診断時:71歳
インタビュー時:72歳(2008年6月)
首都圏在住。大腸がん、肺がん(再発あり)、心筋梗塞、脳梗塞なども経験している。毎年市のPSA検診を受けてきたが、2004年の検診で4を超えたため、都内の病院で生検を受けたが、生検時の手技と医師の対応に疑問を感じ、地元の病院に転院して2007年5月に前立腺全摘除術を受けた。術後1年余り経過して、時折尿漏れの不安があるが、ほとんどパッドはつけなくてもよい状態になっている。
プロフィール詳細
首都圏で妻と二人の年金生活を送っているI.Rさんは、2007年2月に前立腺がんの診断を受けた。がんはこれで3つ目。最初は1987年に大腸がんが見つかって手術。1994年に原発性の肺がんがみつかり、右中葉全摘手術を受けたが、4年後に再発で部分手術。部位を限らないがんの患者会にも参加していたこともある。さらに心筋梗塞と一過性脳梗塞も経験している。
毎年市の検診でPSA検査を受けていたが、2004年の検診でPSA値が4を超えたため、肺がんの治療を受けた都内の病院で生検を受けた。このときの結果ではすぐに治療が必要とはされなかったので、しばらく経過観察を続けたが、生検時の手技と医師の対応に疑問を感じたのと、手術を受けるなら家に近いほうがいいと思い、2006年11月に大手社会福祉法人が経営する地元の総合病院に転院。翌年1月末に生検を受けたところ、グリーソン・スコアは3+4の7で、中分化の前立腺がんと診断された。治療法については、重粒子線やIMRTなどの情報も集めたが、時間がかかることや当時はどちらも自由診療であったこともあり(現在IMRTは保険適応)、前立腺全摘除術を選択した。
当時は趣味である絵の展覧会の世話役で大変忙しい時期だったため、PSA値が10を越えていないので大したことはないと考え、展覧会が終わってから5月に入院した。術後の経過はよかったが、集中治療室の看護師の対応に疑問を感じることが多かった。また、尿道留置カテーテルでは尿の流出がスムーズにいかないことが多いので、カテーテルの改良が必要だと感じた。術後はかなりあった尿漏れも、紙おむつや生理用品などいろいろ試すうちに、次第によくなってきた。1~2ヵ月前に寝ている間に失禁してしまってとてもショックだったが、もうそろそろパッドなしで出かけてもいいかもしれないと思う。
大腸がんになったときは、こんながんで死ぬわけはないと思いながらも内心かなり動揺したが、前立腺がんは、おそらく寿命で死ぬ方が多いだろうと思っているので、それほど慌てることはなかった。ただ、日ごろから、自分の戒名を考えたり、火葬場に見学に言ったりして、死に対する準備はしている。
毎年市の検診でPSA検査を受けていたが、2004年の検診でPSA値が4を超えたため、肺がんの治療を受けた都内の病院で生検を受けた。このときの結果ではすぐに治療が必要とはされなかったので、しばらく経過観察を続けたが、生検時の手技と医師の対応に疑問を感じたのと、手術を受けるなら家に近いほうがいいと思い、2006年11月に大手社会福祉法人が経営する地元の総合病院に転院。翌年1月末に生検を受けたところ、グリーソン・スコアは3+4の7で、中分化の前立腺がんと診断された。治療法については、重粒子線やIMRTなどの情報も集めたが、時間がかかることや当時はどちらも自由診療であったこともあり(現在IMRTは保険適応)、前立腺全摘除術を選択した。
当時は趣味である絵の展覧会の世話役で大変忙しい時期だったため、PSA値が10を越えていないので大したことはないと考え、展覧会が終わってから5月に入院した。術後の経過はよかったが、集中治療室の看護師の対応に疑問を感じることが多かった。また、尿道留置カテーテルでは尿の流出がスムーズにいかないことが多いので、カテーテルの改良が必要だと感じた。術後はかなりあった尿漏れも、紙おむつや生理用品などいろいろ試すうちに、次第によくなってきた。1~2ヵ月前に寝ている間に失禁してしまってとてもショックだったが、もうそろそろパッドなしで出かけてもいいかもしれないと思う。
大腸がんになったときは、こんながんで死ぬわけはないと思いながらも内心かなり動揺したが、前立腺がんは、おそらく寿命で死ぬ方が多いだろうと思っているので、それほど慌てることはなかった。ただ、日ごろから、自分の戒名を考えたり、火葬場に見学に言ったりして、死に対する準備はしている。
インタビュー11
- PSA値が10を越していないし、大したことないと思ったので自分が世話役でやっている展覧会を終えてから入院しようと思った(テキストのみ)
- TVなどの報道で、放射線治療を受けると、もう手術は受けられないとあるのを見て、これはやっぱり手術をしないといけないなと思った(テキストのみ)
- 以前よりだいぶ浸透したけれど、医師の方からセカンド・オピニオンを積極的に勧めて欲しいと思う
- 膀胱留置カテーテルを抜いたあと、漏らさずにどのくらい尿を貯められるか調べるため、排尿のたびに尿量を測っていた。医師が一歩前進三歩後退だと励ましてくれた
- 尿漏れの状況に合わせて切ったおむつをペニスに巻いたり、おむつの種類や介護用パンツを工夫し、今は女性用パッドを使っている
- パッドを当てているとどうしてもズボンの前が膨らんでしまうが、見舞いにもらった丈が長めのシャツが役立った(テキストのみ)
- 手術後は肛門周囲の筋肉が麻痺したようになり、肛門に指を入れて括約筋を締める運動を習ったが、なかなか難しかった
- 明るい気持ちで生活せよと言われても笑顔は作れるけど、下の方がジメジメして気持ちいいものじゃない。女性の気持ちがわかった
- 雑誌でIMRTや重粒子線が紹介されていて関心を持ったが、費用が高いためあきらめた(テキストのみ)(※)このインタビューはIMRT・粒子線治療が保険診療外だった、2008年に行われました。
- 死への慣れを作るために自分で戒名を作り、火葬場の見学にも行った。地獄の蓋の材質まで研究していれば怖くないし、長生きできると思う(テキストのみ)
- 自分は死ぬわけがないと妻も自分も思っている。あと何ヶ月と言われて信じた人は死んでしまうものだ。医者と喧嘩してでも明るく生きた方が良い(テキストのみ)