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診断時:60歳
インタビュー時:61歳(2008年8月)
診断時は首都圏で妻と二人暮らし。定期健診で精密検査となり07年7月に診断を受けた。ホルモン療法が唯一の治療と言われ様々な心労が重なりうつ状態に。定年後、再雇用制度で継続勤務予定だったが病気を理由に更新を拒否された。故郷九州に戻り信頼できる医師と出会い諦めていた放射線治療が可能と言われ08年2月から併用治療を受けた。将来転移再燃の不安はあるが現在は安定。知人の和尚さんとの対話に多くを学ぶ日々である。
語りの内容
一応3月で(雇用が)終わって、手続きをして、取りあえずは年金の一部と、それから、今、失業保険ですな。それをもらった中で…それでも月に直すと20万は行きませんわね。まあ、女房と私と2人だけですから、食う分はそこそこ。ところが、ご存じの通り、あと、食う分はそれでいいんですが、光熱費だとか、ほかのまた税金だとかね、必ず払わにゃいかんやつ。それ考えると、完全マイナス、赤ですね。
私が経験してきた中では、少なくとも、(年金支給を)延ばした4年間、その措置ぐらい何とかしろよという。で実は、社会保険事務所(※現在の年金事務所)にも行ってみたんですが、「何か本当に働けませんという証明ができれば、簡単にいく」と。「働けません」ちって、見た通りのあれやから、「どう見てもおっさん、あんた、働けん体じゃないよね」というふうな。「いや、わしはこうして、がんのあれ、ありまっせ」というふうな。「いやそれでも、体動かんのですか?」「うん、ここ(頭)は動かん」って。「体はここまで来たけん、動くっちゃろうね」っていうような話。「ああ、そら出まへんな」って。「出まへんな」っちゅうか、「対象になりませんな」という。
まあ、ルールはそうなっとるんでね。わしは、たまたま…そしたら、今度は、真似する奴が出てくる、必ず。五体満足であっても、ええとこだけ持っていくというね。まあ、それをこう歯止めかけるためのルール、そのためのルールがあるんでしょうけどもね。うん。ということで、今のは愚痴でござんす。
でも、何とかそれはねえ、してもらいたいよねえ。特にわしらの後は、もう65でしょ。65は、今まで…55が60になり、60が65になり、やっていくんで…うん。やっぱサラリーマンちゅうのは、その辺がきついとこですな。うん。やっぱり運ですかなあ。「下駄になり、琴になるのも桐の運」っちってね。うん。
インタビュー22
- 診断を受ける約2年前から、下腹がしぶる感じがあったり、お酒を飲んだ後、尿意を我慢できなくなることもあった
- 生検後の夜の痛みがひどかった。尿道カテーテルの挿入部がずきずき痛み、抜いた後も血尿が出たり、1週間ほど排尿痛がひどかった
- 閉所恐怖症なので、MRI検査の時に発狂するかもと思った。担当技師が、つらかったらボタンを押すよう笑顔で言ってくれ、安心して受けられた
- 診断を受け、地獄に引きずり込まれるようだった。がんなら死ぬ、でも死にたくない、その繰り返しでパニック状態だった
- 最初は服薬、それから注射の2本立てで、しばらくしのぐことになったが、父親が胃がんで外科手術を受けていて、薬だけで効くのか心配だった
- ホルモン療法は効かなくなると本で読み落ち込んだが、5年で効かなくなっても別の薬でまた5年と繰り返していけば平均寿命だといわれて救われた
- 最初の病院ではホルモン療法しかないと言われていた。放射線治療を受けられて、5年生存率が5割以上に上がったと希望が持てるようになった
- 診断後、気落ちのため全く仕事にならず雇用継続を断られてしまった。65歳前の年金受給を希望したが「身体が動くなら支給対象にならない」と言われてしまった
- 考えても解決するわけではないが、病気が長引くことで、今後お金をどう工面したらいのか、経済的な不安を感じる
- 治療への不安と通院、新しい仕事が重なりパニック状態に。上司に相談したものの、特別扱いという訳にはいかず、段々うつ状態になってしまった
- 診断を受けて落ち込む自分に妻は発破をかけたが、「がんばれ」と言われるときつかった。自分の落ち込みがうつってしまい、妻も参ってしまった
- 和尚様に「死にたくない」と訴えた。「今は底。頭の中でこねくり回さず、気持ちを預けて信じることで光が見える」とヒントをもらい、少しずつ元に戻ってきた