※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
診断時:71歳
インタビュー時:72歳(2008年6月)
首都圏在住。大腸がん、肺がん(再発あり)、心筋梗塞、脳梗塞なども経験している。毎年市のPSA検診を受けてきたが、2004年の検診で4を超えたため、都内の病院で生検を受けたが、生検時の手技と医師の対応に疑問を感じ、地元の病院に転院して2007年5月に前立腺全摘除術を受けた。術後1年余り経過して、時折尿漏れの不安があるが、ほとんどパッドはつけなくてもよい状態になっている。
語りの内容
それよりも、あのう、前立腺がんのおしっこがじわーっと出るほうが苦痛だね。あと、べちゃーっとした感じ。多分、それだから女の人っちゅうのはおりものが出たり、月経が出たりすると、それはかなり苦痛なことだろうなというのはね、いまだに、今ごろになって分かったの。それまでね、患者会でいろんな話、聞いたってね、それはもうやっぱり3人称で聞いてますからね。うん、何ともなかった。
自分から前立腺がんになってね、今はどういう感じかというと、かなりもうほとんどここにまあちょっと前に、パッド見せたけども、パッドも無縁でいいような気もするんですけども、やっぱりこの周りがね、ジメジメしとるということはね、非常にあまり気持ちいいものじゃないですね。気持ちが明るく生活せよって言ったって、ここは若干明るくできないよ。明るくしようと思えばね、顔はね、こうやって、にこーって、これは顔を、これは作って笑おうと思えばできるんですよ。こういう訓練をしているから。
インタビュー11
- PSA値が10を越していないし、大したことないと思ったので自分が世話役でやっている展覧会を終えてから入院しようと思った(テキストのみ)
- TVなどの報道で、放射線治療を受けると、もう手術は受けられないとあるのを見て、これはやっぱり手術をしないといけないなと思った(テキストのみ)
- 以前よりだいぶ浸透したけれど、医師の方からセカンド・オピニオンを積極的に勧めて欲しいと思う
- 膀胱留置カテーテルを抜いたあと、漏らさずにどのくらい尿を貯められるか調べるため、排尿のたびに尿量を測っていた。医師が一歩前進三歩後退だと励ましてくれた
- 尿漏れの状況に合わせて切ったおむつをペニスに巻いたり、おむつの種類や介護用パンツを工夫し、今は女性用パッドを使っている
- パッドを当てているとどうしてもズボンの前が膨らんでしまうが、見舞いにもらった丈が長めのシャツが役立った(テキストのみ)
- 手術後は肛門周囲の筋肉が麻痺したようになり、肛門に指を入れて括約筋を締める運動を習ったが、なかなか難しかった
- 明るい気持ちで生活せよと言われても笑顔は作れるけど、下の方がジメジメして気持ちいいものじゃない。女性の気持ちがわかった
- 雑誌でIMRTや重粒子線が紹介されていて関心を持ったが、費用が高いためあきらめた(テキストのみ)(※)このインタビューはIMRT・粒子線治療が保険診療外だった、2008年に行われました。
- 死への慣れを作るために自分で戒名を作り、火葬場の見学にも行った。地獄の蓋の材質まで研究していれば怖くないし、長生きできると思う(テキストのみ)
- 自分は死ぬわけがないと妻も自分も思っている。あと何ヶ月と言われて信じた人は死んでしまうものだ。医者と喧嘩してでも明るく生きた方が良い(テキストのみ)