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診断時:65歳
インタビュー時:69歳(2009年2月)
首都圏在住。免疫細胞療法を行っている医療法人社団の理事。2004年秋に受けたPSA検査の値が13.1で、大学病院で生検を受けたところグリーソン・スコア3+4の前立腺がんが判明。重粒子線治療を受けることを前提にホルモン療法と免疫細胞療法を開始。2005年9月から5週間入院して重粒子線治療を受け、退院後も免疫細胞療法を受けた。それから3年以上経つが、今のところPSA値は0.35前後で安定している。
語りの内容
がんになったら自分は、の人生が短いとかね、あと何年しか生きられない、そういう思いは持ってません。それはもう全然別問題ですね。あの、がんになろうとなるまいとね、人間ていうのはやっぱりいつか死ぬわけですし、生と死という考え方は私、持たないんですよ。あの、「生死(しょうじ)」という仏教ではよく使いますけどね、生と死、生死(しょうじ)という。結局生まれたときから生と死は道連れだろうと。やっぱり生きていくっていうのは死に近づくわけですしね、そこんところがね、生と死という対決したもので見ていくと悩みが出てくるし、苦しみが出てくると思うんです。やっぱりそういうもんだと思っていけばね、そこに死が身近にあろうと先にあろうとね、それはもう避けて通れないっていうのかな、それは当たり前のことだと思えばね、そんなに悩むこともないのかな、と私は思いますね。
あのー、日本人、あんまり死ということを考えませんからね。いつまでも生きて、生きられるんじゃないかっていうような感覚持ってますけどね、やはりそういうもんでもないですからね。だから、割と私は、あの、いろんな人に相談されたり、身内の人にもよく言われますけども、うちで死にたいってよく言いますよね、患者さん、友達でもね。僕はいっつも言うんですけどね、うちで死にたけりゃね、自分であきらめる。そんなとことんまでいい医療受けてね、スパゲティみたくはっ付けてね。家族が介護できないようなね、ものをやって、しかもそれで苦しんで1年も2年もね、治るって分かればいいんだけどね、そろそろうちで死にたけりゃあきらめると言うんですよ。冷たいって言いますけどね、僕は、そう思いますしね。
自分ががんになって、つくづく最近よく、余計に思いますしね。私もがんになってるから、そういう意味じゃ、若干説得力あるんだと思いますけどね。すべてをぜいたくに、すべてを満足させて、…ていうことはなかなか不可能なことでね。なかなか、がんになって死というものを考えたときに、死っていうのは難しいな、と。それをどう自分自身も理解し、人にもどう理解してもらえるのかなってこと考えますね。あの、宗教的な言葉を使ったりなんかすることも簡単なんでしょうけども、まあ、あんまり私も信心深いほうじゃないですからね、なかなかそういうときにいい言葉出ませんけどもね。
インタビュー46
- 検診は大事。過剰医療や精神的負担などのリスクもついてまわるが、患者にとって早期発見は非常に大きなメリットだと思う
- がんと診断されたとき、5年生存率70%と言われたので何故そんなことを言われなきゃならないのか?と返し、その病院と縁を切った
- 病名はともかく、余命の告知は果たして行う必要があるのか疑問。必要のない余命告知は患者の寿命を縮めると思う
- 重粒子線治療の前後にホルモン療法を受けたが、通勤ラッシュの車内で汗が出たり、皮膚のかゆみや吹き出物が出たりして困った
- 重粒子線は身体に負担の少ない治療法と聞き、先端医療なので好奇心もあって受けた。治療費が一番の副作用だと思う
- 免疫細胞療法とは採血した血液から分離した免疫細胞を培養して増やし、再び点滴で体内に戻すというもので、身体的負担は少ないがお金のかかる医療だ
- 重粒子線治療は先進医療に位置付けられていたので、入院費などは保険が利くが治療費に314万かかった
- 生と死を対決したものとして見ると、悩み、苦しみが出てくる。生死は道連れで当たり前のものだと思えば、そんなに悩まないのでは