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診断時:57歳
インタビュー時:60歳(2008年2月)
診断当時は、企業の管理職として多忙な日々を送っていた。妻との間に子どもが3人。首都圏在住。吐き気、足のしびれ、腰痛など、2年近く体調不良を訴えて複数の医療機関を受診したが診断がつかず、2005年にようやく前立腺がん(ステージIV)の診断を受けた。ホルモン療法にて体調が改善したが、2年余りで再びPSA数値が上昇しつつある。
語りの内容
で、まあ前立腺の場合は骨転移、特に骨転移をするとお医者さまは、医師の方はですね、将来、骨折が起きるかも分からない、心配するわけですね。で、だったら、筋肉で守ればいいじゃないかとかって考えるわけですよね。だから、黙ってじっとしているんじゃなくて、もちろん無理のない範囲でね、あの、器具を使ったりすると痛めるので、バランスボールっていうのがあるんですけど。実はジムに行きました、ある程度体力が戻ってから。
あのー、イメージ、さっきイメージの話をしましたけど、じゃあ、4年、5年に(生存率が)10%しかないんだったら、じゃあ、10%の中に入りましょうと。で、入ってたとしたら、体の状態すごく良くなっている状態だろうなと。逆に5年後に、じゃあ、良くなっているというイメージを置こうということで、逆算して考えましょうと。5年後の目標はそのときに、もうすべてあきらめてた、それまで続けていた運動をやれるようになっているというイメージを置こうと。私は病気になる直前まで合気道をしてましたので、合気道の練習に参加するという目標を、5年後の目標を「合気道に参加しています。病気はどこかに行っちゃいました」っていうイメージを。そうすると、まあ、退院直後は体がね、動かない状態ですから、5年後のイメージに向けて、じゃあ、3年後にどういう状態、1年後にどういう状態って、逆算していったんですね。
で、いつからトレーニングを始めようかということも考えました。そういうイメージをこう持ったわけですよね。その一環で、さっき行った公園に行ってみよう、歩いていってみよう、えっと、自転車で行ってみよう、マウンテンバイク買ってみよう、1周回るのをもうちょっと頑張って2周回ろうということでやり始めたんですね。で、そうこうする間に体の調子が上がってきて、筋肉も付いてきていたので、じゃあ、ジムにも行っちゃおうと。骨折とかって心配されるんだったら、筋肉で守りましょうと。バランスボール、すべてをこうお話ししたら、トレーナーの方がね、じゃあ、体の中心の筋肉を支え、器具はなるべく使わないで、筋肉、中心の筋肉、じゃあ、バランスボールということで、インナーマッスルということらしいんですけど、それを鍛える練習方法を教えてくれて、それもやっていましたね。すごくそういう意味で調子がいいっていう期間がこう結構長かったですね。
で、まあ実は一番最新の状態で言いますと、再燃状態に数値上はなっていて。実は、えーと、ここのところ実は私自身はちょっと調子が悪いということが続いています。うーん、なので、今、まあそういったトレーニングは中止している状態なんですけどね、まあいつか再開したいなというように思っているわけですね。それは、1回はそういう、あの、トレーニングをして体の状態が良くなってきましたので、まあたとえPSAが上がろうと、私の場合はALPという骨の成分が溶けだしているという数値がものすごく今上がっていますけど、それはそれとしてね。
えーと、数値のこと、事実認識をするのは大事だけども、そういう状態になっても元気でやっていらっしゃる方もいっぱいいるってふうように聞いています。そういう情報に接することも、とても今としては気持ちを高めて支えになりますので、そういう方に、これからはね、そういう情報を自分としては求めて、えーと、そういう情報に接しようと。つまり仲間ですよね。もうそんな数値上はそうなっているかも分かんない。頑張っている方は一緒に、いっぱいいるんだったら、自分もまた、えーと、今は、取りあえず今は慎重に運動は再開してませんけども、慎重に、慎重に少し運動を再開したいと思っています。
インタビュー02
- がんだとわかる約2年前から胃のむかつきなど、身体からのメッセージに気づいてはいたが、どの病院でも異常は見つからなかった
- 症状はひどくなり、しびれや痛みも出てきて、会社に行けなくなるほどだったのに、どの病院でも「わからない」と言われてしまう
- 直腸診を受けた後に、生検をしないと確定診断は出来ないけれど、触った感じで表情が厳しい、立派ながんだと言われた
- 担当していた心理学の研修を通じて幸か不幸か、自分にとって大切なものが何かよくわかっていたので、気持ちを切り替えるようにした
- 告知を聞いたときは一人だった。家族は後から医師に呼ばれて診断を聞いたが、家内がとても明るかったので気持ちは楽だった
- 5年生存率10%という数値は統計にすぎない。その10%に入ればいいと自分は受け止めた。だけど、こうした告知の仕方はいかがなものかと思う
- 言い出しにくかったが、フィーリングの合う医師に主治医を替わってもらった。自分の考える治療法や話を聞いてくれる医師を選ぶことが大切だと思う
- 自分の場合は病期がステージ4で、手術や放射線療法はできないので、がんの勢いを落とすためにホルモン療法を使った
- ホルモン療法で胸が出て女性のようになり、ジムで裸になってシャワーを浴びるときに男性の目が気になり、プールにも行きづらい
- 統合医療の医師に第二の主治医としていろいろ相談している。いつも触診があり、話をよく聞いてくれるのが素晴らしい
- 再燃してPSAが100を超え、そのデータの重みから気持ちも重くなるけれど、家族が笑顔になるように助けてくれる
- 再燃状態にあるけれど、骨折に気をつけながら慎重に体を鍛え、数値が高くても元気でやっている仲間の存在を支えに頑張ろうと思う
- 末期の患者にとっては食事療法はたくさんあって迷うし、作る人にも負担がかかるので、がん患者のためのレシピ集があったらいいと思う
- 午後10時から午前2時までの細胞が再生される時間帯に睡眠をとることで免疫力が高まるというが、もともと夜型なので直すのが難しい
- ママチャリをマウンテンバイクに乗り換えて、近所の公園のグラウンドを走って鍛えている。運動すれば筋肉もつくし達成感が得られる
- 免疫細胞療法を受けてみたいが、ワンクール100万以上かかる。家族に何も残せないのに、わずかなお金すら自分のために使わせるのは、と悩む
- 進行がんの場合は特に、患者サポートの一つとして、経済的なアドバイスが出来る専門家が医療チームにいてくれるといいと思う
- 中小企業だったため休職期間が短く、退職後は手当を受け取れなくなった。末期がんで、闘病が長く続くような場合には社会的にサポートしてほしい
- ホルモン療法が著効した時期、パートででも仕事に戻りたかったので復職を職場に交渉したが、辞めて欲しいと断られた
- NPOの仕事を一旦は辞めたが、周りの支えがあったのと、キャリアコンサルタントとして成長し続けたいという思いから再開した
- 末期がんの診断をきっかけに、家族との時間を大事にしようと思った。幸い前立腺がんは時間があるため濃密な時間を過ごすことができている
- 病状と年齢のこともあって、夫婦関係(性生活)は棚上げになっているが、時間を共有することを目的に結婚したのだし、別にどうっていうことはない
- 同居中の実の両親が、たまたま不在で一緒に医師の説明を聞けず、後から聞くことになり、「あの時は随分疎外感を味わった」と言われてしまった
- 子どもには財産は残せないが、今、自分が幸せだということを伝えたい。恰好よくはないが、悩みながらも明るく生きる自分の姿が、唯一残せるものだと思う
- 末期がんであっても、捨てたものじゃない。幸せになる種はたくさんある。気持ちを切り替えることが大切だと思う