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診断時:73歳
インタビュー時:76歳(2008年6月)
東海地方在住。2005年夏、健康診断でPSA検査の値がやや高かったので、精密検査を受けたところ、浸潤はないもののグリーソン・スコアが9の悪性度が高いがんと判明。手術を勧められるも、身体への侵襲と病院の対応への不安感からインターネットで情報を収集して転院。2006年4月から2ヵ月間入院してリニアックによる3次元原体照射治療を受けた。合併症もなく、2年経過した今もPSA値は0.1台で安定している。
語りの内容
えーとね、前立腺がんについての予備知識ですよね。やっぱり不安を持ってましたね、うん。高齢化に伴って罹病率が結構高いですからね。だから、いつかはやられるんじゃないかなっていうふうに考えてましたよ。で、今の天皇が罹患されたっていうことをお聞きしたのは、私がそういう診断を受けるちょっと前でしたよ。2年ぐらい前だなっていうふうに、思うんですけどもね。だから、まあ誰彼なしに襲う内容だなというふうに思いますね。これ確かにね、前立腺がんっていうのは、高齢者にはもうかなりの確率で、発生する病気だなというね。
で、自分でそういったオプショナルな検査であるよっていうふうにお聞きしたときに、すぐに手を挙げて受検したのも、やっぱり念のためにっていうか、やっぱりそういう恐怖心があったもんですからね、やりました。確かに予備知識的なものはありましたね。
でも、今度かかって分かった…進行が遅いだとか、年齢が高かったら「ああ、そうかい。まあ、ほっときゃいいわ」っていうようなものも一つの選択肢だって、そういうことを知ったのは、自分が実際に前立腺がんになってからのことなんですけれども。漠然とした恐怖心っていうのはありましたね。
インタビュー16
- 健診時にオプション料金で安かったのでPSA検査を受け、グレーゾーンと言われたが症状もないので軽い気持ちで受け止めていた
- 前立腺がんは高齢男性がかなりの確率でかかる病気だと不安に思っていたので、PSA検査の存在を知って、すぐに申し込んだ
- PSA値はグレーゾーンで問題なかったが、生検で非常に性質の悪いがんと言われて絶望的な気持ちになった
- MRIのような検査は、もっと事前に情報が欲しい。狭い場所に閉じ込められ、身動き取れない状態で大きな音で責められ、まるで拷問のよう
- 専門の医師がいること、持病も診てもらえること、ウォシュレット設備があることなど、入院時に快適に過ごせるような総合病院を探した(音声のみ)
- 自分なりに担当医を選んで受診したのに、実際に生検を受けるときになって、医師が替ってしまい非常に驚き、病院に対する不信を感じた
- 結果的には3D原体照射を受けたが、若いころラジオ技術の虜になったことがあり、IMRTの「強度変調」という言葉に強く引きつけられた
- 主治医から情報提供してもらい、その中で自分に一番合った治療法の選択ができるように、自分自身の研究もしなければいけないと思う
- 内分泌療法を行って、PSA値が下がった時点で放射線をかけたほうが効率がいいと言われ、そうすることにした
- 知り合いが受けたIMRTを希望していたが、その人と比べるとPSA値が低かったこともあって、照射量の少ない三次元原体照射を勧められた
- 三次元原体照射を受けたが苦痛は全くない。機械のいかめしい感じに多少びびったり、動いてはいけないというのはあったが、わずかな時間だった
- 三次元原体照射は通院でも受けられるが、距離が遠かったのと日常生活に自信がなかったので、入院して受けた。その方が安心だった
- 晩期障害として、ちょうど2年たったころに直腸から出血があったが1回だけだった。IMRTでなく三次元原体照射にしてよかったと思う
- 玄米は農家と年間契約してレンゲ草を田んぼにすきこんで作るレンゲ米を取り寄せ、自分で炊いている。野菜は妻に頼んでジュースにしてもらう
- ストレスのない生き方が必要だと思ったので、家庭の中で努めて笑顔でいるようにしていると女房もそれに応えてくれる
- 新幹線で通院して放射線治療を受けた。交通費はかさむけれど、全て保険適用されている治療法だったので、今の医療制度には助けられていると感じる
- 娘が知的障害を持っているので、親亡きあとの娘のことが一番気がかりだ。障害者が地域で自立していける基盤づくりの活動に力を注いでいる