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診断時:61歳
インタビュー時:61歳(2008年10月)

オーストラリア企業に勤務する会社員で、診断を受けたときは、移住した直後だった。現地での治療も考えたが、やはり日本で治療を受ける方が精神的な癒しは得られると考え、一時帰国を決意。現在は近畿地方にある自宅で、妻と2人で暮らしている。自分にとって信頼できる医師に出会い、2008年10月に内視鏡下前立腺全摘除術(リンパ節郭清)を受けた。インタビューは手術19日後に行われた。すでに自立した息子と娘がいる。

語りの内容

――ご自身としては、性機能の障害について、どんなふうにお考えで、治療の前にどんなふうにこう説明を受けて、ご自身としては今どういうふうに思われてるのかっていう、その辺、少し詳しくお聞かせいただきたいんですが。

その、手術の前にですね、性機能の障害につきましては、主治医の先生から、説明を受けましたし、で、まあ、その先生は、その先生の上の方に、「(私が)どういうふうな回答をされましたですか?」と。で、それは、リンパ節を切るときに、どういうふうな切り方をするかということにですね、関係するんだ、いうことで。まあ私自身、初めからもう明確なビジョンを持っとりましてですね、やっぱり、がん細胞を切り取ることがやっぱり先決だということで、「必要あれば全部、リンパ節を切っていただいて結構でございます」と。で、そのときに例えば、勃起障害とかですね、それが起こる可能性は、まあ、極めて高い、極めて高いって、それが起こるのが当たり前だと、先生からは説明受けましたし、「それに対する、対応につきましては、先生にお任せします」と。で、まあ、結果論としては、これは娘から聞きましたけども、リンパ節の片方のところにはですね、そういう性機能にかかわる、神経のほうは傷ついてますけども、片方のほうについてはですね、まだ残しましたというようなことを、説明されたようです。ただ、もう60(歳)、まあ私のような年齢になりますとね、そういう部分っていうのは、これから、そんな必要になることは、まあ、極めてゼロに近いですし。それゆえにやっぱり、まだがん細胞が残ってるんだと、あるいはまだ不透明な部分があるんだということは、やっぱり思いたくなかった。従いまして、リンパ節も切るという決断をした次第です。

私は: です。

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