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診断時:49歳
インタビュー時:53歳(2009年1月)

東北地方在住で、6人家族。現役の地方公務員として多忙な毎日を過ごしている。人間ドックをきっかけに、2004年9月に前立腺がんと診断され、ホルモン療法開始。インターネットを使って情報を集め、隣県の大学病院でIMRTを受けるが再発。温熱療法、HIFU、その後エストラサイトとタキソテールによる治療となったが、タキソテールの副作用が強く、現在はエストラサイトで経過を見ている。

語りの内容

実は、正直言って、わたしの友人がですね、それこそ、別な末期がんになっていた人がいるんですよ。どうしてもその人と重ねてしまうとかね。精神的には、そういうことのほうがずっとつらかったですねえ。結局、彼は、同じ年のわたしよりも、半年前に告知を受けて、1年半…半後にはもう亡くなったんですけど。…うん、それがつらかったですねえ。うん、自分と重ね合わせるわけですよ、当然。いずれ、わたしもということも含めて。あの、よく話して、その死に対する考え方、死に対する覚悟のようなことが、えー、まことしやかに、わたしは本人と話したとき実際そういう話はしません。死に対するどう、どうだこうだっていうのは。もっと前向きに対処する方法。先生と、どたな話しているんだ、どんな話して治療に向かっているんだぐらいのあれなんだけど。ほかのこころもとない、彼の周りの友人は、その「覚悟ができている」とか何とかみたいな話までどうもしていたようですけども。わたしはそこで、あの、すごい怒りを覚えたですね。
つまり、死なんて、覚悟しなくてもですね、いずれ訪れるっていうのがわたしのあれなんですけども。やっぱり、覚悟っていう言葉使うんならば、いやむしろ、治療っていうか、むしろ、何にして、どう対処したら、対応していったらいいかっていう覚悟をね、覚悟って同じ言葉使うなら、そっちのほうに使ってほしい、使うべきだって。こんなのは、詭弁かもしれません、ある意味。死を目前にした人間からすると。わたしが言っているなんか、あの、詭弁かもしれませんけども。そうじゃなくて、もうだから、ある意味開きなおりの部分も必要だろうけども。覚悟するならば、もっと、もっと別なものに対する覚悟っていうのも、もがいても、おれはこういうものをやってやるぞ。つまり、同じ、こういう言葉がいいか悪いか分かんないですけども、その友人に対する冒涜(ぼうとく)になるかもしれませんけれども、同じ状況にわたしもなるとしたらですね、もがいてもがいて、そして、何かのためにというか、何、誰かが、わたしのこの大変ていうか、あの、苦しんだ部分をいかしてほしいとか。もう、大学っていうか、専門のね先生方をこういうふうに言うけれども、実際はそうじゃねえんだぞと。国のほうでは、こんなことに取り組んで一生懸命やっているんだけれど、そうじゃねえんだぞと。われわれは、普通の人間は、病いにかかるとこうなんだぞと…とかね、やっぱり、その非痛な叫びをですね、何かの方法で伝える方法ないのかなということは、告知されて1年経って、えー、IMRTという治療を受けて、それでも、再燃したという、PSAがまた再び上がってきたというときから、あー、そういうふうな考えにわたしはなりましたね。という時期がですね、実は、友人が亡くなった時期なんですよ。

私は: です。

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