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診断時:57歳
インタビュー時:60歳(2008年2月)
診断当時は、企業の管理職として多忙な日々を送っていた。妻との間に子どもが3人。首都圏在住。吐き気、足のしびれ、腰痛など、2年近く体調不良を訴えて複数の医療機関を受診したが診断がつかず、2005年にようやく前立腺がん(ステージIV)の診断を受けた。ホルモン療法にて体調が改善したが、2年余りで再びPSA数値が上昇しつつある。
語りの内容
私は最初、病気が見つかってからは、もちろん仕事はもう休職しました。ただ、中小企業だったので、1年ちょっとしか、1年しかなかったんですよ、休職期間が。健康保険、ね、健康保険にはもちろん入っておりましたので、健康保険上はね、2年ぐらいは(※1)、本当は休職期間対象なんですね。休職手当(※2)というのが、健康保険で出ます。ところが、その前提というのは、社員であることが前提なんですね。会社がね、1年しか休職期間、認めないと、1年たったら退職になるんですね。そうするとね、社員の身分を失ってしまうと健康保険でのね、その傷病手当というのが効かなくなるんですよ。うん。使いたくても使えなくなっちゃうっていうね。
だから、その辺のことは社会的なサポートとして、末期のがん患者で、まだ特に前立腺がんのように、えっと、ある程度長く闘病が続く場合はですね、考慮していただきたいことですね。まあ、大企業や特に公務員、まあとても恵まれていて、休職期間もっと長いですよね。だから、休職中は傷病手当が出て、まあ最低でも6割…収入のね、それまでもらっていた 6割までは出るんですね。大企業だったら、ちょっと自前の補充分があったりして、8割出たりします。それから、休職期間も大手の場合は3年ぐらいとかっていうところも多いです。民間の場合でもね、でも、自分のところは中小企業だったんで、1年でしたね。そこはもうサラリーマンの場合ですよ。まあ自営の場合はね、まあ体をこう、いたわりながらでもね、多少こう、うまく要領よくやればですね、仕事はご家族の支援なんかがあればできると思うので、続けることは可能ですし、まあそういう意味で無理のない範囲で頑張るということもとても大切なことなので、おやりになったらいいと思うんですけど。サラリーマンで休職した場合はね、そこでどうするかということは現実問題として出てきます
(※1)正しくは一年半
(※2)正しくは傷病手当
インタビュー02
- がんだとわかる約2年前から胃のむかつきなど、身体からのメッセージに気づいてはいたが、どの病院でも異常は見つからなかった
- 症状はひどくなり、しびれや痛みも出てきて、会社に行けなくなるほどだったのに、どの病院でも「わからない」と言われてしまう
- 直腸診を受けた後に、生検をしないと確定診断は出来ないけれど、触った感じで表情が厳しい、立派ながんだと言われた
- 担当していた心理学の研修を通じて幸か不幸か、自分にとって大切なものが何かよくわかっていたので、気持ちを切り替えるようにした
- 告知を聞いたときは一人だった。家族は後から医師に呼ばれて診断を聞いたが、家内がとても明るかったので気持ちは楽だった
- 5年生存率10%という数値は統計にすぎない。その10%に入ればいいと自分は受け止めた。だけど、こうした告知の仕方はいかがなものかと思う
- 言い出しにくかったが、フィーリングの合う医師に主治医を替わってもらった。自分の考える治療法や話を聞いてくれる医師を選ぶことが大切だと思う
- 自分の場合は病期がステージ4で、手術や放射線療法はできないので、がんの勢いを落とすためにホルモン療法を使った
- ホルモン療法で胸が出て女性のようになり、ジムで裸になってシャワーを浴びるときに男性の目が気になり、プールにも行きづらい
- 統合医療の医師に第二の主治医としていろいろ相談している。いつも触診があり、話をよく聞いてくれるのが素晴らしい
- 再燃してPSAが100を超え、そのデータの重みから気持ちも重くなるけれど、家族が笑顔になるように助けてくれる
- 再燃状態にあるけれど、骨折に気をつけながら慎重に体を鍛え、数値が高くても元気でやっている仲間の存在を支えに頑張ろうと思う
- 末期の患者にとっては食事療法はたくさんあって迷うし、作る人にも負担がかかるので、がん患者のためのレシピ集があったらいいと思う
- 午後10時から午前2時までの細胞が再生される時間帯に睡眠をとることで免疫力が高まるというが、もともと夜型なので直すのが難しい
- ママチャリをマウンテンバイクに乗り換えて、近所の公園のグラウンドを走って鍛えている。運動すれば筋肉もつくし達成感が得られる
- 免疫細胞療法を受けてみたいが、ワンクール100万以上かかる。家族に何も残せないのに、わずかなお金すら自分のために使わせるのは、と悩む
- 進行がんの場合は特に、患者サポートの一つとして、経済的なアドバイスが出来る専門家が医療チームにいてくれるといいと思う
- 中小企業だったため休職期間が短く、退職後は手当を受け取れなくなった。末期がんで、闘病が長く続くような場合には社会的にサポートしてほしい
- ホルモン療法が著効した時期、パートででも仕事に戻りたかったので復職を職場に交渉したが、辞めて欲しいと断られた
- NPOの仕事を一旦は辞めたが、周りの支えがあったのと、キャリアコンサルタントとして成長し続けたいという思いから再開した
- 末期がんの診断をきっかけに、家族との時間を大事にしようと思った。幸い前立腺がんは時間があるため濃密な時間を過ごすことができている
- 病状と年齢のこともあって、夫婦関係(性生活)は棚上げになっているが、時間を共有することを目的に結婚したのだし、別にどうっていうことはない
- 同居中の実の両親が、たまたま不在で一緒に医師の説明を聞けず、後から聞くことになり、「あの時は随分疎外感を味わった」と言われてしまった
- 子どもには財産は残せないが、今、自分が幸せだということを伝えたい。恰好よくはないが、悩みながらも明るく生きる自分の姿が、唯一残せるものだと思う
- 末期がんであっても、捨てたものじゃない。幸せになる種はたくさんある。気持ちを切り替えることが大切だと思う