※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
診断時:62歳
インタビュー時:69歳(2008年11月)
北海道在住で、妻と2人暮らし。会社代表として現役で働いている。1998年、がんセンターにPSA検査を自主的に受けにいき、値が高かったので泌尿器科を受診、生検を受けたががんは発見されず肥大と言われた。2000年から2回TUR-P(経尿道的前立腺切除術)を受けたが改善せず、転院を決意。近隣の大学病院で診断され2001年に全摘除術を受けた。術後、値が上昇し始め放射線療法を受け、今はホルモン療法で加療中。
語りの内容
まあ、苦労っちゅうことはなんいですけど。たまたま、小っちゃな会社ですけど、いい部下って言ったらおかしいですけど、いたもんだから、電話ではやりとりしましたけどね。そういう人がちゃんとやってくれたから、無事終わりまして。まあ、(交通事故で)首の(治療で入院した)ときもそうですよね。まあ、終わりました。首の場合は2ヶ月ですから。そのときもその人に任したから、まあ一応、「こうだこうだ」、「どうだ状況は?」ってこう聞いていましたけど。そういう人たちがいたんですよ。それとあと、先ほど言っているように、家族が毎日、見舞いに来てくれたのが、やっぱり、ある程度自分なりの、この励みになったというか。退屈でぼけっとしているよりね、やっぱり、下のほうに行って喋ったりして、わたしのことですから、おしっこが漏れるのに、点滴の「相棒君」をしょってね、カーディガン着てね、構内をブアーッと歩いて(笑)していたんですよ(笑)。そういうぐらいしてね、あれしないと、やっぱり頭おかしくなるから、うん。やっぱり、病室に入っていれば、病人になっちゃうからと思ってね、できるだけもう、今言ったように歩いて、そして、何でもないときには、外に行くというふうに自分でして。一緒に歩いたりしてね…してたんですけどね。それが一番の励みですね。
インタビュー36
- 手術が上手いだけでなく、質問にもちゃんと応えてくれる人を医者だと思っている。患者や家族がほっとできるコミュニケーションが必要だ
- 全摘手術か放射線療法か選ぶよう言われ、それぞれのリスクを考えた結果、体力もあったし放射線療法による障害のほうが心配だったので手術を選んだ
- 小線源療法の後に手術はできないが、全摘した後でも放射線療法はできるので、手術で取ったほうがいいと思った
- 入院中は、仕事の面では良い部下に支えられた。家族が毎日見舞いに来てくれたのは励みになった
- 医師から説明されていたので、自覚していたが、尿意があると直通で出てしまい、この大変な尿漏れは一体いつまで続くのかと思った。落ち着くまで4年かかった
- 性機能障害については年も年だし、神経が癒着していたし、温存のため放射線を選択したら後から手術はできないと聞き全摘にした
- カソデックスを使い始めて肌がきれいになり、胸が大きくなり、白髪が黒くなって、ニューハーフみたいだと思う
- 手術で浸潤が見つかった。PSA値が4近くまで上がって放射線治療を受けたが、また上がってきた。やっぱりどこかに隠れたがんがあるらしい