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診断時:60歳
インタビュー時:65歳(2008年8月)
九州地方在住で、会社員として勤務していた。2003年7月に健康診断を受け、PSA値の異常が発覚。密封小線源療法を希望したが、当時はまだ九州地方に施設がなかったため、導入されるまでホルモン療法を受けていた。ホルモン療法の副作用はつらかった。2005年4月に念願の小線源療法を受けた。入院期間も短くて済み、現在は近隣の総合病院で様子をみているが経過は良好。妻、娘と同居。一人暮らしをしている息子がいる。
語りの内容
で、まあ、その当時の話では、「まあ、2時間もあれば済みますよ」と。自信満々にこうおっしゃったんですけどね(笑)。はい。じゃあ安心だなと、えらい、えらい簡単やなというふうに、私は内心思ったんですけどね。はい。それで、実際に「2005年の4月に手術しましょう」ということに、そこまで決めて。それから大学病院のほうで、定期的にまた、検査を受けまして、日にちを決めましたということで、2005年の4月の末ですかね。「末にじゃあ、やりましょう。26日に入院、27日に手術しましょう」と。「はあ、えらい簡単ですね」と。「前の日…入った次が、手術ですか」って言ったら「うん、こんなもんですよ」ってなことでね、非常に私も内心びっくりするような、簡単な進行だったですね。
で、私、気付いたのは、手術が終わってから気付いたわけですが、もう夕方なんですよね。目が覚めたのは。「うん? どうしたことや。どれくらい寝とったんやろか」と思いましたら、実際、2時間ぐらいの予定がね、6時間ぐらいかかったということなんですよ。というのは、後から聞いた話なんですが、私がまだ頭から(その病院で小線源治療を受けた)3番目ぐらいだったと。手術がですね。だから先生たちも、まあ、いろいろ模索しながらやられたと。位置がよく決めきらんかったと。だから「位置決めにね、大変時間がかかって申し訳なかったけど、手術は成功しましたよ」というようなことで、無事、手術は終了しました。もう6時間も、へんてこな格好でね、こんな格好で手術受けるわけですから、節々が痛くてね。もうまともじゃなかったですけどね、はい。もう手術そのものはもう簡単で、それからすぐ、もう車いすでベッドに連れてかれまして。
インタビュー21
- PSA検査を知らなかった。発見が遅れて亡くなった人も知っているし、今では職場の同僚で年齢の高い人には受けるよう勧めている
- 生検の結果、6か所のうち1か所がん細胞が出てきて、「幸いにして1発あたった」という医師の説明に、自分でもそう思った
- 診断を聞いたとき自分では前立腺が悪いと思っていたので、見つかって幸運だと感じたが、同席した妻は相当ショックを受けていた
- ホルモン療法中、妻から「女みたいに細かいことばかり言う」と言われたが、自分ではむしろ優しくなったように感じていた
- 働き続けたかったので尿漏れは嫌だった。切らずに済む小線源治療が近隣の大学病院に導入されるまで1年以上待って受けた
- 小線源療法は2時間もあれば済むと言われていたが、線源を入れる位置決めに時間がかかり6時間かかった。変な姿勢で節々が痛くなった
- 歩きなさいと言われたので、小線源治療を受けた翌日には病院を散歩した。周りの皆に「簡単な治療なんですね」と驚かれた