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診断時:61歳
インタビュー時:61歳(2008年10月)
オーストラリア企業に勤務する会社員で、診断を受けたときは、移住した直後だった。現地での治療も考えたが、やはり日本で治療を受ける方が精神的な癒しは得られると考え、一時帰国を決意。現在は近畿地方にある自宅で、妻と2人で暮らしている。自分にとって信頼できる医師に出会い、2008年10月に内視鏡下前立腺全摘除術(リンパ節郭清)を受けた。インタビューは手術19日後に行われた。すでに自立した息子と娘がいる。
語りの内容
はい。尿管が取れましたのが、えー、多分5日目だったと思いますね。で、それから2日間ほどしますと…。まあ、正直言いますと、尿管が入ってますと、まあ、その、元気なときに考えるほどの違和感ではなしに、5日間も入ってますと、もう、そりゃあ不便はありますけど、結構、快適っていうか、もう普通なんですよね。
5日間入ってますとね、日常の生活っていうのがそれに慣れてしまうんですね。で、おしっこをしてるかどうかっていうのも、正直言って分からないです。で、聞きますと、膀胱から、こう、吸い出すような感じで、常にこうたまらないように、何かこの気圧の関係で、こう柔らかくこう吸い出してるようですね。そうしますと、そういうのに慣れてしまうわけです。
そうしますとね、それを抜きますと、それが5日めですね。5日目から7日までの間は、何かこう、尿をしたい、おしっこをしたいという感じがどういう感じであったかというのが、自分では何か分からなくなってるわけです。感覚が取り戻せないというんですかね。自然にずーっといってたので、もうそのままのほうが楽だというか、何か、もうその感覚が全然こう分からないと。それがもう正直なとこですね。
で、7日目ぐらいからですね。「ああ、これや」と。「こういう感じだな」というのが、やっぱり分かってきまして。で、夜はもちろん、何ですかね、3回ぐらい、行っておりましたが、ちゃんとたまって、で、したくなったら起きて、こう行くと。ただ、その間のもれがあったり、ちょっとベッドから立ち上がるときに、力を入れるともれがあったりといいますかね、そういう部分はあります。また昼間の間にですね、「ああ、トイレ行きたいな」という感覚を、あそこの括約筋のところが、感じるようになる感じになるまでに、自分自身がどういう感じかなというのを取り戻すのに時間を要したと。ですが、まあ結果論ですけど、その感覚が取り戻せますと、それ、まあそんなに、心配されることはないと思いますね。ええ。
インタビュー34
- 尿道が燃えるような違和感を覚え、オーストラリアに一人で生活しているので、念のため治療しておこうと思い、かかりつけ医を受診した
- 同じ生検標本なのに、オーストラリアでは5個ががん、日本では2個だけと言われ、病理診断の見解の違いに衝撃を受けた
- 腹腔鏡手術は新しい治療法なので、手術件数の多い医師にお世話になりたいと思い、名前だけ紹介してもらって半ば飛び込みで受診した
- 自分に一番合う治療法を、専門的に優しく教えてくれたことが、最終的にこの医師に全てを預けようと決断する要素になったと思う
- 病院を替えた理由をもとの病院の医師に聞かれ、手術日を連絡なしに変更された、治療選択をまる投げされたなど、患者目線に立ってもらえなかったことを挙げた
- 経過観察は先延ばしにすることだった。モヤモヤを引きずりながら生活するよりは、手術して取ってしまうのが最適と思った
- 術後の性機能障害について医師から説明を受けたが、がんを取り去ることを最優先したいと思った
- 腹腔鏡でおなかの中を見るため、ガスを入れてお腹を膨らませた。術後に少しずつガスが抜けていったようだ
- おなかの傷は5ヶ所で、小さい傷だったので、痛みは少なかった
- 膀胱造影をして尿道と膀胱を縫った部分に漏れがないかを確認してから、膀胱留置カテーテルを抜いた
- 術後5日目、尿を出す管が抜けた直後は尿意がわからなかったが、徐々に感覚を取り戻していった
- 転移の不安はあるが、数パーセントのことをくよくよ考えても仕方ない。積極的に生きて、満足し、安らぎを得ることが薬になると思う
- 免疫力を高めるため野菜中心の食事に変え、「冬眠期間」と考えて付き合いも控え、規則正しい生活習慣に変えたところ、PSA値が下がった