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診断時:60歳
インタビュー時:64歳(2008年7月)
北海道に妻、母と3人で暮らす。2004年夏、公務員生活最後の職場健診で受けたPSA検査の結果がやや高く、3ヵ月様子を見たが下がらないので、生検を受けたところ、グリーソン・スコアが6の中分化型の前立腺がんと判明。手術を勧められたが、持病の糖尿病もあり、手術の身体への影響に不安を抱き、新聞で見かけたブラキセラピー(小線源療法)を受けたいと希望して転院。2005年6月に小線源の埋め込み手術を受けた。
語りの内容
これですね、それはもう絶対的な安全圏だとか、あの、絶対値っていうのはないんですね。ここまで下がったらもう安心だとか、ここまで上がったら、これはがん(再発)であるという、そういう値はないんです。極めて、あのー、個人個人によって違いますね。先ほど話しましたように、あの、最下点に到達するのに7年もかかったというような方も現にいるということで。しかも、途中でなぜ上がるかはもう理由はまだ解明されてないんですね。
ですから、どのくらいまでになると安全なんだということはありませんし、どのくらいまでになると危険だということが、あの、確定されたものはないわけなんですけども、ただ、自分の中でいろいろなこうデータを考えて、「この程度の上がりくらいでもってじたばたしちゃ、かえって体に悪いよ」という、そういう危険水域といいますか。危険ラインっていうのを決めておいたほうが、自身にとって健康的じゃないのかなというふうに感じまして。まあ、いろんなデータから、あの、+1までは全く不安を持たないような生活を今後送っていこうというふうに、あの、1年の契機に決めたわけでして、まあ、それが功を奏したのかどうか分かりませんけども、以来、順調に、ええ、PSAは下がり続けてます(笑)。
インタビュー17
- 前立腺がんの恐ろしいところは全く自覚症状がないまま進むこと。家系にかかった人がいる場合は若いうちからぜひ検査を受けた方がよい
- 診断を受けたとき、表面上は年相応に対応できたが頭は真っ白で、話も半分程度しか理解できなかった。何とか仕事をやり遂げようと思った
- 告知の質が問題のように思う。自分は担当医からきちんと言ってもらえたが、そうでない人もいると聞く。患者の立場に立って対応して欲しい
- 小線源療法が可能な病院に転院しなければならなかったが、担当医が自分の希望を支持してくれたので、無用な心配や遠慮なしに話すことが出来た
- 前立腺がんの場合は、これが一番いいという治療法はないので、自分で選んだ治療法ならばあきらめもつくと割り切って小線源療法を選択した
- 医師からは手術を勧められたが、大きな手術には必ず後遺症が出るので、残り少ない人生をそうは過ごしたくないと思い、小線源療法を希望した
- 体に負担が少なく、手術と同じ効果が得られると外国の文献で見たことがあったので、小線源治療を選んだ
- 小線源治療は、針を使ってカプセルを入れるので怖いかもしれないが、麻酔で痛みはないし1~2時間で終わるので生検と変わらない
- 挿入したカプセルのうち3個がどこかに行ってしまったと言われたが、後遺症が出た例はほとんどないので安心してくださいと言われた
- 小線源治療後PSA値が0.1ほど上がり、そうなると知ってはいたが驚いた。それからは一喜一憂しないようラインを自分で設定した
- 最低値到達に7年かかった人もいると聞くし、PSA値には個人差があるので、自分のデータを見て、危険域を決めておくと健康的に過ごせると思う