前立腺がんは男性ホルモンの影響を受けて病気が進行するという特徴があるため、男性ホルモンの分泌や働きを抑えて、がん細胞の増殖を抑制しようとする内分泌療法がしばしば用いられます。その方法としては、男性ホルモンを抑制したり、男性ホルモンの作用の発現を抑えたりする薬物療法が主流ですが、男性ホルモンを分泌する精巣そのものを手術で取り除く方法もあります。
内分泌療法は、主にがんが前立腺の外に浸潤していたり、遠隔転移をしていたりして、手術や放射線療法などの局所療法が使えない場合に用いられますが、浸潤や転移がなくても本人の年齢や健康状態、意向に合わせて、手術や放射線療法をせずに内分泌療法を用いることもあります(そうした例については治療法の選択・意思決定をご覧ください)。また、転移がなくて局所療法を選択する場合も、その前後に内分泌療法を行うことがあります。そのため、インタビューでは多くの人が薬物による内分泌療法を経験していました。
インタビューに答えた人たちの中には、診断時に既に浸潤や遠隔転移が認められ、直ちに薬物による内分泌療法が始まったという人たちがいる一方、手術や放射線療法を受けて一旦PSAの値が下がっていたのが、再び上昇に転じたり(PSA再発)、新たに遠隔転移が発見されたりして、内分泌療法を始めた人たちもいました。
一方、比較的早期のがんと診断され、手術や放射線療法、HIFUを選んだ人たちの中にも、その前後に内分泌療法を経験した人がいました。手術や放射線療法などの根治を目的とした治療をした後でも、術中に周囲への浸潤やリンパ節転移がみつかるなどして、再発のリスクが高いと懸念される場合は、治療後に内分泌療法を行うケースがあります(アジュバント療法)。一方、これらの根治的治療を始める前に、腫瘍を弱らせたり小さくしたりするために、短期間内分泌療法を行う場合もあります(ネオアジュバント療法*)。さらに、根治的な治療法が決まるまでの間に、とりあえずホルモン療法を始めたという人もいました。
*ネオアジュバント療法:日本泌尿器学会編『前立腺癌診療ガイドライン 2012年版』(金原出版、2012年)によると、放射線療法に対するネオアジュバント療法は、再発リスクが中程度のがんにおいては治療成績の改善が期待されていますが、手術療法に対するネオアジュバント療法は治療成績の向上につながらないとされています。
内分泌療法に用いられる薬には大きく分けて2種類あります。、一つは精巣からの男性ホルモンの分泌を促すホルモン(LH-RH)を抑制する注射薬で、これまではLH-RHアゴニストという薬(リュープリンやゾラデックス)が使われてきましたが、2012年からはこれにLH-RHアンタゴニストという薬(ゴナックス)が加わりました。もう一つは、男性ホルモンが前立腺に作用することを抑える抗男性ホルモン剤(カソデックスやオダイン等)と呼ばれる飲み薬です。**
男性ホルモンは精巣以外に副腎からも分泌されるので、LH-RHアゴニスト(またはアンタゴニスト)だけで完全に男性ホルモンを抑制することはできません。そこで前立腺細胞内での男性ホルモンの働きを遮断する抗男性ホルモン剤を合わせて使うことで、がん細胞の増殖を最大限に抑え込もうとするのが、MAB(maximum androgen blockade=男性ホルモン完全抑制療法)と呼ばれる治療法です(最近はCAB〈combined andorogen blockade〉とも呼ばれます)。私たちのインタビューに答えた人の多くが注射と飲み薬の組み合わせで治療を受けていました。
**これらのホルモン剤のほかに、欧米ではアビラテロン(アンドロゲン合成阻害剤)やエンザルタミド(経口アンドロゲン受容体阻害剤)が承認されており、現在日本でも治験が行われています。
リュープリンなどの注射薬は「徐放性」と言って、長期間にわたって少しずつ薬の成分が効いて行くように、皮膚の下に薬効成分の入ったマイクロカプセルを埋め込むような仕組みになっています。そのため通常の皮下注射より太く、かなり痛かったという人もいました。
ホルモン抵抗性***の問題
こうした薬物療法は、進行した前立腺がんでは2~3年で抵抗性が出てきて、次第に効きにくくなっていくとされています。いったん薬物治療で下がったPSA値が再び上がりだす状態を「再燃」といい、そういう場合には女性ホルモン剤や副腎皮質ホルモン剤(ステロイド)なども使われますが、こちらも同様に次第に効きにくくなっていきます。インタビューでは内分泌療法を受けている多くの人が、抵抗性の問題について言及していました。
医師から「この薬はあと3年くらいしか効かない」と説明されてショックを受けて別の病院に移った人もいますが(セカンド・オピニオンのインタビュー33)、1つの薬に抵抗性ができても次々に違う薬に替えていけば大丈夫、と考えて気持ちを立て直した人もいます。それならば薬に頼らず、自己治癒力を高めようと考えた人もいました。中には、PSAがかなり高くなるまで治療の開始を遅らせた人もいました。
***「去勢抵抗性」とも言います。
このように多くの人がホルモン療法がいずれ効かなくなるのではないかという不安を持っていましたが、必ずしもすべての人が2~3年で薬が効かなくなって、病気が進行するとは限りません。私たちのインタビューでは手術ができないと言われ、ホルモン療法のみで6年め、7年めを迎えている人たちもいました。
また、ホルモン薬を継続的に使うのではなく、一定期間使用したら一旦休薬して、再び一定のPSA値まで上昇してきた時点で使用を再開するという方法もあります。これは間歇(欠)療法と呼ばれ、より長い期間同じ薬を使えるようにすることを目的に行なわれていますが、日本泌尿器科学会編『前立腺癌診療ガイドライン2012年版』(金原出版、2012年)では、持続的投与と間歇的投与のどちらがいいかの結論はまだ出ていないとされています。私たちのインタビューでも手術後の再発で間歇療法を受けている人がいました。
間歇療法がPSA再燃を防ぐかどうかははっきりしていませんが、副作用の軽減によるQOLの改善、治療費の削減にもつながることから、中には医師の指示とは関係なく、自己判断で休薬している人もいました。但し、主治医に相談した上でPSAや男性ホルモンの値を見ながら投与間隔を決めるのが望ましいことは言うまでもありません。
また、MAB療法を受けている場合に、飲み薬である抗男性ホルモン剤の服用を中止して注射薬だけにすると、一時的にPSAの値が下がることがあります(抗アンドロゲン除去症候群)。私たちのインタビューでも注射薬のみにしたところ、PSA値が下がったという人がいました。
副作用の問題
薬物療法の副作用は、大きくは身体的な変化と精神的な変化に分けられます。男性ホルモンの分泌や働きを抑制することにより、体つきや皮膚・体毛などが女性に近づき、女性の更年期障害のようにのぼせたり、性欲の減退や勃起障害が起きたりすることがあります。さらに肝機能障害や骨量の低下といった、必ずしも自覚されない、時には重い副作用が生じることもあります。そうした身体的な変化に関連して、強い倦怠感を感じたり、無気力・うつになったりすることもあり、妙に細かいことが気になるとか闘争心がわかないといったことを訴える人もいます。
以下、多種多様な副作用に関する語りを紹介しますが、それは必ずしもホルモン療法の副作用が他の治療法に比べて重い、ということではありません。すべての人にこれらの副作用が出るわけではありませんし、中にはほとんど気にならないという人もいます。
乳房の変化
乳房の変化については多くの人が言及していました。乳首が衣服とこすれて痛いという人もいますが、多くの人は温泉やプールなどで他人の目に触れることを気にしていました。
筋力・体力の低下
筋肉質でごつごつとした感じだった体が、筋肉が落ちて丸みを帯びた女性的な体になった、階段を上がったり、山登りをしたりするのがしんどくなった、といった声も聞かれました。
体重の増加
ホルモン療法で体重が増えてしまった、あるいは体重が落ちにくくなった、という人もいます。中には、診断がつく前に体重が落ちていて、薬で体調が良くなったことで食欲が出て以前の体重に戻った、と話す人もいました。
皮膚・体毛の変化
多くの人が頭髪が増えて、わき毛、すね毛などの体毛が減ったと話していました。皮脂や肌のきめなどにも変化があったと話す人もいました。
のぼせ・火照り
女性の更年期でも見られるのぼせや火照り(ホットフラッシュ)や発汗も、複数の人が話していました。既に仕事を引退して家で過ごすことが多い年齢層の人は、比較的気にしていませんでしたが、現役世代の人にとって突然の発汗は悩みの種のようです。中には汗もや吹き出物ができて困った、という人もいました。
性機能障害
内分泌療法では男性ホルモンを抑制するので、勃起障害(ED)が起きることがあります。また性器自体が委縮して子どものようになってしまった、と話す人もいました。性機能障害の受け止め方は、人により様々です。「60代なのでもう関係ない」という人もいれば、「最後まで男でいたい」という人もいます。また、それまでの症状があまりにも辛かったので、それから解放されることが何よりも大事だった、という人もいます。性欲自体も抑制されるため、勃起障害自体は気にならないという意見もありました。
精神的な変化
ホルモン療法では、体力の低下や疲れやすさを訴える人は多いですが、それが意欲や闘争心の低下を引き起こし、さらに強度の倦怠感やうつ症状をつながっていく場合もあるようです。薬の種類を変えたり、漢方などを用いたりすることで症状が改善することもあります。そうした気分の落ち込みとは別に、以前より細かいことに気づくようになり、気持ちが優しくなったと感じた人もいましたし、まったく精神的な変化を感じなかった人もいました。
こうした副作用の他に、関節の痛みや顔面のしびれ、注射部位の化膿などを訴える人もいましたし、骨量の減少を心配する声もありました。このように様々な副作用の体験談がありましたが、一方で治療を始める前の状態が非常に悪かったり、抗がん剤の副作用についての知識があったりした人からは、ホルモン薬の副作用は大したことはないという声も聞かれました。
精巣摘除術
精巣摘除術は除睾(じょこう)術とも呼ばれ、LH-RHアゴニストの投与と同様、精巣から出る男性ホルモンの影響を遮断することを目的に行われますので、副作用もLH-RHアゴニストと似たような症状が見られます。薬物療法であれば休薬すれば比較的短期間に副作用から解放されますが、いったん手術をしてしまうと、男性ホルモンを回復することはできませんし、手術自体の体への負担もありますから、薬物療法を選ぶのが一般的です。それでも医療費の負担(LH-RHアゴニストは3ヶ月効果が持続するリュープリンを例にとると薬価が2013年7月現在76,000円で、3割負担でも1回22,800円以上)や注射のための通院が面倒といった理由から、手術を選んだ人がいました。
認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。