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診断時:64歳
インタビュー時:75歳(2008年5月)
東海地方在住。学校法人の理事をしていた1995年に診断を受けた。その5年ほど前から残尿感があり、前立腺炎の診断で投薬を受けていたが、改善したので自分から通院を中止した。1995年10月、再び残尿感が出てきたので受診したところ、PSA値が22で、生検の結果、前立腺がんと診断された。翌年1月に根治的前立腺摘除術を受けたが、術後10年を経て少しずつPSAの値が上がってきたので、再治療を検討している。
語りの内容
細胞を採って検査をするっていうことも、私は最初簡単に思っていたんです。ところが案外そうじゃなくて、入院をして、お腹の中をまあ空っぽにして、下剤はかけられるやら、まあ食事もしませんですわね。そして検査の日を迎えたんですけど。まあ検査は、実際にはどうやってるかはよくわかりません。お腹の向こうにこう、布(きれ)がかかっていましてよくわかりませんが、前立腺って、普通まあ栗より大きいくらいのところを、先生がおっしゃるには12等分して、そこから1つずつ細胞を採ると。そして検査しますよということだったんですね。それで、その主治医の先生は院長だったんですけど、それから直接作業するドクターと2人で話をしながら、私はもう下半身麻酔されていますから、何か採る器具を挿入されたって、全然痛みも何もありませんですね。それで、ただそれを入れて採る瞬間に「カチン」って音がするんですね。それが何かこう気持ちが悪くてね。そうしてそれを、まあ12回音を聞いて、やっと済んだかと。そうしたらその採る作業をするドクターが、それぞれ1つの細胞を採ったやつを、1つ、何て言いますか、入れるガラスの瓶のようなものに入れましてね、そいつを12本見せてくれました。で、こうやりますと細胞がちゃんと1つずつ浮いてるんですねえ。まあそういうのを見せて、これで検査しますからということを言ってくれまして、それでまあ、その日は帰ってきたんです。
インタビュー10
- 生検はもっと簡単だと思っていたが、案外そうではなかった。全然痛みはなかったが、カチンという音が気持ち悪かった
- 生検結果でwell differentiated(高分化という意味)とあるのをみて、ステーキの焼き方みたいだと言った。がんでもいいほうだと言われた
- 診断を聞き「どうして自分が?」と、ひどく気分が悪くなった。家内が夜、布団で泣いているのを聞いて、苦労させてしまうなと思い、落ち込んだ
- 術前検査で心電図に異常があり、心エコーと24時間ホルター心電図の検査をした。輸血に備えて自己血を800cc取った
- 手術前の医師からの説明では、手術時間や手術のリスク、麻酔のリスクなど怖い話ばかりされた
- 手術室に運ばれて、テレビで見たようなもんだと思っているうちに、スーッと意識がなくなった。意識が戻ったときは生きていると思って嬉しくなった
- 手術直後は寒気がして、それから2日間くらい38度台の熱が出た
- 手術後に腸の動きが徐々に回復していったが、ガスが出るまで5日くらいかかった。食事が始まったころ、力が湧いてきた
- 尿漏れパッドや専用の下着を使ったが、一番困ったのはゴルフでハーフも回れず、早々にやめてしまった
- 下着やパッドを使い、早めにトイレに行けば、長時間の歩行やダンスもできるし、旅行にも行ける
- 自分は完全なインポテンツにはならなかったが、夫婦生活で困っている人は勃起を補助する器具を使うことも一つの方法だろう(音声のみ)
- 術後11年かけてPSA値が上昇、再治療をしなければという段階にある。今後はがんと共存するつもりだが、その前に打つ手はなかったのかとも思う
- 目標を持って元気に生きることが免疫にいいと考えて、ウォーキングやラジオ体操に加え、社交ダンスを始めた
- どこまで効果があるかわからないが、腹式呼吸や指もみなどもやっている
- 学校法人に勤めていた10年前、前立腺がんであることを話すと、理事長から「手術して元気で帰ってこい、代理を立てておくから」と言われた