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診断時:70歳
インタビュー時:76歳(2008年5月)

首都圏在住。2002年2月、血尿が出たため、がん専門病院を受診したところ、PSA値は300を超えており、グリーソン・スコア9という進行がんと診断された。放射線療法とホルモン療法の併用を勧められたが、強く希望してホルモン療法のみで様子を見ることになった。経過が良かったので2007年は1年間ホルモン注射も休止したが、その後PSA値の上昇が見られたため、2008年4月からホルモン注射を再開した。

語りの内容

まあ年齢的にもね、将来に対するうんぬんという…。将来の中にもちろん命も入ると思うんでしょうけど、寿命の。ですから、私なんかの年齢でそうなったとき、私の場合はそういう意味での将来っていうのは、あと命がね…何年。それ以外に将来っていうのは考えられなかったですよね。それは子どものあれとか孫の将来とか、これは別ですけどね。私自身の病気を宣告されて、将来はって言ったらば、私の将来ってのは、私があと何年これで手術できなくて何年生きられるのか。その残された何年かを私はいかにね、弱りきった病人じゃなくていかに過ごせるか。これが私にとって一番大きなテーマっていうか課題でしたね。それの選択肢が何度も言いましたけど、病人にならないで、手術できないで、こうなるんなら、あれもやるこれもやるんじゃなくてね、自分が納得して自分が後悔もしないで、主治医にも感謝しながらね、治療して生活、あと残りのあれをいくって、これはもうホルモン療法だけで。ここで今放射線かけちゃったら、もしかしたらね、排尿困難かなんかも併発して。そして、そういうことと闘いながら生きるのも生き方かもしれないけど。私は、全く健康じゃないけどね、まあとにかく、なんていうのかな、自分の尊厳をね、尊厳を保って生きていくには私はもう、これっきりないだろうと、そういうつもりでしたね。だから命そのものは諦めたんです、手術できないと言われたときにね。あとは残りの1年のうち、何日健康で過ごせたか、過ごせるか。そのうちの大半を病人で過ごすんだったら私はもう、そうなっちゃった自分の存在、尊厳さ、それは考えたくない、認めたくない。命を、放射線かけないでやったら、私は寿命を縮めるかもしれないけど、その寿命の中でね、私がいかに私らしく生きられるかっていうことを私流に考えた選択が「放射線は勘弁してください」っていう。

私は: です。

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