診断時:49歳
インタビュー時:53歳(2009年1月)
東北地方在住で、6人家族。現役の地方公務員として多忙な毎日を過ごしている。人間ドックをきっかけに、2004年9月に前立腺がんと診断され、ホルモン療法開始。インターネットを使って情報を集め、隣県の大学病院でIMRTを受けるが再発。温熱療法、HIFU、その後エストラサイトとタキソテールによる治療となったが、タキソテールの副作用が強く、現在はエストラサイトで経過を見ている。
プロフィール詳細
C.Gさんは5年前に前立腺がんの診断を受けた。公務員として役所につとめ、部門の責任者であったため、気をつけなくてはと思っていても、食事や身体のことに無頓着にならざるを得ないほど、多忙な毎日を過ごしていた。
40代になった頃から職場の健康診断と、3年ごとの人間ドックでもPSA値はチェックしていた。ずっと異状なしだったが、2004年7月、5.4という値で「精密検査を要する」とあった。近くの病院で再検査を受けると、1ヵ月ほどしか経過していないのに、7.4まで上昇していた。「がんと診断されるのは30%くらいだが」と言われ生検を勧められたとき、職業柄、まずリスクを先に考える方だったので、悪い方にしか考えられず、もう頭が真っ白になってしまった。
9月に生検をうけ、グリーソン・スコアでは9と一番悪い部類だが、骨シンチ等で転移はみられないので、B期の初期のがんだと言われた。手術を勧められたが、ショックで説明が頭に入らなかった。とにかくこれ以上進行しないようにと、ホルモン療法は行うことになった。ホルモン療法でPSA値は限界まで下がった。
インターネットで情報を集め、セカンドオピニオンを求めて近隣の大学病院にかかったところ、精嚢にまで浸潤しているC期といわれ、ここでも手術を勧められた。手術を受けようかとも思ったが、手術でもがん細胞が残る場合があるという話を耳にし、とても悩んだ。身体にメスを入れたことがなかったし、男性機能を維持したいという思いもあった。治療後に失うものを考え、最終的にはインターネットで調べたIMRTを希望して、2005年7月から、隣県の大学病院に2ヵ月間、毎日のように通院した。しかし終了後、ホルモン療法を止めるとPSA値は1を超え2、3…と少しずつ上がってきた。MRIで前立腺の中に影がうつっていると言われたので、今度はインターネットで見つけた温熱療法(ハイパーサーミア)を試してみようと、主治医に紹介してもらい隣県まで受けに行った。前立腺がんの適用ではなかったが、試しにでもいいからと頼み込んだ。それでも値は下がらず、ホルモン療法を再開したが、ほどなく効かなくなってしまった。主治医と相談し、前立腺の中にがん細胞があるかどうかを確かめるつもりでHIFUを受けたが、数値は下がらなかった。主治医からは、前立腺やその周辺にはがん細胞は確実にないが、体のどこかにがん細胞があって再燃している、しかし値が低いので、画像診断でどこにあるのかは見つけられないだろうと説明された。
昨年2月からタキソテールとエストラサイトによる治療を行ったが、タキソテールは副作用が強く出て、8月で一旦中止となった。PSA値が0.89まで下がったので、もっと下がるのではないかと継続を希望したが、主治医からは体力の限界だと告げられ、中断せざるを得なかった。その後はエストラサイトによる治療で、現在4.2まで値が上昇してきており、タキソテールを再開するか検討している段階である。これ以外にも、免疫療法やサプリメントなど、出来るものならば何にでも積極的に取り組んでいるし、取り組みたい。医師からもどんどん提供してもらいたいと思う。身近な人の支えに感謝し、生まれ育った故郷の豊かな自然の中でゆったりと過ごす時間を大切にしながら、仕事も治療も、前向きに取り組んでいこうという「覚悟」を持って、一日一日を過ごしている。
40代になった頃から職場の健康診断と、3年ごとの人間ドックでもPSA値はチェックしていた。ずっと異状なしだったが、2004年7月、5.4という値で「精密検査を要する」とあった。近くの病院で再検査を受けると、1ヵ月ほどしか経過していないのに、7.4まで上昇していた。「がんと診断されるのは30%くらいだが」と言われ生検を勧められたとき、職業柄、まずリスクを先に考える方だったので、悪い方にしか考えられず、もう頭が真っ白になってしまった。
9月に生検をうけ、グリーソン・スコアでは9と一番悪い部類だが、骨シンチ等で転移はみられないので、B期の初期のがんだと言われた。手術を勧められたが、ショックで説明が頭に入らなかった。とにかくこれ以上進行しないようにと、ホルモン療法は行うことになった。ホルモン療法でPSA値は限界まで下がった。
インターネットで情報を集め、セカンドオピニオンを求めて近隣の大学病院にかかったところ、精嚢にまで浸潤しているC期といわれ、ここでも手術を勧められた。手術を受けようかとも思ったが、手術でもがん細胞が残る場合があるという話を耳にし、とても悩んだ。身体にメスを入れたことがなかったし、男性機能を維持したいという思いもあった。治療後に失うものを考え、最終的にはインターネットで調べたIMRTを希望して、2005年7月から、隣県の大学病院に2ヵ月間、毎日のように通院した。しかし終了後、ホルモン療法を止めるとPSA値は1を超え2、3…と少しずつ上がってきた。MRIで前立腺の中に影がうつっていると言われたので、今度はインターネットで見つけた温熱療法(ハイパーサーミア)を試してみようと、主治医に紹介してもらい隣県まで受けに行った。前立腺がんの適用ではなかったが、試しにでもいいからと頼み込んだ。それでも値は下がらず、ホルモン療法を再開したが、ほどなく効かなくなってしまった。主治医と相談し、前立腺の中にがん細胞があるかどうかを確かめるつもりでHIFUを受けたが、数値は下がらなかった。主治医からは、前立腺やその周辺にはがん細胞は確実にないが、体のどこかにがん細胞があって再燃している、しかし値が低いので、画像診断でどこにあるのかは見つけられないだろうと説明された。
昨年2月からタキソテールとエストラサイトによる治療を行ったが、タキソテールは副作用が強く出て、8月で一旦中止となった。PSA値が0.89まで下がったので、もっと下がるのではないかと継続を希望したが、主治医からは体力の限界だと告げられ、中断せざるを得なかった。その後はエストラサイトによる治療で、現在4.2まで値が上昇してきており、タキソテールを再開するか検討している段階である。これ以外にも、免疫療法やサプリメントなど、出来るものならば何にでも積極的に取り組んでいるし、取り組みたい。医師からもどんどん提供してもらいたいと思う。身近な人の支えに感謝し、生まれ育った故郷の豊かな自然の中でゆったりと過ごす時間を大切にしながら、仕事も治療も、前向きに取り組んでいこうという「覚悟」を持って、一日一日を過ごしている。
インタビュー45
- PSAが1カ月で2も上がった。医師から「がんと診断されるのは30%くらいだが生検を」と勧められたときには、頭が真っ白になった
- 男性特有の油が酸化したようなにおいが衣服に染み込むことが一切なくなったと妻に言われる
- 再発した今、その選択が良かったのかは悩ましいが、当時は体にダメージが少ないことを重視し、男性機能の温存可能性もあるIMRTを選んだ
- IMRT前に、リンパ節切除のため全身麻酔の処置を受けた。そこまでするなら、手術の方が良かっただろうかと再発した今、悩む
- IMRTの治療中は、通院した。職場には迷惑をかけたけれど、入院して何もしないでいるよりは良かった
- IMRTの治療中、自分で車を運転し、遠距離を通院していたので、交通事故を心配された
- タキソテールの副作用で、白血球や赤血球が減ったり、血も止まりにくくなった。体力的にも消耗していた
- タキソテールの副作用で足がわらじを履いているような感覚になり、今でも残っている。治療中は気分転換したくなる
- エストラサイトの副作用で乳房が膨らんできたり、勃起機能が失われた
- タキソテールの場合、1週間はだるく、熱が出たりしてするので、職場に迷惑がかからない日程を選んでいた。治療を再開するのは気が重い(音声のみ)
- 化学療法をしているともうあとがないと思い、居ても立っても居られない不安にかられてしまう
- 放射線治療後に再びPSA値が上昇、ホルモン療法や温熱療法を受けても下がらないので、100万円以上かかるHIFUを受けることにした
- HIFUをやったことによって括約筋の部分までやられたせいか今も少し尿漏れがあり、活性炭入りのパットを使っている
- ハイパーサーミア(局所温熱療法)を受けに往復8時間かけて通うのも前向きな気持ちだったので苦痛ではなかったが、PSA値は下がらなかった
- ハイパーサーミアは全身が温まってサウナのように気持ちいいが、機械がぴったり密着しないとびりびりとした痛みを感じるときもある
- 免疫細胞療法も受けてみたいが、大きな大学病院では専門性が高くなって横の連絡がなく、患者の希望に対応してくれない
- 抗がん剤を休むとPSA値が上がることに怯えている。骨転移していると自分は思うのでゾメタを試したいが、主治医は確認出来ない今は無理だという(音声のみ)
- 数値が上がるのはがんがあるからなのだが、どこにあるか分からないので臨床試験も受けられない(音声のみ)
- 高額な試験的治療を個人負担で受けなくても済むよう、臨床試験に国がもっと補助を出し、民間の寄付でも研究が進むよう税制を改革すべきだ(音声のみ)
- 治療を続けるには気を紛らわすことも大事で、それにはお金もかかる。経済的に大変な中で、やりたいことをやらせてくれる妻の支えはありがたい(音声のみ)
- がんになってから、仕事で神経を使って帰っても、夜中に目が覚めてしまったり、逆に職場にいるときに眠くなったりすることがある(音声のみ)
- 放射線治療では、入院すると治療以外の時間は何もすることがないのが辛くて、職場には迷惑をかけたが、通院で受けることに決めた
- 尊厳をもって生きるため、病気のことを考えないようにするために、職場には迷惑をかけていると思うが、仕事は続けていたい
- がんについて息子が理論的に説明してくれ、「どう立ち向かっていくかが大事だ」と自分を落ち着かせてくれた
- 末期がんの友人を「死の覚悟が出来ている」と評した人に怒りを覚えた。覚悟という言葉は、もがいて生きようとする姿勢に用いられるべきだと思う