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診断時:50歳
インタビュー時:52歳(2008年3月)

2006年4月に検診がきっかけで前立腺がんが見つかった。グリーソン・スコア9と悪性度が高く、全摘除術を勧められたが、勃起神経温存を希望し、他の治療方法を求めて情報を自力でかき集め、最終的には勃起神経温存の全摘除術を受けた。しかし術後PSAが1.1と高く、がんが残っている可能性を指摘され、化学療法とホルモン療法を開始。今後、本格的なホルモン療法を開始するか検討している。妻と小学生の子どもがいる。

語りの内容

 自分としても、そのー、一番しんどかったときっていうのは、今もまあ、そうなんですけど、これからどういう状況が起こってくるのかとか。要するに、いつ死ぬのか分かればいいんですけど、まあ、それはなかなか難しいだろうと。まあ、本にも書いてたかな。患者から聞かれると。「あとどれぐらいですか?」そうすると医者は、まあ、安全を見て、一番短い数字を言うと。で、長引いたら、長かったら、「先生、ありがとうございました。おかげでずっとそれ、何カ月、何年長くなりました」って言ってくれるけど、それはたまたま短めに言ってたからであって、それはなかなか分かりませんよっていうことなんですけど。
 まあ、そのプロセス、自分がどの段階でどうなっていくかっていうの分かって、それについてどういう準備をしていくかと。それが、まあ、1年後か、5年後か、10年後か、20年後か。そういう…20年後やったら、もう人間、ちょっと考えれないし。するんですけど。まあ、そこがどうしたらいいのかなっていうのをもっと考える方法があればいいなと思いますね。
 あの、一番しんどかった、もう駄目だなと思った、その診断を受けて、可能性、確率を見るとね、病期がなんぼであれば、5年生存確率が何%とか。その数字が非常に悪ければ、非常に悲観しますし。
 だから、まあ、根治すれば一番いいんですけど、根治しなかった場合、ま、今私、そういう状況で、先生は、主治医の先生は「長期化するよ」っていうようなことを言ってるから、まあ、それはある意味助かることでもあるんだけども、以前、手術の直前に受けた説明の中では、えっと、「再発まで5年、再発してから3年ぐらいですね」って言ってましたですね。そうすると……。標準的なところで。まあ8年。8年だって長いかなとか思うんですけど、まあ日々、非常にスピードが速い時間で過ぎてるなっていうような気もしますし。
 で、一番つらかったときっていうのは、例えば子供が、小学生ですけど、卒業するときにはいないかなとか思うと、ものすごくやっぱり悲しい思いをしたし。例えば、あのー、地上デジタル放送が2011年に始まると。ああ、そのころにはもういないんだろうなとか。*えー、2年前に思ってました。5年は厳しいんだろうなとも思ってたところですね。まあ、今のところ、まあ、すぐに駄目にはならないんですけど、そう長いこともないんかなというか。いうふうなことも思いながら。
 ただ、死の恐怖があれば、毎日が一生懸命生きれるかっていったら、そう単純でもなくて。まあ、でも、死の……今、今の気持ちを言えば、それほど恐怖感にさいなまれてる状況ではない。ただ漠然と、かなり厳しい状況にあるとは思いますが、それと自分の感覚とが、あるときは一致したり、あるときは…人間って、まあ、あんまり賢くなくてですね、何年か先のこととなれば、あんまりそれが、恐怖感として思わないとかですね。その辺をどうするかなっていうのは……。まあ、宗教的なことに走るのか。走るっていうとおかしいですけど、いろいろ考えてみたりですね。そこの考え方いうのは、なかなか難しいですよね。
 でも、まあ、誰もがそれは、訪れるというか、いずれはあるっていうことなんですけど。そこを何とか、誰かと話ができたらいいけど、まあ、なかなかそういうことは、人と話しても分からないんかなあという感じですね。

*このインタビューは2008年に行われました。

私は: です。

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