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診断時:76歳
インタビュー時:78歳(2008年9月)
診断を受けたときには九州地方の離島に在住。健診をきっかけにがんが見つかり、2007年の夏に同一県内の大学病院で密封小線源療法を受けた。現在は2ヵ月半から3ヵ月に1回、検査を受けるために島から高速船で通院している。妻と2人暮らし。自立している二人の娘が遠方にいる。
語りの内容
体そのものはどうもないけどな、前立腺に関してさ。どこがどうある、ここがこうあるいうような感じはないんやけど。ま、先生が見たら、どういうふうに言うかわからんけど、私自身は全然気にもしてないしね、ただ治らんの…治らんもんやという感覚だけで、こないだのテレビ見てね、あのこれはこう、もう一生、あの先生はあんなに言うたけども、やっぱ一生治らんのやわいうて。そそ、それならそれなりの、自分のやり方があるわというような感じがしてっからさ。
―― そうするとその前立腺がんにかかって一生治らんわというふうなのがあって、それによってこうご自身の今後の人生設計というか、こう方向がちょっと変わったというようなのはありますか。
いえ、全然ね、そんなことない。うん。
―― うん、それならそれでやりようがあるわっていうのは、どういうことなんですかね。
うん、もう結局、お迎えが来るんやったらいつでも来てくれ(笑)、ほうでその病院に行くのも、いつ行くかねえ、来いちゅうんやから、その日に行ったら気晴らしにもなるわってこうやって。金はいち、1万なんぼかか、かかるけどね。1回行ったらね、やっぱし2万近くかかんねやな。ぽっと百貨店なんかに入るでしょ、まず私が見に行くのは時計(笑)。時計とか靴。そんで着物は、身に着ける品物はこのごろ、あの、私らが着るようなもの置いてないからな、ほとんど若いもん向きでしょう。着る品物は。こんなん私が着たって似合わんわなって、自分で解釈して、そんなに目はないけどな(笑)、時計と靴には魅力はあんねん。うん。