月別アーカイブ: 2025年3月

障害ナースの語り

特に学校側から配慮は得ていなかったが、毎朝体調について声をかけてもらうことは心強く、気持ちの面で支えになった(音声のみ)

私の知る限り(実習の)行き先ですとか日程とかで配慮をしていただいたっていうのはなかったと思います。ただ毎朝「今日は体調どう?」っていうふうに声を掛けていただいたりだとか、そういうとこで心配をしてくださるっていうのは、自分にとっても心強かったですし、気持ちの面ではすごく支えていただけたかなと思います。

ーー実習中寮に住んでおられたということだったんですが、全員が寮に住んで、そこから実習先に通うっていう生活でいらしたんですか。

寮に通うのは(障害の有無にかかわらず)選択ができまして。寮から通いたい人と、あるいは自宅から通いたい人とっていうふうに選べたんですけれども、私の自宅が実習先の病院から少し距離が離れていたので、実習の期間中やはり課題などもありますし、自分の体を休めたりだとか課題をしっかりこなすために、通学というか、実習先と自宅を往復するよりも、寮にとどまってちゃんと学習をするほうが、体が休まったりとか少しでもするんじゃないかなっていうふうに思って、私は寮を選択していました。

障害ナースの語り

ある領域の実習では比較的症状が軽い人や意思疎通のとりやすい人の担当にしてもらい、それは配慮だったように思う(テキストのみ)

授業に関して座学に関しては(配慮は)なかったと思っています。復学する時にも伝えてあったので、教員は分かってるはずですが、特別座学に対する配慮はなく、演習に関しても、他の学生と同じように演習のテストを受けたりしてたし。
実際に実習で単位が不認定になってから2回目の実習に行った時っていうのは配慮があったと思います。実際に、あった。何があったのかはよく分かってないんですけど。配慮はあったから2回目の実習をクリアしたんだろうっていうわけですね。
覚えにくいとかっていうことに対しては何をしてくれたわけではなく。特に何かをしてくれって言ったわけではなく。復学する時に病名のこと、診断名のことは伝えてあるっていっても、その症状で何かをしてくれっていうことを言っていたわけではないっていうわけですね。

実習先は変わらず、(同じ場所のほうがよいだろうという判断があって)同じところに行き、あるA領域の病棟では、比較的症状の重くない人を付けて(受け持ちにして)もらいました。
だから、それは配慮だったと思います。意思疎通の取りやすい方を担当にしてもらったと覚えていますね。

障害ナースの語り

実習でうまくいかず広汎性発達障害であることを伝えたら、自分だけ実習後に大学へ帰って報告を求められ、アンフェアだと思った

実習のときに、どうもコミュニケーションがうまくいかないっていうよりかは、その状況全体がうまくいかなくなってしまったことがありまして。
だから広汎性発達障害を伝えたほうが話が進むかなと思って、実習のときに相談した(あるいは相談しなかった)「領域」っていうのは、例えば小児看護とか急性期看護とか慢性期看護とか、幾つか(実習の)「領域」が分かれるんですけれども、母性看護とか、産科、婦人科、母性看護ですけれども。
幾つかのうち三つでは、(自分の障害を教員に)開示したんですね。そのうち一つでは、例えば実習に付き合ってくださる先生が、僕のほうから、すみません、ちょっと障害があって余計なご負担をおかけしてって言ったら、いや、大丈夫です、私たちはプロですから、任せてください、謝らないでくださいって言う。超かっこいいとかって思ったんですけども。あの、それは美しい話で。
逆に私が開示したら、翌日先生が休まれてしまったというケースが(2回)あって(本人補足:どうしたらよいか分からず戸惑って休まれたのだと思う)。これは結構ショッキング。もしもっと早く、まあ…そうですね。

あとネガティブな経験としては、開示したら結局実習中に、2日にいっぺんは、いったんその実習先の施設からキャンパスに戻って、キャンパスで夕方――先生方も大変だったと思うんですけども――その領域の実習に関わる先生が約10人ぐらいいらして。その10人の先生方の前で私が1人で、その日の報告というか、反省というか(することになった)。
ちょっと理由は分からないんですけれども、私が想像するのは、例えば、施設で何かインシデント、アクシデントがありはしないかとか、そういうことを、何て言うのかな、話し合うことになったのかなとは思うんですけれども。
ただ2日にいっぺん、みんなほかの学生がもう施設から直接自宅に帰って、その日のレポートとか記録とかを書くんですけれども、僕はキャンパスに戻って1時間、ロスタイムになるわけですよね。先生も残業代が出たのかどうかはよく分からないですけど。
今は障害者も法律でもって、そういう特別扱いっていうか、健常な学生にしないことを障害学生に要求したら法律違反になる可能性が高いんですけども、まだその法律が施行される前、もう法律として将来こういうのができますよっていうことは先生もご存じだったとは思うんですけれども、施行前だったので、まあ法律違反にはならないと。
ただ大学っていうところですから、そういうことをするのがフェアなのか、アンフェアな、アンフェアっていうか、ファウルなのかっていう判断を先生はなさらないのかなって。

障害ナースの語り

上司などに障害を伝えなかったのは、急に休むことはないと思ったのと変に配慮せずに接して欲しいと思ったからだった(音声のみ)

ーー週に2回や1回とか働き始めたときに、それぞれの職場の方とか上司になる方とか、雇い主とかに、ご自身のその病気のこととかは、お伝えされたんですか?

えーと、伝えてないです。

ーーご自身としては必要ないなっていう感覚だったんですか?

必要ないことはないけど…、まあ、そこまで急に休むとかはないだろうなっていうのと、あと言ったところで何か変に配慮されても困るんで、普通に一(いち)スタッフとして接してもらうほうがありがたかったです。

ーー特に同僚の方とかとも、それは話はされなかったんですか?

してないですね。うん。

ーー分かりました。実際働かれていて、言わなかったことで何か問題になったとか、そういうこともなく?

はい。ないです。うん。

ーーあ、分かりました。そういう働き方をされたのは何年間ぐらいですか。

2年ですね。はい。

障害ナースの語り

40年前の入学時、主治医から病気は黙っとけと言われ学校には言わなかった。自分も医療者が一番差別をしているように感じていた

看護学校に入学するときに、主治医の先生にも相談したんですけど、「糖尿病のこと言ったほうがいい?」って言ったら、「今は黙っとけ」って言われたんですよね。「面倒くさいから」って言われて、「あ、じゃあ黙っとくわ」ってなって。
「え、じゃあどうすん?」って聞いて、血液検査とかはなかったんですけど、「検尿とか出さんといけんけど、どうすん? 絶対無理やん」って言ったら、「妹のでももらっとけ」って、今違憲(違反)なんですよ、違憲(違反)なんですけど、当時ですよね。もう40年以上前の話。

で、そうですね、卒業式迎えて、資格取れたよってなったときに准看の先生に、「先生、実は私ね」って言うて。「はあ?」ってみんなびっくりしました。全然分らんかったって当時言われたけど、「なんで隠しとったん?」って言われたら、「いやいや、医療業界にも差別があるよね」って言ったんですよ。
私それをすごい感じてたので。理解してるはずの医療従事者が一番差別をしてるなっていうのをすごく感じてたところもあったので、だから言えなかった。学習するに当たって、そういう入ってくる言葉も、それだけでも傷つくし、それ以外のことを耳にしたくなかったから、言わなかったって。
「そうやったんやって。確かにそうやな」って。これからも、多分そういう人が増えてくると思うけど、そういうことがないようにしてほしいって。医療の窓口ね、これから看護師を目指そうっていう人が、病気があるから看護師になれないっていうことがないようにしてほしいって。だから私が、病気があったけど、誰にもばれずにやってこれたから、証明したと思う。
(在学中は)言ってないからあれだけど、でも大丈夫だからって。道を広げてほしいっていうふうなことは、先生に伝えました。

ーーそのとき、先生方は、どんな反応でいらしたんですか。

「どうやってインスリン打ってた?」って、「どうやって持ってた?」って言ってたから、「いやいや、それはポケットの中にインスリンと、当時バイアル瓶って瓶、瓶のちっちゃい瓶の中に、インスリンが入って注射器で吸いながらって。「あんた、アルコールは?」とか「消毒は?」とか、「そんなんせん。しない、全然」って言って。
「もうとにかく、もう打つだけ。トイレ打って、中で吸って、もうピッて打って、もうそれでピッて出ていくっていうことをやってたよ」つうと、「はあ?」って言うから。
「いやいや。何でもやってみないと分からんのよね」って。消毒がとか何々がって言うけど、私、毎日風呂入ってるしとか、服、毎日着替えてるしって、きれいじゃないっていう感覚しか当時(なかった)。
それに誰かにやるんじゃなくて自分でやるから、もう私、自分のことだから、自分で実験してたって。先生にも、自分で実験してみましたって、こうやってみたんよっていうのをよく言ってましたね、当時。
だから、「冒険、もうアドベンチャーやな」って先生にもよく言われましたけど。でも、やってみないと分からないし、人にやるわけじゃない、自分でやるわけだから、自分のことだから、自分で人体実験やってますっていう感じで、
そういうふうに先生には言ってましたし、先生も「悪かったね」って、「大変やったよね」って言ってくれたんですね。「私たちも、やっぱりこれから考えていかんといけんと思う」って言ってたんで、「ぜひよろしくお願いします」っていうのは、伝えてました。
その後、何人かやはり同じ1型だったり、ほかの病気があったりとかした子もいたよっていうのを、でも無事卒業したよっていうのを聞いたんで、もうよかったよかったと思って。すごく言ってよかった、言ってよかったなっていうのを思いました。

障害ナースの語り

聞こえなくても言い出しにくく聞こえるふりをしてしまうことがある。チャットが日常的に使えることは助かっている(音声のみ)

(聴覚障害に関しての配慮は)特に今のところはなくて、基本的にやっぱり今(コロナが流行して)、Teamsとかそういったチャットを使うことが多いので、できたら言葉だけじゃなくて、文章で送ってもらったら間違いがないかなっていうふうに言ったり。
聞こえてなくても、やっぱりちょっと何となく何回も言ってもらうのが申し訳なくて、ちょっと聞こえたふりをしちゃうこともないわけではないんですね。
そういう時、チャットで「さっきの話なんだけど、ごめん、ちょっと分かってなかったから、もっかい送ってもらっていいですか」って言ったら、皆さん、「あ、いいよー」みたいな感じで文字で送ってくださったりするんで、すごいそういう意味では助かってます。

結局コロナ禍でTeamsとかが積極的に使うようにっていう感じで変わった時期だったんですね。私にとってはすごいよくて、電話だと比較的、私聞こえるんですけど、1メートルぐらい距離が開いてしまうと、言葉としての認識度が低くなってしまうので。
チャットとか電話っていうのは自分にとって有益で、たまたまタイミングも合って、ほんとによかったなっていうふうには思ってます。
ただやっぱり上司とか昔からいらっしゃる人たちって、チャットとかではなくてわざわざ席に来て声を掛けてくれたりするときに、もそもそってしゃべられてしまうと、え? っていうことはやっぱり今もあって
どうしても、もう一回言ってっていうのは相手にも失礼だし、え? っていうのを繰り返すと相手に不快感を与えるしで、やっぱり何となく聞こえたふりをしてしまうことも多いんです。駄目だなって思いつつもやっぱり…やっちゃうときはよくあります。

障害ナースの語り

復帰に際しては主治医や配属先の上司が一緒に働くスタッフに自分のことを伝えてくれて、自然とできないことをカバーしてくれた

とても大事なのは、やはり私が復帰するに当たって、周りというか、掛け合ってくださった先生であったり、(配属先の)上司がスタッフにきちんとした申し送りをしてくれたっていうのを感じました。
(復帰後は、放射線の)技師と一緒に仕事をしたんですけども、手助けしてくれるんですよ。私ができない部分をすぐカバーしてくれるっていうか。やはり周りの方の協力なくしてはできなかったっていうのをすごく。
やはり(周囲は、私が)落胆したのも分かるし、今、はつらつとやってるなっていうのも分かってくれた状況だったので。
(車いすで患者の近くに行けないことなど)患者さんに手が届かなくて「あっ、ごめんね」ってすぐ行けなくても、技師さんたちがばっと走っていってくれるとか。
そういうチームワークはできてました。なので、きちんとした申し送りをしてくれたんだなっていうのを感じました。

ーーそれはご自身の上司の方から、周りのスタッフへの申し送りだったんですか。

そうですね。私の部署は放射線科っていう外来がまとめで、その中のCT室だったりRI室だったりあるんですよ。
婦長、今は師長ですけども、その頃は、婦長さんが1人、あとスタッフの看護師が3人ぐらい。そして私がRIに固定となって、技師さんと一緒に仕事をする(体制でした。)
そういう形のところでいたので、やはり婦長さんがいろんな意味で、ここはできるけど、ここはできないっていうのをきちんと言葉に表すんです。「少しは立てるから、ここはやれるよね」、「これをやってごらん」っていう感じで。
私は、「ええ? そういうのはやれないのに」って心で思っても、この師長さんのその言葉が立たせてくれるっていうか、自分の気持ちを。
そういう師長さんだったので、きちんと私と技師さんがやるべきところ、私がやらなきゃならないところ、やれないところはカバーっていうのを、きちんと言葉で私に指示してくださったので、そこはすごくやりやすかったです。

障害ナースの語り

多忙を極めこのままでは自分がうつ病になると思い部長職を降りた。てんかんの薬をもらいに行った先でうつ病と診断された

性格的にやるんならちゃんとやりたいんですよね。形だけっていうのは嫌いだから、やるんならちゃんとやる、やらないんならやらないでおくっていうほうがいいと思ってたんで、結局やることになると、その仕事自体は楽しかったし、ほんとに看護助手の人たちが病院機能評価はお祭りだったっていうふうに言って、ワークショップを、セミナーでやるぐらい楽しくみんなでやったんですよ。だからやったこと自体に何の悔いもないんだけれども夢中になって仕事してるから、やっぱりその頃、皮膚感覚がなくなってきて、それから病院機能評価の前の2~3カ月は寝れないし、そうですね、とにかくこのままで行くと、自分の体はよくないなあと思ったんで、病院機能評価が終わった後、全国セミナーを病院の中でやって、そのセミナーが終わった、土日が終わった(翌週の)月曜日に院長に「(看護)部長職、下ろしてください」って頼むんですね。このままで行くとうつ病になっちゃうと思ったので、「このまま自分がうつ病になっちゃうとみんなに迷惑かけるから、パートで働きますから、部長職だけ下ろしてください」って言ったんだけど、パートでは働かしてはもらえなかったので、一応1年間だけ顧問っていう形になって、部長職を下りたんです。

てんかんの発作もそのときもあったから、しょうがなくって、また薬を変えてもらわなくちゃなんなかったし、知り合いが精神科で働いてて、その病院でずーっとてんかんの薬をもらってたんでね問題がなければだいじょぶだったんですけど、やっぱり問題があるので、ここじゃなくてちゃんと別なところに、てんかんの専門医のところに行きなさいって言われて、当然ですけれどもね。それで、専門医のところに行きました。てんかんの薬を変えるために行ったんだけども、私はまずはうつ病ではないと思ってたんですね。抗てんかん薬を変えてもらうためにだけ行ったんですけれども、いろんなこと話してたら「もう立派なうつ病ですよ」って。「もう、すぐ休んだほうがいいですから」って言われて、でもそれ2月だったので、4月の新人が来て、新しい体制が取るまではちょっと休み休みにしようと思って、検査をしながら2カ月間ダラダラと暮らしたんですけどね。

てんかんの人の3割ぐらいはうつ病になるって言われてるんだけれども、それはいろんな理由があって、薬のこともあるかもしれないけど、やっぱりむきになって働くというか、むきになってこだわる人がいるからそうなっちゃうってのもあるんでしょうしね。私自体はそう思ってたから、早めに辞めようと思ったんですね。なんだけども、あんなに早めに辞めたのに、もううつ病だったのって感じで、でもちょっと休んだら、部長職は下りるけど、休んだらすぐまた働こうと思ってたんですね。でもそしたら、そこの病院(勤務していた病院)の副院長が、リワークをやってる、就労支援なんかをよくやってる先生だったんですね。そしたら、私にすごくいい言葉を言ってくれたんですよね。「仕事ですから。仕事ですから休んでください」って言われたんですね。仕事で休めって言われたんです。私この言い方はすごくいいなあって思って、それからも、うつ病で休む人、いろんな人たちが休むときにですね「仕事で休んでください」っていうふうに言いましたね。言ってるんです。今回もまたうちの病院の人で、休ませなくちゃいけない人がいたときにね、やっぱりちょろちょろ出てくるんだけど、やっぱりはっきりと言いましたよね。「私がうつ病のときに、医者に言われたときに『仕事で休みなさい』って言ったので、ほんとにほっとしたんだけど、あなたも言います」って。「仕事でお休みなさい。仕事だと思ってしっかり休むんですよ。しっかり仕事してくださいってことはしっかり休むんですよ」って。「いい加減な休み方はしないでくださいね」っていって言うんですけどね。でもそれすごくいいなあと思いましたね。

障害ナースの語り

2回目の治療終了後、上司と話し管理職を降りた。まだ自分はやれそうな思いもあったが、上司は自分のことを考えてくれたと思った

管理職は、結局その2回目の抗がん剤治療のときにかなりやせちゃって、無理だっていうことで、上司と話し合って、「日勤常勤」っていう形で勤務形態にさせていただきました。
その時点で管理職を外れただけでも精神的な負担がちょっと減ったのと、業務的な負担も減ったっていうこともありまして、すごく楽にはなりましたけれども、やはり経済的な面では、かなりちょっとダメージを受けましたけれども。
今自分にとって何が一番大事なのかっていうところにもう一度自分の気持ちをシフトさせたら、やっぱり生きてくことが大事なんだし、お金を稼ぐっていうのも大事かもしれないけれども、やはり自分が今の現状働けるのはこのくらいだし。
こうであるっていうことと、職場のほうでも、これだけ頑張ってるんだから、こういうふうな形態はどうなのっていうふうに打診されたっていうことは、職場は今は私にはこのくらいしか求めてないのかなっていうのが分かって。
それだったらそれでいいかなっていうふうに、妥協するまではかなり時間かかりましたけれども、それはそれでいいのかなっていうふうに今思って働いてます。

引き継ぎもありましたので、後任の管理職の人に、そういったところではアドバイスしたりとか。
相談されたときにはこういうふうにするとか、分からないことはこうですよっていう話をしながら引き継いでもらって、その後完全に降りたっていう形になりました。

引き継ぎのときは、自分の中でまだやれそうなのになっていうのはありました。でも自分がやれそうっていうのと上司の評価っていうのは、やはり差が出てしまうのはもうしょうがないし。
今の状況ではやはり管理を任せられないっていう上司の判断も正しかったのか、正しくなかったのかって言われたら、それはもうどっちがどっちなのかは私にも今分からないんですけれども。
ただ上司が体のことを気遣って今は休む時だからって言ってくださったのが、やはりそこで後押しされたのもあって。いずれは戻してあげるからっていうそれもやっぱり自分の希望の中であったので、戻れるんだったら、取りあえず今具合が悪いときは
ほかの人に任せてそのうちに自分がちゃんと働けるようになったら戻してくれるのかなっていうふうに思ってたので、降ろされたときはものすごく、恨むだとかいうんじゃなくて、やはり私のことを考えて言ってくれてるんだなっていう思いのほうがやはりありましたし
後任のその管理職の人たちにも、やり方もあって、いろいろと元からいる人は、ああにしたんじゃ駄目なんじゃないか、こうは駄目なんじゃないかとか、私にいろいろと話を求めてきましたけれども
やはり今管理してるのは彼女なんだから、やはり彼女に文句があるんなら彼女に文句を言ったほうがいいんじゃないかとか、言われたことはアドバイスしたことはあります。

障害ナースの語り

前の職場を辞めて次の仕事を探す際、医師から夜勤が負担だろうと言われていたので、オンコールはあったが夜勤がない仕事にした

(前の職場を辞めて引っ越しをしたタイミングで)新しく立ち上げますっていうような有料老人ホームがあって、そこを看護協会の方にあっせん紹介していただいて、そこで職が見つかって2年ちょっとぐらい働いたかと思います。
そこではこうこうこうで自分はADHDがあってとか、精神的なものがあって通院があってとかっていうようなことだとか。あとは夜勤がない日勤とオンコールっていう形だっていうことですとか。
自分は夜勤がたぶん負担だろうっていうようなのは先生から言われてたんで、それに合う条件の仕事を見つけなきゃいけないっていうような難しさだったりは感じましたけども。
最初は幹部っていうか、施設長さんだけ(自分の障害を)知っているような形で、働き始めてたんですけども。

例えば日勤の後にちょっと体調悪い人が出てきて7時8時まで対応して、その後帰って、やっぱり体調が悪くなりました。で、1時ぐらいにまた電話がかかってきて、こうしといてっていう場合もあるし、じゃあ行くわっていう感じで行くっていうこともありますし。
3~4時に例えば救急外来連れてって入院するまで病院で待機して、入院終わって自分の車でもうそのまま職場に行くとか、そういう。(次の勤務までに)4、5時間ぐらいしかないから、そのままうとうとしながら、次の日勤迎えるとかそういうこともあります。
あとは引っ越す前のときには、1年どんだけかぐらいかずっとオンコールで、木曜日だけパートさんがやってくれるっていう状態があって。温泉旅行、この時期行くよっていうときに、温泉の旅行先に電話がかかってきて、この人下剤飲ましていいですかとか。
いいよ、何滴ぐらいとか、この人マイナス何日ぐらいお通じが出てないから、こんだけ飲ましていいよとか、(医師の指示の範囲内で)そういうようなことをしたこともあります。

こういう症状、状況があって、なんか判断しなきゃいけないときは、介護職員さんたちは判断しちゃいけないっていうふうに教わってはいるんですね、たぶん。何かあったら看護師や先生に相談しなさい、報告しなさいって。
それで報告をして指示を仰ぎなさいっていうふうに言われて。軽微なものはやっていいし、複雑なものはやっちゃいけないっていうふうな、医療的なことも。ばんそうこう貼るとかそういう具合だったらいいけれど、
じゅくじゅくして、軟こう塗らなきゃいけないのかそうじゃないのか、傷を見なきゃ分からないっていうときは、実際に行って判断して、自分で処置しなきゃいけない。
前あったのは、LINEでテレビ電話で傷を見してもらって、これ塗っといてみたいなそういうようなこともありました。