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診断時:71歳
インタビュー時:80歳(2008年12月)
首都圏在住。75歳で引退するまで50年余り教職にあった。1999年、定期健診を契機に前立腺がんが判明して、ホルモン療法を開始。PSA値が思うように下がらないことから、前立腺全摘除術を受けたところ、術後、排便・排尿のコントロールがうまく行かなくなり、うつ状態に陥った。当時まだ現役でもあり、これではいけないと40日間山ごもりをして般若心経を唱えることで立ち直ることができた。妻、娘家族との6人暮らし。
語りの内容
やっぱりがん患者になると、自分は、自分の親との関係、それから、自分と子どもとの関係、えー、あの、連れ合いとの関係なんかに対するね、罪意識を持つように思うんですよ。だから、今の話は、まあ本当に分析っていうか、あ、倫理的っていうか、何というか、哲学的っていうか、分析のしようもないような、こう実存の不思議さっていうところに誘い込まれるんですね。そう僕はやっぱり思ってまして。それなら、何かやっぱり僕にだって何かできないわけはないって思っているんですね。何かこう、何ていうのかな。共に生きさせてもらうっていうか、そういう共鳴感覚みたいなところに、こう一緒に入れば。うーん。
で、あのね、『良寛さんのうた』の中にですね。うん、「形見とて、何残すらむ」かな。形見とて何残すらん。「何か残さん」でもいいですけども、どっちかですね。「形見とて何か残さん春は花 夏、えー、夏ほととぎすうん。秋はもみじ葉」っていうのがあるんですね。僕は良寛の復活感覚だと思ってんですよ。だから、良寛の共鳴感覚、振動感覚っていうか、さっきのひびき感覚みたいのは。あのう、形見っていうのは何なんでしょうね。よく分かんないけど。形見って、なかなかいろんな含みを持っていて面白いでしょう。えー、そ、そんなふうな思いがあるんですね。だから、良寛の中にある、こう再生問題っていうのは、死と再生の問題っていうか、復活感覚みたいのは、非常にうまく出ているなって思いますね。
あのう、何、何っていうのかよく分かんないんだけど。まあだから、結局自分が死んだときに、極楽往生とか、何とかっていうようなレベルではどうにもならないっていうか。うーん、やっぱり、えー、何かこう支え合いの中で生きるというところに気が付けば、うつ状態は抜けられないわけではない。分かりませんよ。理論的には、何も僕は分かんないんですけども。しかし、それを、それを揺り動かすのは生きた人間しかない。えー、何かこう知識では駄目だし。えー、だから、共に、共にどうすりゃいいんでしょうかね。えー、共に唱えるかな。あー、共にこう唱えるとか、ずっといれば、何か出口、どっかで来るよってな感じなんですな。言葉で言ったってね、しょうがないです。
私の場合には、その個人的には般若心経ですけど。それから、人と一緒にその響きをつくる。こだま、こだまの中に一緒に入るとでもいうか、それの具体的なものは、実は体を動かす。体が体を動かす、みんなと一緒に動かす。スポーツをやることなんかもいいんじゃないかなと僕は思いますね。
インタビュー39
- トイレに頻繁に通うことでいらいらし、家族と距離を置きたいと思ったことから、うつ的な自分に気づいた
- 毎日30種類ぐらいのものを少量食べるようにしている。自分の体が要求するものを敏感に感じ取る能力が大事だと思う
- 生活の質を上げるためにストレッチや丹田呼吸法を続けている。体質を変えて免疫力を高めるような指導が治療の中に入らないのは残念だと思う
- がんは一つの恵みである。痛みがなければ自分を再発見することなど絶対に出来ない。レールを乗り換えるチャンスになる
- かつて座禅を組み、耐えがたい猛烈な痛みが「どうとでもなれ」と思った瞬間、耐えられる痛みに変わるという、人生の大きな洞察を得る経験をした
- 手術そのものはうまく行ったが、スピリチュアルな痛みと向き合う中でうつ状態になった。40日間の山ごもりと般若心経を13ヶ月間唱え続けることで回復できた
- 言葉や知識ではなく、般若心経を唱え、その響き合いに身をおいたり、支え合いに気づいたりすることが、がんになった後のうつからの回復には必要だった