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診断時:60歳
インタビュー時:65歳(2008年8月)

九州地方在住で、会社員として勤務していた。2003年7月に健康診断を受け、PSA値の異常が発覚。密封小線源療法を希望したが、当時はまだ九州地方に施設がなかったため、導入されるまでホルモン療法を受けていた。ホルモン療法の副作用はつらかった。2005年4月に念願の小線源療法を受けた。入院期間も短くて済み、現在は近隣の総合病院で様子をみているが経過は良好。妻、娘と同居。一人暮らしをしている息子がいる。

語りの内容

最初、6発打って1発のときは「悪性細胞が出ました」ということなんですよね。悪性細胞っていうのは、まあ、がんでしょうから。先生、がんとはおっしゃいませんけど。悪性細胞とおっしゃったんだけど。で、「奥さんと2人で来てください」というようなことで、その後、多分その…何ていうの。その答えをですね、どっかに送って再確認されたみたいで。再確認の結果が出たときに2人で行って「通告していいですか」って。「通告してください」と。「2人に」ということで、「がんですよ」っていうことで通告してもらったんです。私はもう、そう思ってましたから、まあ、問題なかったんですけど。かみさんのほうが大変だったみたいです、はい。ね、やっぱがんって言われたら、びっくりしますよねえ(笑)。うん。
家族の者はね、特にかみさんあたりは「もう目の前がくらくらした」というようなことでね。知らんですからねえ、がんっていうこと自体に、もうびっくりするわけですね。「そんなん、がんといっても大したことはないんだ、このがんは」って。治療できるがんだと。手術できるという話で、私のほうがね、納得させるようなもんで。ただ、かみさんとしては、やっぱ、がん、がん、がんという話がありますから、どうしてもこれは自分がね、サポートして治さないかんと。治したらないかんというような気にはなったみたいですけどね。うん。まあ、えらく気を張ってねえ、「手術受けなさい。そしたら、もう大丈夫だ」とか何かね、逆におれを、私が言うようなことをね、また向こうが今度は言い出してね(笑)。最初のショックから直ったんでしょうね。うん。

私は: です。

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