診断時:50歳
インタビュー時:52歳(2008年3月)

2006年4月に検診がきっかけで前立腺がんが見つかった。グリーソン・スコア9と悪性度が高く、全摘除術を勧められたが、勃起神経温存を希望し、他の治療方法を求めて情報を自力でかき集め、最終的には勃起神経温存の全摘除術を受けた。しかし術後PSAが1.1と高く、がんが残っている可能性を指摘され、化学療法とホルモン療法を開始。今後、本格的なホルモン療法を開始するか検討している。妻と小学生の子どもがいる。

プロフィール詳細

A.Gさんは団体職員で、小学生の子ども2人の父親であり、妻との4人暮らしである。2005年の暮れ、親戚で前立腺がんにかかった人の話を耳にし、その時はあまり気にとめてはいなかったが、やっぱり受けたほうがいいと思い立って、2006年4月頃、PSA検査を受けに近隣では有名な民間病院を訪れた。すると6.07という値で、がんの疑いがあると伝えられた。精密検査で、グリーソン・スコア9で悪性度のかなり高い前立腺がんだと告げられた時にはショックで頭が真っ白になった。昔から尿の出が悪いという感じがあったが、前立腺がんだなんて全く思いもよらなかった。

動揺している自分に医師は「手術しかない」と言った。「そんな馬鹿な。他にないんですか」と聞いたが「基本的には手術でしょう」とあっさり返され、あまり相談にはのってもらえなかった。それから1ヶ月、自分で調べに調べた。バイブルのように読み込んだ垣添忠生著「前立腺がんで死なないために」という本をベースに、確実に治せて、生活の質が確保できる方法を探そうと思った。勃起機能を失いたくないという気持ちが強かった。インターネットであれこれ調べ、ブラキセラピーに関する体験談を見つけ、その担当のA医師に手紙を出すと対応できるという返事だったので、元の病院には放射線治療受けたいのでとセカンドオピニオンの希望を伝えた。

A医師を訪ねて、近くの国立病院に行くつもりでいたが、知人を介して、やや遠方の国立大学のB医師を紹介され、意見だけでもと軽い気持ちで会ってみることにした。やはり手術を勧められたが、B医師とはかなり詳しく話ができ、一番心配な神経温存についても「精妙にやれば残せる」と説明をもらった。「最近は放射線も成績がいい。紹介状も書きますよ」とも言われたが、「もし手術であれば全身全霊でやる」という言葉を聞き、気持ちが大きく変わり、この先生にお願いしようと決めた。

手術そのものは無事終わった。が、2週間後PSA検査をしたところ1.1と高く、がんが残っていると言われた。主治医の勧めで、化学療法を始めたが副作用がきつく、PSAもあまり下がらなかった。現在はホルモン療法と化学療法の組み合わせを色々試しているが、数値的には予断を許さない状況で、そろそろ本格的なホルモン療法や放射線治療も視野に入れる段階に来ている。

毎日があっという間に過ぎている気がする。日常の仕事をしながら、こんなことをしていてもいいのかな、もっと大事なことをしなければと思うけれど、特別なことをやろうとするとおかしくなる気もする。子どもが小学校を卒業するときに、自分は生きているだろうかと想像すると、ひどく悲しみを感じることもある。でも誰にでも訪れる死なのだから、死をどう見つめるかが大事なのではないかと思えるときもある。とても難しいことだとは思うけれど、死を笑って迎えられたら、すごくいいなと思っている。自分の病気の事はごく親しい人にのみ話していて、本当に、真剣に心配してくれる人の存在は、やはり救いになっていると感じている。

私は: です。

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