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診断時:58歳
インタビュー時:58歳
九州地方在住。2008年3月に診断を受け、4月に前立腺全摘除術(勃起神経温存)を受けた。術後は会陰部の痛みがひどかったが、4ヵ月が経過した今はなくなり、尿漏れがごくたまに起こる程度。3ヵ月に1回の検査で経過を見ている。5年前に妻をがんで亡くしていて、妻の闘病中には、懸命にがんについて勉強した。建設会社で総務の仕事をしている。子どもたち3人はすでに自立。愛犬と暮らしている。
語りの内容
入院期間中は、そのうちで、ま、連休をちょっと使ったので、その分が、あとは電話、ですかね。携帯電話が掛けられる、あの、病棟内にあったんで、それで済ました。で、あとはもう引き継いでおりましたんで、それでみなさん、みんながやってくれてたんで、そんなに心配はしなかったですね。もう会社の人も心配しなくていいからということで、サポートしてくれてました ので、ありがたかったですね。
――会社の方には、じゃあその前立腺がんのことはお話になったんですか。
もちろん支店長のほうに、真っ先に自分はがんだと、手術を恐らくするだろうから長期欠勤になりますからというお話をしたんです。で、心配したんですけど、お前早期だろう、どうせって言うから、どうせって言い方だったかな(笑)、多分そうだと思いますって。あ、そんなら大丈夫だからって、逆に慰められました(笑)。
――じゃあ職場の方には、わりと積極的に、ご自身ががんだってことはお伝えになってたんですか。
言いましたよ、生検の結果が出たとき、ちょっと今日結果聞きに言ってくるからっつって、行って、帰ってきてどうだった?って言うから「がんだった」って。会社の子が「きゃー」とか言って(笑)。却ってそのほうがいいからですね、本当は隠したほうがいいよっていう人もいるんですけど、もう私自身、隠すとかえってあれだからって、がんだがんだって言いふらしはしないですけど、聞かれたらがんだよって。そして、そしたらたまたま支店長か、そういえば会社の、あ、まあ本社の人ですけれども、彼も前立腺がんだった、もう退院してきたばっかりだぞって、そしたらすぐ彼に連絡取って、そしたらやっぱいろんなアドバイスしてくれましたよ。それはありがたかったです。
インタビュー23
- 手術は怖かったが、完全に取れて、中がどうなっているかわかるのがいいと思い、その場で即決した
- 術前に医師から尿失禁やインポテンツの話を聞いた。勃起神経を残してほしいと希望した
- 手術前の不安は、主治医に率直に不安を伝え、「手術と決めたらもう勉強などせず医師に預けた方がいい」という友人のアドバイスをもとに対処した
- 手術後、膀胱留置カテーテルが辛かった。抜けることが心配だったが、看護師に管の先に風船がついているから抜けないと説明されて安心した
- 術後に痛くて骨盤底筋体操をすることができなかった。説明してくれたら、もう少しがんばろうかなという気になったと思う
- 職場復帰後、何度もトイレに通いパッドの交換をしていたのは、少し惨めな気持ちだった
- 勃起神経は温存しているが、パイプカットした状態で、射精が出来ないと後から聞いた。考えてみればしょうがないと思った
- 早期と聞いたので小線源治療を希望したが、性質の悪い細胞があるからと全摘手術を勧められた
- 病院から勧められ高額療養費の事前申請をしていたので、治療費の立て替えもしなくて済み、がん保険にも入っていたので負担は感じなかった
- 職場にはがんであることを隠さず伝えた。社内の同病の人から色んなアドバイスをもらったし、全摘手術で入院する際にはサポートしてもらった
- 手術後一番気になったのは、子どもたちががんのリスクが高くなったなということ。がんだとわかったときには、すぐに電話をして伝えた