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診断時:57歳
インタビュー時:60歳(2008年2月)
診断当時は、企業の管理職として多忙な日々を送っていた。妻との間に子どもが3人。首都圏在住。吐き気、足のしびれ、腰痛など、2年近く体調不良を訴えて複数の医療機関を受診したが診断がつかず、2005年にようやく前立腺がん(ステージIV)の診断を受けた。ホルモン療法にて体調が改善したが、2年余りで再びPSA数値が上昇しつつある。
語りの内容
で、実は、私は、私の両親がまだおるんですけど、一緒に住んでおりますけどね。それがね、こんなエピソードがありますね。ちょっと誤解、ありがちな誤解なんかもわからないけど。あのー、えっと、たまたま病院に行ってた家族、妻、子ども3人、4 人が告知を受けた、説明を受けたんですね。で、両親はそのときいなかったんだと思いますよ。その場にね。まあ、あの、いたのに呼ばなかったということじゃ なくて、「ご家族の方」と言われたときにいなかったんだと思うんですね。
で、自宅に家内が病院から帰って、子どもたちも帰った後、えっと、父と母に話をしたらしいんですね。で、それは後で分かったんですけどね。えっとー、父と母はそのときね、疎外感を随分味わったみたいなんですね。親からすると、自分の息子ですよね。自分の命に替えてもっていうくらい。えー、自分たちが先に死ぬと思っていたのに、えー、まあ、ね、医師の診断で言えば、子どもが先に逝っちゃうって分かったときの落胆ぶりは、あの、まあ想像すれば分かりますね。
だから、その中で、えっと、家族の方に話が、家族の方と呼ばれて告知を受けて話を聞いてきたのが、えーと、まあ自分の家内とね、だけだったので、すごくね、さみしかったらしいんですよ。その、同じ家族なのに、自分たちは家族じゃないのかみたいな、決して家内が忘れていったんじゃなくて、たまたまいなかったから、ね。で、後からその説明をしにいったときに、自分は家族じゃないのか、みたいにね、ちょっと思っちゃったってことを、後で、あと、別の機会にね、えーと、「実はあのときに泣いたんだ」というふうに。親が泣いたということは聞きました。
だから、そんなことはあるかも分かんないですね、だから、まあえーと、大変ですね、がん患者になると、そうはいろいろ気を遣っていられないかも分からないけど(笑)、まあもしも余裕があったら、お話をされるんだったら、もう家族全員集めて話をされたらいいのかも分かんないですね。その場に呼ばれないと、自分は家族じゃないのかって思う家族もいるみたいなので。まあ、あの、うちでのエピソードですけど(笑)、そんなことはありました。
インタビュー02
- がんだとわかる約2年前から胃のむかつきなど、身体からのメッセージに気づいてはいたが、どの病院でも異常は見つからなかった
- 症状はひどくなり、しびれや痛みも出てきて、会社に行けなくなるほどだったのに、どの病院でも「わからない」と言われてしまう
- 直腸診を受けた後に、生検をしないと確定診断は出来ないけれど、触った感じで表情が厳しい、立派ながんだと言われた
- 担当していた心理学の研修を通じて幸か不幸か、自分にとって大切なものが何かよくわかっていたので、気持ちを切り替えるようにした
- 告知を聞いたときは一人だった。家族は後から医師に呼ばれて診断を聞いたが、家内がとても明るかったので気持ちは楽だった
- 5年生存率10%という数値は統計にすぎない。その10%に入ればいいと自分は受け止めた。だけど、こうした告知の仕方はいかがなものかと思う
- 言い出しにくかったが、フィーリングの合う医師に主治医を替わってもらった。自分の考える治療法や話を聞いてくれる医師を選ぶことが大切だと思う
- 自分の場合は病期がステージ4で、手術や放射線療法はできないので、がんの勢いを落とすためにホルモン療法を使った
- ホルモン療法で胸が出て女性のようになり、ジムで裸になってシャワーを浴びるときに男性の目が気になり、プールにも行きづらい
- 統合医療の医師に第二の主治医としていろいろ相談している。いつも触診があり、話をよく聞いてくれるのが素晴らしい
- 再燃してPSAが100を超え、そのデータの重みから気持ちも重くなるけれど、家族が笑顔になるように助けてくれる
- 再燃状態にあるけれど、骨折に気をつけながら慎重に体を鍛え、数値が高くても元気でやっている仲間の存在を支えに頑張ろうと思う
- 末期の患者にとっては食事療法はたくさんあって迷うし、作る人にも負担がかかるので、がん患者のためのレシピ集があったらいいと思う
- 午後10時から午前2時までの細胞が再生される時間帯に睡眠をとることで免疫力が高まるというが、もともと夜型なので直すのが難しい
- ママチャリをマウンテンバイクに乗り換えて、近所の公園のグラウンドを走って鍛えている。運動すれば筋肉もつくし達成感が得られる
- 免疫細胞療法を受けてみたいが、ワンクール100万以上かかる。家族に何も残せないのに、わずかなお金すら自分のために使わせるのは、と悩む
- 進行がんの場合は特に、患者サポートの一つとして、経済的なアドバイスが出来る専門家が医療チームにいてくれるといいと思う
- 中小企業だったため休職期間が短く、退職後は手当を受け取れなくなった。末期がんで、闘病が長く続くような場合には社会的にサポートしてほしい
- ホルモン療法が著効した時期、パートででも仕事に戻りたかったので復職を職場に交渉したが、辞めて欲しいと断られた
- NPOの仕事を一旦は辞めたが、周りの支えがあったのと、キャリアコンサルタントとして成長し続けたいという思いから再開した
- 末期がんの診断をきっかけに、家族との時間を大事にしようと思った。幸い前立腺がんは時間があるため濃密な時間を過ごすことができている
- 病状と年齢のこともあって、夫婦関係(性生活)は棚上げになっているが、時間を共有することを目的に結婚したのだし、別にどうっていうことはない
- 同居中の実の両親が、たまたま不在で一緒に医師の説明を聞けず、後から聞くことになり、「あの時は随分疎外感を味わった」と言われてしまった
- 子どもには財産は残せないが、今、自分が幸せだということを伝えたい。恰好よくはないが、悩みながらも明るく生きる自分の姿が、唯一残せるものだと思う
- 末期がんであっても、捨てたものじゃない。幸せになる種はたくさんある。気持ちを切り替えることが大切だと思う