投稿者「dipex-j」のアーカイブ

英国人の前立腺がんの語り

手術の体験を語っている

手術自体について話をすれば…、私は腹部側より根治的前立腺切除術を受けました。間違った用語かもしれませんが、パレニアル(perennial)だったかな、パレニアルしか思いつかない・・・いや、違うな、これは間違っている。

――ペリニーアム(perineum:会陰)ですね

そうペリニーアム(会陰)です、訂正をありがとう.会陰経由の手術については受けていないので何も言えません。前に言ったように、手術は私の手術は下腹部側からでした。そして、術後の大事な時期を2日間集中治療室で過ごし、入院期間は6~7日間程度になるだろうとはっきり言われました。
私の麻酔科医は、全く素晴らしかった。術後に痛みは感じないだろうと保証してくれて、正にその通りでした.私が麻酔から覚醒するや否や、硬膜外持続注射を処置してくれて、正直全く痛みを感じることはありませんでした.確かに、手背や手首に点滴用や輸血用のカテーテルが取り付けられているので、多少なりとも不快に感じる点はありましたが.これらは痛みというよりは厄介ごとですね.腹部を縦に大きく切った開腹手術のため、患部への感染を防ぐために大量の抗生剤の点滴をうけました.退院後家に戻る際、尿カテーテルを挿入したままであり、そのために垂れ流し状態にあることは知っていました。しかし、3週間後に再度病院に戻って尿カテーテルを抜いた後も尿失禁は残りました.尿カテーテルを抜いた後がこの手術の最も困難な時期ですよ.排尿機能がカテーテルを抜いた後直ぐに幸運にも正常に戻る人達がいれば、術後1年経っても失禁状態が続く人達もいると聞かされましたよ。

英国人の前立腺がんの語り

手術で体験したことを率直に語っているが、その後に若干の不快感があったと述べている(

手術については6日間入院しました。事態はかなり順調に進んだが、明らかに若干の不快感が残りました。 もし私が激痛に悩まされた場合にと医師達は自己操作式モルフィネ注入器をくれました。 これは、耐え難い痛みを感じたときにボタンを押して自動的に少量の注射を受けるものであり、明らかに過度の注射をしないように調節されていました。
最初に私が不便に感じた他のことは、外科手術を受けた部分、前立腺、が快復するまで膀胱に入れられた導尿カテーテルでした。 でも一日で慣れるでしょう。 特に前立腺ガン患者のみ収容する病室にいればね。みんなカテーテルを付けたまま歩き回っていますよ。 ここではこれが普通でしたね。 多分これは繰り返したくない経験だというちょっとしたジョークもありましたね(笑い)。

英国人の前立腺がんの語り

根治的前立腺全摘除術の経験を語っている

手術に向けて、私はとにかく早く受けてしまいたい、もう1時間も無駄にしたくない、と思っていました。はっきり覚えていませんが、4時頃だったと思います。次に気がついた時には、私の体に色々な働きをする10本ほどの管がつながれていました。その10本の管が入った状態で2日間、いわゆる集中治療室に入っていました。そこでは1対1でモニターされており、安心できました。痛み止めを十分に処方されていたので、時には不快なこともありましたが、まったく痛みはありませんでした。
ものすごく辛いと言うわけではなく、術後2日目の朝、清拭をして欲しいかどうか聞かれました。看護師は中年の女性の方で軍の看護師をされていた方ですが、「ほんとにしっかりと清拭がしてほしい?」と聞かれたので、「汚れている感じがするので、是非しっかりと」とお願いしました。クリスマスの数日前の朝の5時に人生で最高のお風呂に入った気分でした!(笑い)本当に気持ちが良かったです。数時間後、集中治療室から一般病室に移りました。そこでも私担当の看護師がいました。日が経つにつれ、管が抜けて行き、少しずつ快適な暮らしができるようになりました。入院して1週間ほど経ったクリスマスイブの日には、最初の晩は身体から10本もの管があったのが、カテーテルと1本の管だけ、——— 何と言いましたっけ?廃棄袋に連なっているあれ、名前を忘れちゃったけど・・・それだけになったのです.

――ドレーンですか?

そうドレーンです。術後の創部からいらない液を出すのですよね?

――では、入院生活は快適だったのですね?

はい、皆さん親切でした。主治医が5日目か6日目の夜に来て、「前立腺はちゃんと取れましたよ」と言われました。癌は切除して、外層には達しておらず、断端部も陰性で中心に集まっていたそうです。骨に転移はしていなく、前立腺周辺のリンパ節は郭清したけれども転移はなく、前立腺内に留まっていたと言われ、術後の不快感はあったものの、安心しました。手術は成功であり、その後の問題はないであろうと医師も喜んでいました。もちろん、最初の一ヶ月は非常に辛く、特にカテーテルが嫌でした。創部と膀胱に感染症が起きましたが、他に問題がなくてよかったです。麻酔科の医師がとてもよく診てくれましたし、硬膜外麻酔はよく効き、快適でした。術後は硬膜外麻酔をしなくなったので、少し辛かったです。

――では手術の前に硬膜外麻酔を受けたのですか?

いいえ、多分違うと思います。全身麻酔を受けたのでしょう。手術に入った時に硬膜外麻酔とか管数本が入れられたのだと思います。普通は看護師が剃毛をするのでしょうが、私の場合は、主治医でした。きっと自分のやりたいようにしたかったのでしょう。(笑い)9ヶ月経った今は傷跡が消えかかっていますのでお見せできません。とにかく最初の1ヶ月が辛かったのですが、看護師はとてもいい方でした。創部とドレーンの入っていたあとを丁寧に消毒してくださいました。

――少し戻ってお聞きしたいのですが、硬膜外麻酔は術後の痛みを消すためにしたのですか?

はい、術後に痛みはありませんでしたので、とても良かったです。

英国人の前立腺がんの語り

ゾラデックスによる治療後、何の問題や痛みもなかったと述べている

「前立腺がんだ」と専門医は言いました。前立腺がんについて私には何の知識もありませんでした。だから「直るのでしょうか」と尋ねたのです。その医者はそれには答えずに「良くなりますよ。前向きに考えましょう」と言うのです。そして、私は前立腺がんで、28日ごとに注射を受けることになると言うのです。正確にはその時何と言われたか覚えていません。でも、病院でお腹に注射を受けて、それから28日ごとに医者に行きました。そして2000年5月に注射が始まったんです。

――それがゾラデックスの注射だったのですか。

ゾラッデックス。そうだ。そうそう、それだ。
それから、毎月つまり28日ごとに注射を受けました。それ以来ずっと年四半期ごとに血液検査をうけなきゃならないのです。3ヶ月ごとに自分のPSAがどれくらいかをみるために血液検査を受けるんです。今ではPSAは魔法の数字だと思いますよ、血液検査をして、PSAの値がさがっていればいいのです。5月にPSAは1.9から始まって、9月には0.6に下がり、そして今12月には、0.8になったけれど、医者は気にする事はないと言ってました。医者が言うには、2ヶ月間治療を中止して、PSAがそのままか、上昇するか様子をみよう。2月にもし、上がったらまた治療をはじめなければならない。もし、上がったらね。実際、不安はないですね。何の問題もない。痛みもないしね。

英国人の前立腺がんの語り

カソデックスの錠剤を毎日服用することの不便さを語っている

しかし、唯一の問題は、私のPSAの値が67まで上がってしまったことです。これはブラキセラピー(小型密封線源による体内照射療法)で治療できる範囲を超えており、がんが骨や、体のほかの部分に広がっていることがわかりました。骨のスキャンを受けて、そ径部にホット・スポットが見つかり、ブラキセラピーのことを忘れざるを得なくなったのです。それから、ホルモン治療を始めました。ゾラデックスの月1回注射から始めて、3ヵ月に1回の注射に切り替えました。そしてカソデックス錠を1日1回飲むかどうかを聞かれました。カソデックス錠を毎日飲むことはとても不便と思いました。3ヵ月に1回の注射はとても便利だったのに、毎日錠剤を飲むことを思い出す必要があるからです。注射を受けて、そのことを忘れていても、私のPSA値は直近の検査で9まで下がり、とてもハッピーです。

英国人の前立腺がんの語り

ホルモン療法でどれくらい劇的に自分のPSA値が下げたかかを述べている

でもロンドンの医師達は、それでももう一度私に大きな励ましをくれ、私はすぐにある腫瘍学専門の医師に紹介されました。この医師が私に別の治療法を始めて、私のPSAレベルは劇的に下がったんです。

――それで、その治療法とは何ですか?

これはまさに基本的な古い型のホルモン療法です。それによって私のPSAレベルは2000余りから現在の300に下がりました。これはまだ法外な高いレベルなのですが、以前よりは明らかに低いのです。彼らはこの療法を継続して私に行うつもりですし、私も検査値低下の兆候がある限り、この形の療法を続けるつもりです。また悪くなる方向に進むこともあるけれど、医師たちはいくつかの新しい治療法をもっていて、私自身がこの苦境から抜け出すためなら何でもやってみたいと本気で思っているので、彼らもやる気満々でそれらを試すでしょう。それで私はいつも元気づけられて病院から帰るのです。あの人達は素晴らしい。そして今日は、もし私のPSA値がまた上がり始めたら、サリドマイドを使うこともあるかもしれないと言われました。

英国人の前立腺がんの語り

自分の受けたホルモン療法について、ゾラデックス注射がどのように行われたかを述べている

私は悟らざるを得ませんでした。CTスキャン上で肋骨に斑点がいくつかみられ、医師はそれが何なのか確信が持てないと言ったのです。彼にはそれが転移なのか、以前の傷跡なのかが判断できませんでした。そのため、彼は私に放射線療法を受けさせることにし、同時にホルモン注射も行うことにしました。
だから、私は現在までに既に18ヵ月にわたってホルモン療法を受けています。そろそろ2年になるはずで、実際、11月の注射が最後の予定です。それで2年間の治療が終了します。PSA濃度の低下は顕著で、1未満の非常に低い値まで下がっています。0.1か0.2かについてお話ししても、あまり意味はないでしょう。正確ではないかもしれませんが、いずれにしても1未満なのですから。
私は月に1回注射するタイプの注射を、試しに1回だけ受けました。私の体に好ましくない副作用が起きないかどうかを確認するためです。それ以後、注射の間隔は3ヵ月に1回です。注射の成分はゾラデックスです。ロウ状の小塊で、お腹の皮下に挿入します。

――どんな感じがするのですか?

とても気持ちが良い注射だとは言えませんね。注射と上手につき合えるかどうかによります。苦にはなりませんが、問題は大きな針です。つまり、直径約2 mmの針のことです。それに、皮下に入っていくのは固形物ですからね。なぜそのようにするかというと、3ヵ月かかってゆっくりと拡散するようにするためです。

――局所麻酔をするのですか?

いいえ。でも、心配なら麻酔をすることもできます。できるし、先生も勧めてくれました。実は、私よりも彼の方が神経質になっていたんです(笑)。私がずうずうしく、彼にやり方を指示したこともありました。最初の注射で、とても大きな青あざが残ったものですから。

――それが皮下にあるのを感じますか?

いえ、いえ、場合にもよりますが。つまり、やり方が適切なら問題ありません。お腹に針が押し込まれていくわけですが、針は鋭いですし、とても簡単に入っていきます。

英国人の前立腺がんの語り

薬物療法の変更について語っている

私はこれまで二人の近医にかかっていました。最初の医師は私にゾラデックスを処方しました。3年ほどたって問題が起こったとき、フルタミドの治験のために別の医師への紹介を希望するかと訊かれ、骨の痛みを体験し始めていたからすぐに “はい”と答えました。この薬は痛みを減らすのに役立つかもしれないと聞かされたからです。第2の医師に会い、これはヨーロッパ全域に亘る治験であり、参加を希望するかと聞かれました。またもや私は、治験の内容や薬効の詳細についてほとんど知らされませんでした。私が知らされたのは、この薬で多分乳房が少々痛みを感じやすくまた脹らみを起こすだろうということで、実際にそうなりました。9ヶ月ほど服用しました。

――いくつか問題を生じたので他の医師にかかったと言われましたが、薬が問題だったのか、それとも痛みが問題だったのでしょうか?

そう、それが転医した理由、いや違う、ゾラデックスを使用して3年後に痛みが始まりました。骨スキャンをうけ、“ガンは広がりつつあり、別の治療法が必要だ”と言われたのです。フルタミドの治験を紹介されたのはこの時です。この薬は私の病状を落ち着かせ、9ヶ月ほど経ってからまた骨の痛みが戻ってきました。医師はフルタミドがはもう効かないのだと判断しました。この間私はこの薬についていろいろ知りました、この薬の効果や或る期間後には効き目が無くなることもあるという事実をね。薬を止めれば何か良い効果があるかもしれないと言われ、服用を止めてすぐにまたゾラデックスに戻りました。 フルタミドを止めて良い効果が出たのでsが、不思議ですね、薬を止めることで開始した時のように良い効果があり得るなんて。

英国人の前立腺がんの語り

経過観察を選択する彼の決定は、積極的治療における利益の不確実性から生じると結論する

私は前立腺がんに関する研究や治療法の進行状況が書かれた論文等を読んで、何が前立腺がんのプロ学会の中で知られているかを西洋医学の範囲で知りました。そして私は当面の監視的待機を決断したのです。これは、実のところ医師たちが異なった治療方法のそれぞれの成果が、患者にとっての全体的な満足度と結果という意味で、どう優れているかわかっていない、という科学的なエビデンスに基づいています。前に言ったような勃起不全や排尿困難、それに治療法によっては腸の機能不全も誘発しますが、これらの副作用でもってがん除去の可能性を探るということです。さらに治療法の違いによるがん除去の成功率は完全には明らかにはなっていません。一つ例を出しましょう。アメリカのある外科医は自分の手術した患者の30%の人は手術を受けない方が良かったと知ったと明らかに述べています。言い換えると、手術が成功すると思われる患者を慎重に選んだ場合でも、結果的には、その30%の症例は手術しない方がよかっただろうと実感したということです。さらに言い換えると、副作用ががんそのものよりももっと重大で、必ずしもがんを除去しようというインパクトを与えないのです。

英国人の前立腺がんの語り

経過観察は、放射線療法に関する問題を考慮すれば彼にとってより適切であったと結論づけた

でも、放射線科医はとても親切にしてくれました。選択肢の概略を説明してくれて、「手術のことですが、担当の専門医は選択肢にあげなかったようですが、今は放射線と併用するものもあります」と言い、性的能力の喪失などの副作用について指摘してくれました。そうなってもまだ性生活を楽しむ方法があることや他のことも話してくれましたが、実際本当に心配だったのは尿や便の漏れの可能性でした。それが本当に気がかりでしたし、これも些細なことかもしれませんが、この治療はヨーク市でしか受けられないのです。それでも一度だけならいいかと思いました。でも6回にもなるというのです。どうやってその町まで行き来するのでしょうか。無理ですね。妻は運転はしますが、村内の店まで行って戻ってくるくらいですし、早朝に起きて出かけるのが頻繁となると。運転の心配はしていませんが、頻繁でしかも問題を抱えながら、となると大いに心配です。とにかく医師と事細かに話し込んで、先生は「待つだけというやり方もある」と教えてくれました。わたしがもっと年を取るまで待ったとして、そこで放射線療法という選択はまだ有効なのですか?」と訊きました。先生は「もちろんです」と答え、「ここに私の自宅の電話番号が書いてあります。いつでもやってみたくなったら、連絡ください」と言ってくれました。

――それはよかったですね。

ええ、素晴らしいことだと思いました。医師は今まで事務的な問題でそのような遅れがあったことが意識にあるのだと思いました。先生には感謝しています。わたしは待機します。それが、ビデオの中にあった選択肢の一つですから。

――病院は、医師はあなたが放射線療法を決断した場合、病院の車を利用するという選択肢を示してくれましたか?

いいえ、それは選択肢としてはありませんでした。

――では、移動手段が放射線治療を選択しなかった理由の一つであって、それは尿漏れが心配だったからですか?

ええ、そうです。

――決断に至るのにビデオはどの程度役に立ちましたか?

ええ、ビデオが大きな決め手となったと思います。アメリカへの偏見はありました。なので思っていたよりはるかに進んでいて、見た目では進んだ治療や調査また統計データを用いているようでした。英国では患者への対応は適切とは思えませんし、米国の補完的な治療や設備が、ここよりはるかにいいような気がしました。ですが、それでも、はっきりさせる必要がある利用できる選択肢やそうでないものは、ビデオにでていて、その気がない時は消せばよいので、わたしは十分に理解できたし、再度見直すこともできて、ええ、とても価値あるものでした。

――そして監視的待機が選択肢の一つだった?

監視的待機、ええ、そのとおりです。

――外科医や放射線医も何もしないで待機、監視的待機をするという選択に関して触れましたか?

はい。放射線医は確かに言いました。「先のことはなんとも言えません。今後を診ていきますが、はっきりとしたことは言えません」、「放射線療法の道を選ぶならなんでもお話します」、「これらがあり得る副作用です。あなたに現れるかどうかはわかりません」。それで尿や便の漏れや旅行の不安などはまだあります。それであと3か月は待つことにしました。