投稿者「dipex-j」のアーカイブ

英国人の前立腺がんの語り

心配をかけたくないので、何人かの家族には話さなかった

○○に住んでいる妹には話していません。ええ、今のところ彼女は知りません。ウォールソールとスタフォードシャーにも家族がいますが、まだ誰にも話していません。

――なぜ話さないのか説明していただけますか?

彼らに心配を掛けたくないからです。

――心配を掛けたくないのですね?

ええ、そうですとも。彼らに心配を掛けたくありません。健康の点では、このせいで特に具合が悪いわけではありません。時々、本当に自分に起こっていることだとは信じられないほどです。もし私が、必要もないのにそういう情報を伝え始めるとしたら、それは何のためでしょうか? そのことで同情を得るためですか? なぜそんなことをする必要があるでしょう? 問題が起きて、それが確かに問題なことだったり、他にも問題が起きていたり、これから起きようとしているという時には情報を伝えることができますよ。でも今のところは、知らせる必要があるとは思いません。

英国人の前立腺がんの語り

物事に向きあい、将来設計をするのが一番だと思う

とにかく私にとって「ショック」は、ある意味で前向きな面を持っていたと思います。もちろん、家族や妻、そう、特に妻はショックを受けていました。確かなのは、この「ショック」が人生のゴールを明確にするだろうし、当然財政面についても考えるようになるだろうと思います。つまりこれから起こりうる事柄に対して何か考えを持つようになると思います。私は公算で仕事をしてきたから、私の人生では確実さを決して期待していません。にもかかわらず、これからどのように続けるのかという考えが現れてきます。そうそう、がんを確定診断されたとき、まあ予想はしてましたけど、この年齢だと本当に気になりません。それは、死と向き合うといったことなど、とにかく事前に人生において多くのことを考えなければいけなかったし、そういった点で助けとなる信仰をもっていますから。

英国人の前立腺がんの語り

一歩ずつ進んできたことを語っている

そうですね、ついにやって来たなって思いましたね(笑)。来るべきものが実際に来た、そんな部類かな。で、私はパニックとかにはなりませんでしたよ。悪性のものではあったけれど、脅威としては最も低いレベルでしたからね。それでわたしはこう考えたわけ。
一時に一歩踏み出すだけ、次の検査で何が明らかになるかを見るだけ、とね。いつもなにか更にすべきものがあるのだから、次の検査が済む前にこうしよう、ああしようなどという極端な決心をしなければならない、とは考えませんでした。
それで、計画中のインド旅行を延期しました。

英国人の前立腺がんの語り

ずっと不安が続き、ようやく診断がついてどんなにほっとしたかを語っている

――診断を受けたとき、貴方やご家族はどんな衝撃をお感じになりました?お話になりたい範囲で結構ですから教えて下さい。きっと他の患者さんもそれを知りたいと思うのです。

考えを整理するために、思い返そうとしているのですが、もちろん初めは動転しました。もし、非常に健康であればショックだったと思いますが、私の場合はそれほど大きな驚きではありませんでした。それ以前からどこかおかしいと感じていたからです。おかしなことですが、何か悪いものがあると仮定すれば、それが何であるかが分かるというのは一種の安堵感に通じるものがあるからです。必ずしも全貌が分からなくても、何か不確かな状況で、さらに悪いことがあるのではないかと心配し続けるよりは、現状を確認できるというのは何となくほっとするものなのです。

英国人の前立腺がんの語り

悲観したって仕方ないと思うといっている

当然ながら誰もが心配しましたし、本人も悲観的になりがちです。でも、私は常に前向きです。自分に出来ることがあるなら、どうやって実行するかを心配するでしょうが、出来ないことはどうにもならないと感じていますからね。それに私たちは、出来ることはやったと思っています。家族は状況を理解しています。私たちはできる限り物事が正しい場所に収まるよう、手順を踏んでいくつもりなのははっきりしています。手を揉み絞り、酒に浸って泣きながら歩き回るようなことは、決してしないつもりです。前にも言ったように、何か出来るなら、どうするかを心配するでしょうが、出来ないのなら、仕方がないでしょう。

英国人の前立腺がんの語り

最初はがんを受け入れることが困難だったが、その後落ち着いて考えられるようになったと語っている

癌情報センターの話に戻ると、このときに癌があると初めてわかったのですが、最初の2週間はそれを受け入れることができなかったし、受け入れたくなくて、少し耐えられませんでした。けれど、2週間後に何というか吹っ切れて、ものすごくいい機会を与えられたようなものだと考えて、「しっかりしろ。さっさと始めよう。人生を変えるんだ」と言い聞かせました。私たち夫婦はそれを実行しました。休日にカナダへ行きました。保険に加入するのは大仕事だったのですが、する価値は十分にありました。

英国人の前立腺がんの語り

告知された当初の自分の反応を語っている

頭の中を色々なことがよぎり、悩みました。病院から家までは車で30分くらいなのですが、色々考えました:主治医に言われたこと、遺書はどうするか、これから妻が経済面で苦労するであろうということ、子供達のことはどうするか、これをやった方がいいか、あれをやるべきかなど、憂鬱になるのですが、どうしようもないのです。絶対癌に打ち勝てると考えながら非常にゆっくり運転をしたことを覚えています。他のことに気を取られ、ぼーっとして道路から外れてはだめだと自分に言い聞かせました。

英国人の前立腺がんの語り

いちばん気がかりだったのは妻の幸せだった

私にとって最も気がかりなことは私自身のことではなく妻が幸せに暮していけるのだろうかということでした。もしなにか事態が悪くなったら妻は経済的にはもちろんのこと、あれやこれやと、色々な事に一体どう対処していけるのか心配でした。以前任意の個人年金にも加入していたのですが、そのうち、その年金は掛け金を払う値打ちのないものだとわかったので掛けていた年金を結局は清算してしまいました。だから考えなければならないことは山ほどあります。経済的なこともその一つです。もう一度働くなんて考えていませんでした。でもどのようにして状況が変化していったかはのちほどお話します。

英国人の前立腺がんの語り

あとでショックを受けたが、専門家から非常に多くのサポートを受けることができた

私は一時完全にうちひしがれました。つまり私はPSAの測定値が高いためにがんなるかもしれないという事実を抱えて4、5年生きてきたのです。PSAの高値がある問題の徴候でありうるということをよく知っていたので常に頭の片隅にありました。しかし「あなたはがんです」と告げられるのはもちろんまったく別のことで、心底動揺しました。でもその衝撃は何日も続かなかったと思います。先ほど言ったように私には素晴らしい泌尿器科医がいて、こう言ってくれました。「ちょっと待って下さい。あなたには治療に費やす時間が十分にあります。6ヶ月で死ぬわけではありません。私たちに治療できます。あなたのためにできることがあるのです。

英国人の前立腺がんの語り

大打撃をうけたこと、そして前立腺がんについてはまったく無知だったことを語っている

私は全く打ちのめされた。 正しい情報は何もなく、”貴方は前立腺ガンに罹ってしまった、大分進行している。”とだけ言われただけだ。 私の最初の反応は、”私は死につつあると言うことか、後どのくらい生きられるのか?”と言ったことだった。 医者は ”えー、何とも言えない。知るすべもない。”と応えた。 私は完全に打ちのめされて家に帰った。