私は肺がん以外では前立腺癌が、男性を死に至らしめる最も重要な癌の一つだとうことを最近知りました。先生はとても良い人でした。『お座りなさい』と席を薦めたあとで、私がこの段階で診察をうけたので腫瘍はあまり進行していないこと、完治するチャンスは十分あることを説明してくれました。また先生は、自分が診てきた前立腺癌患者の多くは癌が進行しすぎて治療できず、緩和ケア治療しかできないことが多いとも言いました。それを聞いて、私は生存できるチャンスがまだ残っていることを知り嬉しく思いました。でも、実際には大変ショックでしたよ。誰もが死ぬのだし、どこかの時点で終わりが来るのは判っていましたけれど。そして、子供達は大きくなるし、私たちは年を取れば取るほど哲学的になります。人生のマイナス面よりも自分自身の人生に充足感を感じるでしょう。そして、素晴らしい妻も愛する家族もあって満たされていると感じるでしょう。死ぬことはなんら特別なことではなく、実際にはその反対で誰もが直面しなければならないことなのだと思います。でも矢張り、死が間近に迫っていると思えば、やはりショックを受けるものです。
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続いてゾラデックス注(10.8mgのゴセレリン)ですが、徐々に強くなる副作用がありまして、例えば紅潮がそれにあたります。寒い日はたいてい喜ばしい経験となるのが事実でして(笑)、教会のうしろの方で座って講義を聴いていたとき、これはとても興味深い10分の講義でしたが、私は気が遠くなってその10分を聞き逃してしまいました。いったい何が起きたのだろうという感じで、とても暑く、発汗し、気が遠くなって、まるでマラリアにかかったみたいでしたよ。
そう、ゾラデックスでは身体の火照りがおこる。ちょうど女性達が生理の時に体験するのと同じやつだ。でも、話し合った何人かの人たちほどは酷くなかったよ。彼らのは本当に酷かった、殆どいつも汗をかいていて、実に実に不愉快だったようだ。夜中に汗だくになって目を覚まし、起き上がらなくてはならず、時々は身体を冷やすために冷水シャワーを浴びるんだ。幸いにも私のはそんなに酷くなく、3~4分続くだけだ。この間身体がポッポとほてって、こんな時には静かに座っていると収まって大丈夫になる。何時起こるかの前兆はないのだが、熱い飲物を取ったり暖かすぎる部屋にいるのが引き金になるのが分かったよ。そんなことが火照りを起こすんだ。これがゾラデックスを使っていたときの唯一の問題だった。
スチルベストロールを使い始めたら火照りは止まったので(笑い)、これがこの薬の良い点だね。でも、こいつは乳房を膨らませ、痛みを起こし、腫らせるんだ。
――カソデックスは、今、あなたに影響を与えていますか?
そう、多くのホルモン治療のように(笑)、まるで感情的に気が動転しているようなホットフラッシュや、まるで急に汗が噴き出して困ってしまうようなことが、いつでも、どこでも起こりうるのです。それは気温に関係なく、仮にあなたがフリーザーの中にいられるとしたら、そこででも起こります。これが始まった男性は皆、彼に更年期を経た妻がいる場合、その妻に尋ねます。私の妻はぐるりと回ってこう言います。「あなたが私から共感を得ることはないわ」「あなたがベッドにいて、汗が急に噴き出すのをみたとき、シーツをはがして投げ捨てたいとか思うでしょう」。そして私は言います。「ああ、君が知っている急な発汗が再びやってきた」。妻が言います。「知っているわ。私はもう終わったわ」。彼女は続けます。「私が苦しかったときあなたは決して逃げたことはなかったわね」。そして私たちは笑います。しかしそれは不快なものです。たった2つのことなんですが。睡眠不足、すなわち不眠症と急な発汗という。私がかつて経験したことのない問題です。そう、私はちょうど71歳になったところで、この新しい家を手に入れたばかりです。建物が建っていたところを庭に変えて、家具を動かしたり、飾り付けをしたり、そのほかいろいろ忙しい日々を送ってきました。ですからぼやいているわけではないのです。そうでしょう?とても前向きだと思われますよね。
錠剤と注射での内分泌療法も受けました。私が選択したその治療は、女性ホルモンによって男性ホルモンを抑えようというものでした。専門家の話ではこれはとても重要な治療だということでしたが、女性の更年期障害の症状が出るのです。放射線治療の前に行うのですが、ほてりを感じたり、夜中汗だくで目が覚めたり、態度も変化してとてもいらいらして怒りっぽくなり、かんしゃくをおこしたりするんです。愛する家族などに不平を言ったりどなったりして、自分でもわかってはいるのですがどうすることもできないのです。ただ自然にそうしなくなるのを待つばかりで、あまり愉快な経験ではありません。私の場合は、4回の注射の後にそのような症状を経験しました。
ああ、あの火照りについては本当に苦痛でした。というのも、私は熱い飲み物とくに紅茶が好きなので、おそらくそれらも火照りを助長させていたと思います。熱い飲み物をとった後はすぐにその症状が現れていましたから。悩みの種は、夜間に症状が現れたときです。普段は十分に睡眠をとれるのですが、火照りが現れると目が覚めてしまいます。目が覚めたら、お風呂に行きます。体が火照ると、体が汗ばみじめじめした感じややぬめぬめした感じがすくなくとも約5分は続きます。さて、同様の治療をうけた私の友人はハーブを用いた代替療法、Red Berries を摂取しています。彼の話によれば、火照りが軽減し治まったようです。私がこの事を専門医に訊ねてみると、彼は、『試してみたいなら、それをやめさせる理由は何一つない。』と言いました。彼の考えでは、火照りに対して薬物療法を試みるようでしたが、おなかを壊す副作用があるようで、私は治療を拒否しました。Red Berriesは火照りに効果があるかもしれませんが、血球数が増加したため、服用はあきらめることにしました。火照りはなくなり、おかげで、日中だと約半分、夜間だと約2,3回分は取り戻せたと思います。火照りは日中6度ほど、夜間には2~3どあります。重症という訳ではなくただ不快なのです。5分間、汗や火照りに耐えればその後は大丈夫です。
もうひとつ、手術に関係していると素直に感じた副作用は、充電残量ですね。私は充電残量と呼んでいますが、最近は以前と比べて体力がとても低下しました。スタミナは以前と比べたら全くないし、前はやる気がもっとあったと思います。私も自分自身を限界に押してみている一人でしょうが、自分の限界を知る事、そしてそれがどんな身体の動きにおいても以前と比べると確実に低下しているということを受け入れ、人生の再調整を図ることで自分は色々出来るのだと言えますが、以前に比べたらかなり低下しています。そしてやはりまた救いを感じました。以前がどうだったかという事よりも今がどうかという事を学びました。
――放射線治療をした後何か後遺症はありましたか?
ちょっとだけ疲労感はありましたが、それだけです。人によって症状は様々だと思いますが、私の場合はちょっとだけ疲労感があっただけです。私の仕事は力仕事ではなく、まあ時に気を使うことはありましたが、事務仕事で万年筆の修理には慣れていましたが、治療を受けていても以前と変わらず勤めは続けていましたし、上司は私が毎朝出社することに特別は配慮をしてもいませんでしたし、午後も以前同様仕事を続けていました。
――ホルモン注射で他に副作用はありましたか?
分かりません。あったとは思うのですが。今では言葉にできません。ずっと倦怠感があり、何もする気になれないのです。もし妻のためだと思わなかったら、朝必ず起きる気にもならないでしょうし、まったくの怠け者になっていましたよ。
――そのことが注射の副作用かもしれないと思いますか?
ええ、思いますとも。以前はこんなではなかったのです。常勤じゃなかったけど、教鞭をとっていて、これが私にとって誇りでした。あれは72歳のころで、楽しくやっていました。今やオームの法則を思い出すこともができません。飛べないのと同じ位、教えられないのです。でもこれは恐ろしいことですよ。貴方たちが帰ったら、私は外に出てちょっとした掘り返し作業を終わらせなきゃいけないんだけど、気が進まないんですよ。
――掘り返し?
ただ、耕してアラセイトウを植えるだけなんだけど、何するのも気が向かないんです。昔は大好きだったのだけど、今は楽しめないんです。前は、朝早く起き、寝るまで働き続けたものです。私はとても活動的な生活を送っていました。すごく活動的で、物知りでもあったのです。私は絶対に働くことを止められないと思っていました。
――これすべて注射が原因となっていると思っていますか?
そう思いますが、分かりません。私の苦しみの種は何なのかと、年老いていることか、心理的なものか、癌のせいかと私は先生に聞きました。そしたら彼は「そうです」と言ったのです。
他の面では、私は走るのが好きで、これまで約50年間走ってきましたし、今ではもう55年間位になるでしょうね。最初は全く規則正しく走れましたよ。治療を始める前にはちゃんと走れていたし、治療中もずっと走っていたんです。でも、治療が終る頃にはひどく疲れやすくなっていました。つかれてくるとちょっとだるい、無気力な感じになり、また睾丸にもこれまでと違う違和感を感じるようになりました。車の運転は問題ないし、日常の細かなことも皆ちゃんと出来るんです。ただ、走るのだけは少々難しくなってきたのが分かりました。実際に治療終了前の5~6週間は走る距離を減らしましたし、最後の3~4週間はトレーニングを減らさなければなりませんでした。治療が終わっても問題は残っていました。
主治医の先生に、放射線療法の後、疲労感や身体的変化はどの位続くのかと尋ねたら、「3~6ヵ月」とのことでした。ただ私の場合、回復にはもっと時間がかかりました。でもその時、私は考えたのです。自分は今66歳だから、年齢ということもある。全部が全部治療のせいではないかもしれない、と。しかし、あの段階で私がランニングの量を減らさなければならなかったということは、必ずしも治療のせいとは限らず、年齢のせいもあって、復調するにはもっと時間がかかったのかもしれません。でも、治療から3~6ヵ月後にはすっかり元通りになり、ほとんどまた何でも出来るようになりました。