診断時:75歳
インタビュー時:77歳

1998年に診断を受け、監視的待機。1982年にTURPに受けている

語りの内容

でも、放射線科医はとても親切にしてくれました。選択肢の概略を説明してくれて、「手術のことですが、担当の専門医は選択肢にあげなかったようですが、今は放射線と併用するものもあります」と言い、性的能力の喪失などの副作用について指摘してくれました。そうなってもまだ性生活を楽しむ方法があることや他のことも話してくれましたが、実際本当に心配だったのは尿や便の漏れの可能性でした。それが本当に気がかりでしたし、これも些細なことかもしれませんが、この治療はヨーク市でしか受けられないのです。それでも一度だけならいいかと思いました。でも6回にもなるというのです。どうやってその町まで行き来するのでしょうか。無理ですね。妻は運転はしますが、村内の店まで行って戻ってくるくらいですし、早朝に起きて出かけるのが頻繁となると。運転の心配はしていませんが、頻繁でしかも問題を抱えながら、となると大いに心配です。とにかく医師と事細かに話し込んで、先生は「待つだけというやり方もある」と教えてくれました。わたしがもっと年を取るまで待ったとして、そこで放射線療法という選択はまだ有効なのですか?」と訊きました。先生は「もちろんです」と答え、「ここに私の自宅の電話番号が書いてあります。いつでもやってみたくなったら、連絡ください」と言ってくれました。

――それはよかったですね。

ええ、素晴らしいことだと思いました。医師は今まで事務的な問題でそのような遅れがあったことが意識にあるのだと思いました。先生には感謝しています。わたしは待機します。それが、ビデオの中にあった選択肢の一つですから。

――病院は、医師はあなたが放射線療法を決断した場合、病院の車を利用するという選択肢を示してくれましたか?

いいえ、それは選択肢としてはありませんでした。

――では、移動手段が放射線治療を選択しなかった理由の一つであって、それは尿漏れが心配だったからですか?

ええ、そうです。

――決断に至るのにビデオはどの程度役に立ちましたか?

ええ、ビデオが大きな決め手となったと思います。アメリカへの偏見はありました。なので思っていたよりはるかに進んでいて、見た目では進んだ治療や調査また統計データを用いているようでした。英国では患者への対応は適切とは思えませんし、米国の補完的な治療や設備が、ここよりはるかにいいような気がしました。ですが、それでも、はっきりさせる必要がある利用できる選択肢やそうでないものは、ビデオにでていて、その気がない時は消せばよいので、わたしは十分に理解できたし、再度見直すこともできて、ええ、とても価値あるものでした。

――そして監視的待機が選択肢の一つだった?

監視的待機、ええ、そのとおりです。

――外科医や放射線医も何もしないで待機、監視的待機をするという選択に関して触れましたか?

はい。放射線医は確かに言いました。「先のことはなんとも言えません。今後を診ていきますが、はっきりとしたことは言えません」、「放射線療法の道を選ぶならなんでもお話します」、「これらがあり得る副作用です。あなたに現れるかどうかはわかりません」。それで尿や便の漏れや旅行の不安などはまだあります。それであと3か月は待つことにしました。

私は: です。

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