月別アーカイブ: 2025年3月

障害ナースの語り

入職時は聞こえていたので、途中で伝えても周囲から理解してもらいにくかった。また苦手な人に伝える難しさも感じた(音声のみ)

上司には一応、片耳が聞こえにくいのでっていう話はちらっとはしたんですけど、入職したときは聞こえてなかったわけじゃないので、周りの理解度がやっぱり低いんですね。
どうしても今まで聞こえてたのに突然なんで? みたいなっていうのはすごい大きくて、聞こえてないわけじゃないから音としては認識している。
なんだけど、言ってる言葉が分からない。男性の低い声や、ぼそぼそしゃべられる方、あと女性のちょっと高めの声とか、
普通に話すときの声でボリュームでしゃべってくれたら聞こえるのに、なんでわざわざそんなちっちゃい声でしゃべるの? って思うときとかはすごいあって。
何て言うんだろ、「聞こえないの?」って言われた人には「ちょっと耳悪いんで」っていうことは言っても、
やっぱり何となくそう、ちょっとその人が苦手だったりするから、なんか言う人もやっぱり苦手だったりする、
私も苦手だったりするから、うまくニュアンス的に伝わりにくいって言うんですかね。何て言うんだろ。
お互い触れないでおこうみたいなところとか、触れてほしくないっていうのが若干あるのかなっていう感じはします。

障害ナースの語り

友人には「腎臓が悪いので人工透析をしている」と伝えていた。看護の短大では周囲も程度知識があり、伝えるのがスムーズだった

ーー学校には一番最初に面接のときに言われたっていうことだったんですが、友達には、どういう感じで話をされたんですか。

友達には、腎臓が悪いので人工透析をしてますっていうのは普通に言うんですけども。
ただ高校生のときにそれ言ったんですね。で、高校生のときは、「透析って何やねん」っていうところから始まりますので、全く理解もされないっていう状況だったので、高校んときは正直言って、サポートしてもらうというか、こういうことは期待できなかったのかなと思います。ただその中でも自分ができること、できないことって正直ありましたので、そこは伝えないといけないなって思っていましたので。
(看護の)短大のほうに行ったときにはですね、人工透析をしてますってもう言った瞬間にですね、もうみんなある程度知識はありましたので、透析こういうもんなんや、「週、何回行ってんの、いつ行ってんの?」っていうのはすぐ聞かれましたので、そこはもうスムーズに言う、言えることができたのかなとは思いますね。だから高校のときに比べると短大のほうが、病気のことを伝えやすかったっていうのは逆にあったと思います。はい。

障害ナースの語り

大学は医療系だったので周囲は病気の知識も持っており、病気のことは看護師になろうと思った動機と一緒に自然に話せていた

大学は、もう医療系の大学なんで病気っていうことに対してのハードルって低いのかなっていうのがあったので、こういう病気を持ってる、で、こうこう、こういうのなんだって言っても実際に元気であれば、そこは普通に接してくれるんだろうっていうのが高校のときからの経験であったので。
なおかつ医療職だったら、一般の方よりも知識はこれから付けていくだろうしっていうのもあって…、何か特別に自分は病気だっていうのを押し出していくつもりもなかったですし。

ーー逆に、高校のときは医療者ではないと思うんですけど。

はい。

ーーそのときには何か説明をしたことによる反応とか、自分の説明の仕方とか、何か違ったなっていうのがありますか?

違ったな。自分がする説明がっていうこと?
でも教科書的なことを言うんではなくて自分の経験を伝えたりとかっていうのは、大学生になってからのほうが考えていたというか。やっぱり高校のときはパンフレットとか、そういうのでやって、まだあんまりよく分かってないときやったので、(診断を受けてから)1カ月、2カ月ぐらいしかたってなかったんで。
大学になるとこれを言ったらこういう反応になるだろうなとかっていうのもあるのと、初対面の人でも長く付き合う人に関しては先に言っといたほうが絶対に楽だろうなっていうのがあったんで、みんな大学んときはみんな知ってました。

ーーもう、ご自身から自然に説明をする感じ。

そうです。はい。大学行ったら何で看護師になろうと思ったっていう話をすると思うので、そこで言うのが一番、普通にというか自然に話せるのかなと。

障害ナースの語り

病気が分かった後、教授である主治医から自分の患者を病気の看護職には預けられないと言われてしまった(テキストのみ)

診断が付いて、ある程度治療をやったら落ち着いたので、大体1~2カ月ぐらいで退院して、病棟に復帰したんですけど、病棟のほうも理解があったので、夜勤の回数を少し減らしてもらったりとか、その頃リーダーをやってたんですけど、リーダーの回数を少し減らしてもらったりっていう形で、免除してもらって、病棟的には師長さんもすごい理解のある病棟でやりやすかった感じですね
病棟の看護師自体はすごくよかったんですけど、ちょっと病院の主治医の先生たちが、貧血が起きやすく、難病を持ってると、その先生いわくすぐ状態が悪くなりやすいとか、ベーチェット病だとおなかがすぐ痛くなって下痢起こしちゃってっていって、トイレにこもってしまったりとかすごい多いんですね。そういうことになってしまったときに、自分の患者さんを置き去りにしてトイレにこもられたりしたりとか、貧血でふらっとなってしまったりしたら、自分の患者さんをあなたに預けんのは怖いですっていうのを直接言われたり、自分の上司の師長さんにそれをおっしゃって、この人の病棟に自分の患者さんを預けられないから、だから辞めさしてほしいと。他の病棟に異動するか、そういうことを検討してほしいって言われて、いろいろ話し合ったんですけど、看護部自体はそのまま働いてもいいんじゃないかっておっしゃっていただいたんですけど、やっぱり医師のほうの思いが強くて、診ていただいてた先生が教授だったってこともあったせいか、そこには勝てずに、病院を辞めることになってしまったんですね。

障害ナースの語り

入職前の実技研修でパニックになり、その時に障害のことを伝えたら予告解雇を言い渡されて違う職場を探した(テキストのみ)

私、(就職の)面接の時に高次脳機能障害のこと言わないんですね。言ったら落とされるだろうっていうのは主治医からも言われていたし。
私自身も、言ったら落ちるだろうと思っていたので言わなかったんです。
だけど、看護師をできる気がしないところもあり。(それでも採用されたので、)入職前研修を受けてる時に、採血とか点滴管理、留置針などの研修もあったりしたんですが、そこで私、(針を使った侵襲行為で)パニックになって。
その段階で高次脳機能障害のことを伝えたら、病院側にですね。解雇というか、予告解雇と言い渡されまして。ちょっと対応ができなくなってしまったんで、いろいろ相談を病院に相談をしたりとかしたら。
結局、国家試験は受かったんだけど、3月の年度末時点で予告解雇を受けたから、無職、就職先が決まっていない状態で、3月の末にナースセンターに行って、
高次脳機能障害があっても働けるところがないかということを相談したら、どこどこにあなたに合うかもしれない病院があるっていうことを教えてもらって。そこの病院に(入職した)。で、1年間働いて3月末に退職。4月から大学院っていう感じ。

障害ナースの語り

発達障害のことを伝えて理解を得て訪問看護ステーションに就職した後に、うつ傾向があると伝えたら聞いていないと言われた

(転職について)看護協会のあっせんで相談することになりまして。訪問看護で、障害も理解して、分かりました引き受けますみたいな感じで、うちの近くの訪問看護ステーションに移るということになりました。
移って1日4件から6件ぐらい回るっていうようなことで、ちょっと途中でちょっとうとうとと眠たくなることもあったりして、ご飯食べて眠たくなるっていう程度なんですけども、そういうときはちゃんと訪問と訪問の間にしっかり休むだとか。
あとはちょっと体調が悪いときもあったりして、お腹が痛いとかっていうときはちょっと休ましてもらうだとか、そういう配慮をしてくれてたと思ったら、ちょっと気分の波みたいのが出てきてうつうつとした感じになってしまって。
ちょっと怖い患者さんがいて。ちょっと、何やってんだ、何ぐずぐずやってんだ、ちゃんとぱぱっとやれよみたいな、そういうような言葉があったり。他の人でここはこう置いて、ここの場所にはこれは置かないで、ここの場所にはこう、これをきちんとこう置いてっていうような、すごく繊細な方がいらっしゃって。
びくびくしながら働いてたら、ちょっとそれこそまたお腹が痛くなって気持ちが悪くなって、これは出社できないなっていうような形になって。ちょっとお休みをいただきたいんですけどって言ったら、うつ傾向があるっていうのはちょっと聞いてなくてっていうような話をされまして。ああ、こりゃあかんわと思って、そこの場所は辞めることにして。

障害ナースの語り

入院中、自分を「くん」で呼んでくれた1年目の看護師と話している時は、患者でなく自分本人を見てもらっている感覚だった

僕がクローン病を発症したのが16歳のときで高校2年生だったんですけど、元々ずっと野球やってて、野球をしたくて、その高校に入って。
中学も勉強する中学校だったんで勉強して、勉強と野球と両方できる高校を選んで入ったつもりで1年間うまいこと過ごしてたんですけど。
ちょうど2年生になったあたりから体調を崩して、高校2年生の5月のときにクローン病になって、そこから2カ月ぐらいずっと入院生活、2カ月近くしてて。
元々は保育士になりたかったりとか、いろいろやりたかったことは多くて、パイロットであったりとか、結構影響されやすいのでドラマの影響とかでいろいろやりたいことあったんですけど。
病気になったということで、もうできないなっていうので、自分の将来のこととかを考えられなかったっていうのが入院生活であったんですけど。

自分も入院して1週間ぐらい落ち込んでたんですけど、そのときに看護師さんが、全く病気とは、関係のない話をよくしてくれていたっていう印象がすごいあって。
そのときだけ、患者としての自分というのじゃなくて、自分本人を見てもらっているような感覚にすごいなったのがあったんですけど。
そのときの僕の勝手なイメージですけど、仕事ができますみたいなバリバリの看護師ですっていう人ではなかった。どちらかというと、おっちょこちょいな印象の人だったんですけど。
でもその人だけ1人全然他の人と違ったのが、他の看護師さんってみんな「何々さん」って呼んでくるんですよ、「さん」付けで。
ただ僕まだ16歳で、その「さん」なんて言われ慣れてないときに、その人だけ「何々君」っていうふうに呼んで話し掛けてくれてたので。
この人は、病気じゃなくて自分を見てくれるんだろうなっていうのはすごいあって、その人には話せるようにはなってましたね。

多分1年目の人だったんで病気に関してはそんな知識もないし、野球が好きだっていう話をしたら、「実は私もソフトボールしてたよ」とかそういう話しかしてなかったので。
逆に入院して病気ではあるけど、そうじゃない自分を出せる瞬間だったのかなっていうのはあるので、今もその若い患者さんとかにはみんな「さん」じゃなくて「何々君」とかっていうふうにはしようかなって思ってますね。

障害ナースの語り

障害名や薬、症状について伝えただけで過小評価された経験もあり、周囲に自分から病気のことは伝えづらかった

全部が、やっぱり精神科(で働く)人でもそうですけど、病気持ってるっていうだけで、やっぱり、偏見があるもんなんだよっていうふうな話があって。その頃インターネットや動画、YouTubeでもあったかちょっとあれなんですけど。
やっぱり言う言わないっていうのは、障害の名前、薬飲んでる、こういう症状をって言うとやっぱり過小評価されたこともあったり。大学病院のときにですね、(障害のことを伝えた後に)看護助手の仕事しなさいっていう感じで過小評価されたりっていうこともあったり。
ちょっとそういうのは、自分にとっては怖いなというか、周りの人の目っていうか。そんな差別してますっていうことではないとは思うんですが、何となくの、何だろうな…、「あの人そうだもんね」みたいな、何て言うんですかね。
別に(自分がいることで)その人には危害を及ぶことはないかもしれないけど、やっぱりへまをしやすいから、私には何か影響があるかもしれないみたいな存在に思われてるのかもしれないなと、その時は振り返って思うこともあります。ちょっとうまく言えないですね。

師長さんの配慮で、あれもつらかったんですけど、看護助手さんのお手伝いっていうことで、もう患者さんとは触れないでくださいって、関わらないでくださいって言われて。
お茶をなんか配る係だとか、食器を下げる係だとかごみを集める係だとか、なんかそういう、本当に外回り、誰かを検査に連れていく、検査から戻る…、何だったかな、とりあえず助手さんのお手伝いをしてくれっていうふうに言われて。
同僚からも、本当はたぶん助手さんも困っていると思うけど、病気があるんだからそれを治すために頑張って働いてよみたいな感じで同僚からも言われたり。本当は同僚は、どうやって声掛けていいか分からなくてつらいんだよ、同僚だってとかっていうようなことも言われたような気がします。

障害ナースの語り

絵本に出ていた動物の看護師や、母親が看護師志望だった思いに影響されて、自分も幼少期ごろから看護師を目指した(音声のみ)

(看護師になる)きっかけっていうも、具体的なものはなかったんですけれども、幼少期に読んでいた本の中に出てくる登場人物が、例えば動物の看護師さんであったりだとかあともともと母が看護師を目指していたんですけれども、なれなかったっていうような経緯とかも聞いておりましたので、割と、私にとって看護職っていうのが身近な存在というか、そういったものがありました。なので自然と気になるようになっていたっていうのはあると思います。
あとは小学生ぐらいから、今度母が高齢者の施設で働いていたっていうこともあって、傾聴ボランティアなどで老人ホームなどに行ったりとかっていうのもありまして。一時期は福祉のほうの道も考えたんですけれども、それよりもなぜか、看護師のほうがやはり自分は惹かれるなっていうのがあって、そちらの道ではなくて、看護職のほうに行こうっていうふうに決めていました。

障害ナースの語り

もともと家族に医療者が多かったが、祖母が亡くなった時にかかわってくれていた看護師に影響を受け、自分も目指すようになった

元々、家族に医療従事者が多くて小さい頃から人体図鑑だったりに触れる機会が、多かったのが一つあります。人体図鑑とかを見ながら分かんないことだったりっていうのを親に何で、何でって聞いたときに、それをしっかり一つ一つ答えてくれてたっていうので、人体面白れえなって思いました。俺、医者になるってなって、ばあちゃんに俺、九大の医者、九大の医者になるからっていう話をしたりしてたんですね。ただ中高で引きこもりになったり、いろいろとちょっとよく分かんない高校に行っちゃったりとかしちゃったせいで、「おまえは医者無理だ」っていうふうに言われて。僕自身も医者は無理だなと思ってたんで、医者の次に医療系で一番いろんなことができる仕事って何だってなったときに看護師が強いなって思って、看護師になりたいなっていうのがありました。
そのタイミングで、おばあちゃんが亡くなっちゃって、亡くなるときの付いてた看護師さんが、新人の看護師さんで初めての患者さんが僕のおばあちゃんだったみたいだったんですけど、すごい泣いてくれてたのかな、確か。
それ見てて、看護師さんはこういう仕事なんだと思っていいなと思って。で、看護を目指そうと思って実家から出てきたっていう感じですね。