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診断時:77歳
インタビュー時:84歳(2008年6月)
平成13年に診断を受け、同年ホルモン療法を開始。外来通院で、最初は注射と服薬だったが、現在は服薬(カソデックス)のみになっている。若いころから身体に不調を感じることが多かったため、東洋医学を学んだ経験がある。その経験をもとに、自分なりに様々な工夫をし、主治医にその結果や自分の意思を伝え、相談しながら治療を進めている。北関東地方在住で、妻と二人暮らし。老人会の会長職を務めている。
語りの内容
ただね、いつも何がしか…あんのは、うーん、転移ね、これだけですね。転移という、そのね、これははっきり悪魔ですね。転移という悪魔に、えー、取り憑(つ)かれないように何とか、したいなあということが一番ですかね。あとはもう今並でね、えー、仲良くがんと一緒に長生き出来るような気がするんだけど。それとさっき言ったその、ここで機運に乗ってね、がんとおさらばを決めるかどうかだね。そういう選択肢をこれから模索していきたいと思っていますね。
――おさらばっていうのは、どういう状態になったらおさらばなんでしょうね。
うん。あの、やっぱり、えー、根治っていうのはありうるんだろうと思うんですよね。あの、活動が、がんとしての活動が止まるという。どうも何回計測してもPSAが、極端に言えば0だと、1以上になんないと、あるいは2以上にならないとかという状況が無条件で続けばね、一応私は完治だと思っている。いつの日かそれをね、えー、目指して、作戦を練ろうと思ってる。
――無条件っていうのは、今ももちろん1より低いですけど、お薬を飲んでらっしゃるから。
そうそう、これは明らかにね、薬のお世話になっているからだと思ってます。だからこれをゼロにしたらどういうことになるかと、ときどきはそうしてみたいな というね。その中央病院の、先生の論文じゃないが、半年なら半年ぐらい(ホルモン療法を)休んでみてもいいんだとこう言うんですよね。それで経過を見ると。うーん、というのは、その意味はその結局何の病気もそうだけど、患者が、どれだけその、んー、自分の生活を病気からのその、病気のためのマイナス要因、これが生活の中にね、作用する、それを極限までそのマイナス要因を減らしていくと。だから今の場合だったら、うちらだったら、その、副作用、なるべく排除したいと、軽減したいと、いうとこですよね。それがその自分の暮らしをなるべく正常なものにすることだから。うん。ということでね、勝負ですね。うん。
インタビュー13
- 定期的にPSAを測っていると値が段々上がってきたので、「おかしい、精密検査をやった方がいい」と自ら主治医に提案した
- 戦時中、軍隊で相当苦労を経験したので、前立腺がんでは驚かなかった。緩慢な進行だし「いい友達だ、適当に付き合っていこう」と思った
- 最初は、手術をして取ってしまいたいと思ったが、医師から手術も100%完治する訳ではないと聞いて、ホルモン療法を受けることにした
- ホルモン剤を飲み忘れても検査結果は変わらない。一時休薬して様子を見る方法があるという論文があるのを知り、自己裁量で薬の量を減らす実験を始めた
- 転移という悪魔に取り憑(つ)かれないようにしたい。ホルモン療法を受けながら、がんと仲良く長生きするのもいいが、いつの日か完治を目指そうと思っている
- 転移したときに、今の自分の経済力で太刀打ちできるのかという不安は絶えずある。安心して病気になれない