門医が前立腺に対する凍結手術を始めるというものでした。
凍結手術は、体のどの部分でも華氏[零下]155度以下に凍らせてしまうもので、プローブ(探針)の置かれた部分を何であろうと凍らせて破壊するものです。探針は前立腺の癌の周辺に入れられます。すると癌細胞が凍り、体内で破壊され、消滅します。体の極めて重要な部分、つまり肛門と尿路、を保護するために温める装置が挿入されて、それらは注意深く監視されます。6時間に及ぶ手術でしたが痛みは全くなかったし、後遺症もありませんでした。手術から3日後、退院して家に帰ることができました。

――カテーテルは?

カテーテルは3週間近くつけていました。1日に8パイント(1パイント=約500cc)の水を飲まなければならなかったけれど、それは苦痛ではありませんでした。それにコーヒーと紅茶も飲んでいたくらい。カテーテルは便利なものでしたよ。外出中にトイレを探さなくていいんだもの。庭にいるときでさえもね。それから睡眠は全く問題ありませんでしたよ。他に質問は?

――凍結手術を受けるとき、手術の前夜から病院に行きましたか?

いいえ、朝食をとらずに朝の8時に病院に行きました。それから2時に手術が始まって終わったのは午後8時でした。私は暖房毛布とアルミ毛布に包まれました。ものすごく冷たかったけれど、それもほんの30分ほどだったと思います。排尿用の恥骨上カテーテルが腹部にセットされ、また膀胱を洗浄するための洗浄カテーテルが陰茎に差し込まれました。睾丸のすぐ後ろに6か所も探針が挿入されていました。それを除けば、これといって何も感じませんでした。恥骨上カテーテル以外は全て2日ほどで取り外され、私はいつ退院してもいい感じでした。カテーテルは2日ほどで陰茎から出されましたが、尿を通すための恥骨上カテーテルだけはつけたままでした。

――その尿を通すためのカテーテルは、腹部から挿入していたんですよね

はい、そうです。

――分かりました。

さっき言ったように、便利なものでしたよ。 新しいバッグに毎日付け換えればいいだけだからね。私はたくさん水分をとっていたから夜にはずっと大きなバッグをつけました。夜中にトイレに起きなくてもいいから便利でしたよ[笑い]。だから夜はぐっすり眠れました。火曜日に入院したんですが、金曜日には退院して自由に動き回ることができたし、ほとんどのことができました。専門医は「何でもできることはやってください。できると思ったことはやってみてください。」と言いました。3週間は車を運転することができなかったんですけど、それ以外ほとんど全てのことができました。庭仕事もしたし、土を掘ったりさえしました。手術自体は全く痛くなかったし不快なものでもありませんでした。
凍結手術を受けてから、少年に戻ったような感じでした。少年のように[勢いよく]小便を出せたし、トイレに通い詰める必要もない。普段は夜中に一度、夕方に飲んだものを出すために起きてトイレにいきます。通常トイレに行く間隔は、だいたい5時間から6時間でしたね。

――手術は成功だったということですか?

そうですね。専門医からは、「君はもう良くなっているけど、まだ血液検査をしなければならない。」と言われました。手術前に受けたPSAテストの結果は13だったのですが、手術後に最初に受けたPSAテストの結果は0.3に下がっていました。最後に受けたのは4か月前ですが、結果は0.9でした。6月に専門医顧問医に会いに行く前にまたテストを受けたので、PSA値がどうなっているのか結果が楽しみです。

――現在調子はどうですか?

まったく申し分ないね。できないことなんて何もないよ。50ポンドのジャガイモの袋を問題なく持ち上げられるくらいだよ。土を掘ったりもできるし、何かできないことがあるとしたらそれは歳のせいだね[笑い]。凍結手術はお勧めできますよ。

英国人の前立腺がんの語り

どのようにして凍結手術を受けることになったのか、また、それがどのような結果であったかを説明している

冷凍手術に関するインターネットの情報を読んだとき、小線源療法みたいに有益な方法だと思ったんです。前立腺を凍死させるものすごく冷たいアルゴンガスを使うんだけどね。
顧問医と様々な可能性について話し合いました。すると彼は、冷凍手術はイギリスではできないと言ったんです。だから私は、「それなら小線源療法をしよう。」と言いました。小線源療法ならリーズとロンドンでできると知っていましたから。それで彼は、小線源療法ができる医師を照会しに行きました。ところがちょうど次の日、X町のX氏が冷凍手術を始めるという新聞記事を見たんです。そこで顧問医に会いに行き、「ちょっとこれを読んでくれ」と言うと、彼はその記事を読み、コピーを取ってすぐに私を紹介してくれました。
それからこれを、私の家庭医に話すと「そう、あなたのおっしゃることは正しい。しかし、現状ではある特定の治療には支払をしなければなりませんし、ガンではこの診療措置についてはカバーされています。で、貴方の治療については既に事前支払がされているので事情がちょっと異なり、現在の治療については現金支払い(自己負担)ということになるかも知れません。しかし彼は「ちょっと私にまかせてくれますか。」と言って、それから1ヶ月後に「問題は片付きましたよ」と言ってきてくれたんです。私はラッキーでしたね。結局私は、国民医療サービス(National Health Service)を利用することができたんです。
午前10時か11時ごろ手術室へと迎いました。全身麻酔をかけられ、次に気がついた時には、私はベッドに横たわっていました。その時は午後4時で、全てがうまくいったようでした。
冷凍手術を受けた後、私の下半身は少しばかり痛めつけられて、青あざができていました。X氏(主治医)は大満足でした。私の前立腺を凍死させたくてうずうずしていたのですから。凍死した部分は身体に吸収されてしまいます。しかし、X氏が用心しなければならないのは、凍らしてしまってはならない箇所があるということでした。そこを温く保つためには、その部分にポンプで温かい食塩水を出し入れしなければなりません。ところが、私のほうはかなりひどい青あざができて、ひどく腫れていました。そこで主治医は、少しの間休憩をはさんでくれました。それから私は、ちょうど臍の上あたりから別の還流管を入れられました。1ヶ月間バッグをつけておかなければならなくて不便でした。

――それは尿のため?

そうです。尿のためです。不便でしたが、バッグをつけていた1か月の間に青あざは消え、抜糸もされて、最終的にバックも取り外されました。それ以降、排尿に関する問題は全くありませんでした。

――性的な問題はありましたか?多くの男性が心配することですからね。特に他の治療方法では勃起障害とかそういった問題はありますから。

そうですね。問題はありましたよ。ですがそういった可能性はあるし、1年もしくはそれ以上続くかもしれないと忠告されていました。いまだに問題は続いていますよ。もし私が30歳ならもっと深刻な問題だろうけど、そうじゃないから。
治療の前後において、痛みとか治療に対する副作用といったものは全くありませんでした。

英国人の前立腺がんの語り

外照射療法のあとでブラキセラピーを受けたことを語っている

――それは普通の放射線治療、外部照射治療でしたか。

そうです。普通の、3方向から、左側、中央、右側から照射しました。

――何回照射したのですか。

13回。週末を除いて毎日13回病院へ行きました。その後、体内照射療法を受けました。確か照射装置の整備の都合で1週間待たされてから、2日間入院してブラキセラピー(brachytherapy:小線源療法)を受けました。医者たちは何か他の名前で呼んだけれど、それが何か思い出せない。とにかく一般的には、体内照射療法と言われるものです。

――2日間の入院中の様子を詳しく説明してもらえますか。

ああ、病院に着くと血圧やなんかを測られて最後の食事をした。次の日は、前立腺にカニューレ(管)を挿入するために全身麻酔をするので、朝食抜きだった。ストレッチャーで手術室へと運ばれて、何もわからずまた病室に運ばれた(笑)。少し痛みがあるだけで、それから体内照射療法を受けるためにまた運ばれて、そこでほんの数秒で、放射線源の粒を前立腺に挿入されて、その後病室に戻ったんだ。

――その間中ずっと、麻酔がかかっていたのですか。

いいや。

――カニューレを挿入する時だけですか。

そう、カニューレを入れる時だけだ。それから、体内照射療法をうける部屋へと運ばれた。そこではたくさんの管がカニューレに接続されていたと思うんだ。放射線源の粒が、たくさんの管に相次いで挿入された。全体としてそんなに長くはかからなかった。たくさんの管がカニューレにつながれて、接続が確かめられた。スタッフがその場を離れて、機械装置が小さな粒を順番にカニューレに自動的に挿入されそして抜き出されてと思う。挿入された粒はすべて数を確認してあるので、体内に残されたままになる心配はいらないと言われたよ。

――治療中はどんな感じでしたか。挿入中は。

実際には、特に何も感じないよ。テレビのモニター画面で異常がないか観察されているし、もちろんなにか問題があれば、声をだせばスタッフは分かるし、その間中見ていてくれているし。でも、装置からはずしてもらって、病室にもどるまでそんなに長くはかからなった。うれしいことに、病室に戻ると何か食べたくなったよ。(笑)でも。もう一晩入院しなくてはいけなかった。退院までに、体内照射療法を、あと一回受けることになっていたからね。

――カニューレを挿入したまま、病室に戻ったのですか。

そうだ。

――違和感はなかったですか。

行動を制限されて、痛みがあって非常に不快だったけれど、翌日にははずしてもらえるとわかっていたからなんとか我慢することが出来たよ。

――静かに横になっていれば、大丈夫だったのですか。

そう。大丈夫だったよ。

――翌日、もう一度その療法を受けたのですね。

そう、次の朝に。でも、今度はすることが分かっていたからそんなに不安にはならなかったよ。痛み止めなしに、カニューレをはずしてもらうのが、少し痛かっただけですね。(笑)医者は「思い切り叫んでいいですよ」と言ったので、その通りにしたよ。(笑)

――その後は、どうされましたか。退院後は。

一週間後に検査のために診察の予約をいれた。そのたびに、生活の質などや困ったことなどについて、質問表に書き込んだ。実際にはたいした問題はなかったよ。PSA検査を受けたんだが、少し下がっていた。2~3ヶ月後もしくは2週間後からだったかな。ゆっくりとPSA値が下がっていて、外来診察の間隔が徐々に長くなってきた。最後に計ったときには0.5まで下がったんだ。

英国人の前立腺がんの語り

アメリカで受けたブラキセラピーと原体照射療法を組み合わせた治療について述べている

ジョージア州の放射線治療クリニックのやり方をお話しましょう。密封小線源療法 brachytherapyでシードと呼ばれる放射線源を前立腺に埋め込んでから6~7週間の外部原体照射療法(external conformal beam radiation)を追加するものです。

――実際、どのようにしてシードは前立腺に埋め込まれるのですか。

泌尿器科専門医が後方から前立腺に注射針を挿入して、腫瘍専門医がシードを針に沿って挿入し、針を抜くとシードは前立腺に残されます。とても難しい仕事ですよ。シードを正確な位置に配置するのがとても大事で、一箇所にかたまってしまって等分に配置されないとコールド・スポット(冷点)つまり十分照射されない部分が前立腺にできてしまうからね。とにかく、シードの配置が最重要で、正確に配置されなければいけません。100個のシードを挿入されました。

――原体照射療法を受けて、何か副作用はありましたか。

治療が半分くらい終わった頃に、疲労感はありましたが、それは20パーセントの患者が経験するようです。でも、とても軽いもので、たいしたことはありません。そういえば、少しお腹がごろごろする感じがありましたが、それだけでたいしたものではありませんでした。

――そのシードはどれくらいの間、放射線を出し続けるのですか。

シードの半減期は60日で、つまり60日ごとに半分の強さになっていきます。つまり、1年も経てば、シードの放射線はなくなってしまうと言えると思いますよ。

――それで、その後どうなりましたか。

その治療を受けたあとに、外来診察を受けました。3ヵ月後にPSA検査をして、その後さらに3ヵ月後に検査を受けて、その後は6ヵ月ごとだった。生検の直前には4.4だったが、それから2回PSA検査を受けた。11月に受けた最初の検査では、1.0に下がっていた。次の検査では、0.26にまで下がりましたよ。(笑)

英国人の前立腺がんの語り

自分が受けた治療法とそれに関わった医療専門家からの助言について語っている

患者情報フォルダを渡されました。その中には、前立腺小線源療法の専門的論評のコピーも含まれていました。これには「前立腺小線源療法は局所的な前立腺ガンにたいしては少なくとも手術もしくは放射線外部照射と同様の効果がある。」と結論されていました。実際の小線源療法では1日入院しなければならないのですが、私の場合は2日入院しました。手術後の回復にさらに1日必要だったんです。
手術中、直腸に超音波端子を挿入するので、前夜に下剤処置をもう一度行わなければなりません。それ以外は、通常の全身麻酔が行われて、後は術後の回復のことを知るだけです。私の場合酸素吸入器を使ったのですが、心地のいいものではありませんでした。手術後、通常の尿流量への回復を促すために、大量の水を飲まされます。病院のパンフレットには、この処置と通常施術直後に現れる後遺症が書かれてありました。私の家庭医への手術報告書には、小線源から出る放射線は2から3週間かけて蓄積していくから、排尿障害、頻尿、尿意ひっ迫、排尿困難、夜間頻尿を伴った尿道炎を引き起こす可能性がある、と書かれてありました。排尿障害は通常10日から14日で治まりますが、排尿困難や尿意ひっ迫、夜間頻尿は3か月から4か月継続する可能性もあります。

――だけどそういった症状は、徐々に治まっていくんですよね。

そうです。前に言ったように放射線が蓄積していくのですが、1年後にはシードは効力を減らし始めます。そんな訳で、シードはそこに残りますが、無害です。周囲の人にも危険はありませんが、手術後1か月経つまでは小さな子供達を抱き上げないほうがいいと言われました。

――先程おっしゃられたかもしれませんが、手術が終わってから少しの間、カテーテルを入れられていましたか?

ええ。手術の一環として数時間の間カテーテルを入れられました。通常次の日には、はずされます。カテーテルを外すときが、一番痛かったです。もちろん一瞬のことですが。