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診断時:50歳
インタビュー時:52歳(2008年3月)
2006年4月に検診がきっかけで前立腺がんが見つかった。グリーソン・スコア9と悪性度が高く、全摘除術を勧められたが、勃起神経温存を希望し、他の治療方法を求めて情報を自力でかき集め、最終的には勃起神経温存の全摘除術を受けた。しかし術後PSAが1.1と高く、がんが残っている可能性を指摘され、化学療法とホルモン療法を開始。今後、本格的なホルモン療法を開始するか検討している。妻と小学生の子どもがいる。
語りの内容
むしろ一番きつかったのは、抗がん剤の副作用があって、倦怠感とか発熱とかも伴ったんで、それがきつかったかな。あと、髪の毛が抜けたのもちょっと困りましたね。
――そのときは何か対処されたんですか?
僕はもう、スキンヘッドでも何でもしたかったんですけども、そんな格好悪いの嫌だったという家族のあれで、かつらを買った…買ってます。
――それは、抜ける前に?
ある程度ね。うん、だいぶちょっと薄くなったかなっていうとき。だからスムーズに移行するっていうのはなかなか難しいんですよね。で、あれはやっぱり、かぶっている状態は、すごくうっとうしくて、どうかなっていう感じですね。
――倦怠感には、何か対処はされてたんですか?
鎮痛薬みたいなのはもらってたりはしましたけども。基本的には、例えばあんまりひどいときは休んで、じっとして。まあよく眠…ってたと思いますね。
インタビュー03
- 性機能温存のため放射線療法を受けるつもりでいたが、よく相談にのってくれ、神経温存も可能と話してくれた医師のもとで手術を受けることにした(音声のみ)
- 頻尿は朝がひどく、家を出てから会社に着くまでに駅でトイレに行く。ただ術前がひどかったので、それよりは術後のほうが改善している(音声のみ)
- 抗がん剤の副作用で倦怠感、発熱、脱毛があってきつかった。脱毛には家族の希望もあってかつらを買って使用した(音声のみ)
- 抗がん剤治療を受けていてあまり無理をしてはいけないと思うが、自分のからだのイメージが大きく変わったという感じはしない(音声のみ)
- 全摘除術後にPSAが高く、治っていないと分かったときには、頭が真っ白になって、心に鉛を飲み込んだような気持ちになった(音声のみ)
- 5年生存率を考えたとき、今小学生の子どもが卒業する頃には、自分はもういないのかなと思うと、ものすごく悲しい思いを持った(音声のみ)
- 残された時間を全力で生きれば、後悔せずに死ねるというけれど、そこまで行かない。今は希望や意欲が失われていると思う(音声のみ)
- 死を笑って迎えられたらいいと思う。死を当たり前のこととして、淡々と使命に燃えて生きられればいいが、そこまでは行けず悩んでいる(音声のみ)
- 最後に残された時間で大事なことをしなくてはと思うのだが、限られていると分かったところで、特別なことは出来ない。自暴自棄になる気持ちもある(音声のみ)
- いつ死ぬか分からないのも辛いが、死の恐怖があれば一生懸命生きられるかというと、そう単純でもない。先の話だと恐怖感も薄らぎ、どう準備すべきか考えられない(音声のみ)