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診断時:60歳
インタビュー時:65歳(2008年8月)
九州地方在住で、会社員として勤務していた。2003年7月に健康診断を受け、PSA値の異常が発覚。密封小線源療法を希望したが、当時はまだ九州地方に施設がなかったため、導入されるまでホルモン療法を受けていた。ホルモン療法の副作用はつらかった。2005年4月に念願の小線源療法を受けた。入院期間も短くて済み、現在は近隣の総合病院で様子をみているが経過は良好。妻、娘と同居。一人暮らしをしている息子がいる。
語りの内容
えー、ホルモン剤のほうの、うーん、効果のほうがね、えー、出てくるんですよね。少しずつね。すぐには出てきませんけど、やっぱり、あのー、何ていうんでしょうね。かみさんいわくに「あんた、女みたいになってきよるよ」と。「細かいことばっかり、近ごろ言いよるよ」と。「えっ、そんなことないよ」っていうようなことでね、話しよったんですが、何となくね、やっぱり1年間もホルモン剤飲みますとね、自分では分からないんだけど、内面的に何か変わったみたいだったですね。かみさんいわく。うん。「何か知らんけど、いらいらしとる」とかね、「細かいことばっかり言っとる」とか言ってましたね。はい。
――ご自身では、そんなに自分が変わったっていう意識はなかったんですか。
ええ。あのー、肉体的にはね、あのー、分かりますよね。だけど、精神的にね、人間が少し変わったなっちゅうのは、全然、自分で分かりませんでしたけど、確かに考えたら、細かことにえらい……、ね、言われてみれば、確かにそうなんですね。こまんかことに気付き出したっていうんでしょうかね。うん。これは、ちょっと不思議やったですね。はい。言われてみれば、「ああ、そうかな」っていう気がしましたね。
――何かこう、やる気が失せるとか、闘争心が失せるとか、そういうことはあんまりなかったですか。
えー、そうですね。闘争心っていうのは、あのー、もう年が年ですから、元々そんなになかったわけですが、自分としては、大変優しくなったような気がしよったんですよね。こまんかことに気付くんじゃなくて、優しくなったっていうふうな気はあったんだけど、あのー、何となくそこら辺は、気分的な問題はありましたね。ええ。
インタビュー21
- PSA検査を知らなかった。発見が遅れて亡くなった人も知っているし、今では職場の同僚で年齢の高い人には受けるよう勧めている
- 生検の結果、6か所のうち1か所がん細胞が出てきて、「幸いにして1発あたった」という医師の説明に、自分でもそう思った
- 診断を聞いたとき自分では前立腺が悪いと思っていたので、見つかって幸運だと感じたが、同席した妻は相当ショックを受けていた
- ホルモン療法中、妻から「女みたいに細かいことばかり言う」と言われたが、自分ではむしろ優しくなったように感じていた
- 働き続けたかったので尿漏れは嫌だった。切らずに済む小線源治療が近隣の大学病院に導入されるまで1年以上待って受けた
- 小線源療法は2時間もあれば済むと言われていたが、線源を入れる位置決めに時間がかかり6時間かかった。変な姿勢で節々が痛くなった
- 歩きなさいと言われたので、小線源治療を受けた翌日には病院を散歩した。周りの皆に「簡単な治療なんですね」と驚かれた