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診断時:62歳
インタビュー時:71歳(2008年10月)
首都圏在住で妻と子どもとの4人暮らし。別の病気を疑って受診したがんセンターで、軽い気持ちで受けたPSA検査の値が高く、定期的に通院。4年後がんが発見された。高線量率組織内照射を受けるが再発。渡米して冷凍療法を受けた。それから4年が経過した今、徐々にPSA値が上がり始め、次をどうするか考えている。統合医療の医師にもかかり、免疫力を高めることを意識して代替療法を取り入れ、趣味のダンスを楽しんでいる。
語りの内容
僕はちょっと特異なケースかもしれませんけど、何か自覚症状があったとかいうんではなくてですね、たまたま私、50代中ごろに、咳が出て胸が痛くて、そういう自覚症状があって、非常に困ってたんですね。で、あるがんセンターにかかってですね、検査してもらって。最初なんともなかったんですけど、そのうちにあの、ちょっとおかしいなっていうことになって、精密検査をするようになったんですね。それは口からワイヤーを入れて、肺の中に入れて、サンプルを採ってきて検査する、がん細胞の検査をする。それをやったんですけども、実際には何も出なかったんですね。だから肺がんの恐れはまったくないということで、そのときは無罪放免になったんですけども(笑)。でもね、やっぱり恐いじゃないですか。そういうこともあり得ると思って、その後定期的にそのがんセンターには通っていたんですね。あすこは何て言いましたっけ、呼吸器科ってところなんですけど、通ってたんですね。そうしましたら、たまたまその呼吸器科の隣が泌尿器科だったんですよ。で、呼吸器科はもう本当に、いつ行っても20~30人の患者が待ってまして、それこそ半日以上かかっちゃうんですよね、いっぺん行くと。ほとんど待っている時間で、終わっちゃうみたいな。で、隣の泌尿器科はもう、いつ行っても2、3人しかいなくって(笑)。なんだここはと思ってたんですけど、じゃ待ってる間無駄だからね、時間的に。僕も年だから泌尿器科の検査でもしてもらおうかと思って行ったんですよ。で、検査したんですよ。検査って、PSAの検査ですけどね。
――ご自身ではPSAについて、どんなふうに理解されていたんですか。
要するに血液の中にある、特異なたんぱく質の濃度を測ることができる検査なんですけど、その濃度が一定の数値以上になると、がんの可能性多くなるという…ま、言ってみれば指標ですよね。そういうふうに理解しています。それがいきなり10.5ぐらいになってたんですね、最初。で、これはおかしいっていうんで、定期的にまたPSAも測るようになったんですね。ですから、それ以来泌尿器科も行くようになってしまって、定期的に。で、だんだん数字が増えてったんですね、数値的には。
インタビュー30
- 肺がんを疑ってがんセンターの呼吸器科を受診したとき、ふと思い立って隣の泌尿器科でPSA検査を受けたら、値が高かったので定期的に受け始めた
- 医師から治療法を示され「どれでも妥当だから選んでください」と言われて困ってしまった
- どの病院がいいか分からなかったので、たまたま目にした本の新聞広告で見つけた医師にセカンド・オピニオンを受けに行ってみた
- 高線量率組織内照射法を臨床試験として受けた。放射線を直接当てるので、副作用の心配も少ない画期的な方法だと聞き、受けることにした
- HDRは治療自体に苦痛がなかったので、こんなので治るのかと不安だった。3年後PSAが上がり始めてしまい、再発と判断せざるを得なくなった
- 放射線治療後にPSA再発したため、クライオセラピーの検討を開始。骨シンチで転移が認められなかったので、渡米して治療を受けることにした
- 先に放射線をかけていて選択肢が限られてしまったため、クライオセラピーを選んだが、4年しか持たなかった
- クライオセラピーは全身麻酔で1時間程度の日帰り手術だった
- クライオセラピーの施術後1週間は尿道カテーテルと尿を溜める袋をつけたままで過ごしたが、痛みはなかった
- クライオの後1週間ほどで血尿は収まったが、日本に帰国してから尿が漏れるようになり、4年経っても治らない
- アメリカの病院で受けたクライオは治療費だけで300万円、ホテル代や航空運賃を含めると360万円ぐらいかかった
- 放射線治療後にPSA値が7.5まで上がり、主治医は再発とは言わなかったが、何かしなければと言われ、米国で冷凍療法を受けることにした
- 再発を確認するためだけに生検を受けるのは嫌だ。医師は絶対にありえないと言うが、生検は転移のリスクを高めると自分では思っている
- 精神的な強さがないとがんは治らない。病気のことばかり考えているのではなく、やりたいものを探して精力をつぎ込むほうがいい
- 自分の病気が子どもたちに、親にも寿命があることを認識させ、精神的な自立を促すきっかけになったと思う
- 70歳を超えているが、まだ粘りたい。前立腺がんが生まれて初めての大病なので勝ちたい、1日でもいいから長生きしたいと思っている