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診断時:74歳
インタビュー時:81歳(2008年5月)
北関東地方在住。2001年に前立腺がんが全身に転移しており、余命半年と診断された。このとき、PSAが600。すぐにホルモン療法(注射)を開始。同時に身辺整理などを始めたが、徐々にPSAが下降し、ホルモン療法(注射)を続けながら、7年が経過し、現在に至る。妻と二人暮らし。息子が二人いる。元教員で、退職後は障害者施設の設立、地域で社会活動に取り組んできた。
語りの内容
私は教員をやっていたんですけども、一番、教員が大事にしてた閻魔帳、教務手帳っていうのがあるんですよね。まあ、生徒はみんな、閻魔帳と言っていましたが、その閻魔帳には、一人ひとりの、成績が全部載ってる。えー、性格も載ってる。で、一番最後に、えー、学籍簿にいろんなことを書かなくちゃいけない。その、まあ、準備段階で、いろんなことを、その、書き込んでいました。これだけは生徒に見せたくない。絶対これは、もう私だけの秘密事項だから、誰にも見せたくない。で、これは何とか始末しよう。で、昭和22年に中学に勤めたので、えー、それから30冊の教務手帳を、この家の前の狭い庭で、えー、火をつけて、たき火をして、燃しました。こう1ページこう見ながらね、「ああ、こういう生徒もいたっけなー」「あ、こういう生徒もいたな。手を焼いたなー」なんて思いながらね、1枚破って、いろいろ思い出にふけりながら、えー、焼きました。
で、ちょうど、うーん、海岸べりを、パタパタパタパタ、裸足で歩いている、あの渚に跡付いた自分の足跡を、次の波がどぶーんと来て、あの、足跡を消すように、今、自分の生きてきた過去を、「ああ、これで全部消えるな」という感じですよね。で、もちろん、まあ泣かなかったけど、心では泣いてましたね。で、写真も、いろんな思い出の写真もありましたが、それも整理をしました。
そのうちに、余命半年っていうのが、2ヶ月経っても、3ヶ月経っても、弱る気配がない。これはあと2~3ヶ月持つな。あと1ヶ月持つなというのが分かって、整理するのがだんだん鈍って、いまだに写真は整理終わらないで、元のまんまになってしまいました。
でも、そのときの、こう、感じっていうのは、うーーん、何でしょうね。この木の色、うーん、まあ、モミジなら赤、あの若葉の青、そういうの見ているだけで、「ああ、人間っていうのは生きる価値があるな」。うーん、「柳は緑、花は紅」っていう、まあ、有名なことわざがありますけれども、えー、柳は一生懸命に、誰と競争することもなしに青。うーん、花は誰に、見る人がいなくとも赤。それぞれ、自分の一生をこう終わるわけなんだけど、「ああ、この緑、この赤、この空の色、これを見てるだけで、生きる価値があるな」と思いながら、えー、写真の整理をしたり、教務手帳を破ったり、そういうことをしながら、えー、まあ、半年を過ぎたということですね。まあ、そういうことです。はい。