あれもできない、これもできない…と言っていたくなかったんだと思います。同僚や先輩にどう思われてもいいとは思うんですけど。もちろん、できないことはあるって言った上で入職した身ではあるんですけど、できることは多くありたいと思っていたんでしょうね。私は。だからあれもできない、これもできないとは言わなかったんだと思います。
そんなに毎日あるわけじゃないじゃないですか。できないこととか、苦手なことっていうのが。だから少々なら、我慢すればいいだろうということはあるんですけど、それは私が決めることなので。我慢するっていうのは。
他の人から「このぐらい我慢しろよ」って言われるのはもう、めちゃくちゃ腹立つしいいかげんにしろよとは思いますよね。あなたにとってはこのぐらいかもしれないけれども、私にとってはもう命に関わる問題なんだぞぐらいの気持ちではいます。
だから少々のことなら、何回も続かないことなら(自分から)我慢しようっていうわけなんですね。
月別アーカイブ: 2025年3月
私自身のスタンスとして、疾患があっても私であることには変わりがないっていうふうに思っているので、(疾患を伝えたことで)例えば何か対応されたことで、
自分だけ特別な対応を取られてしまうと、本当はやりたいと思っているのに、それが制限されてしまったりだとか、なんかほかの子とはあなたは違うのよっていうな気持ちになるなっていうふうに思っていて。
だから自分の中でもちょっとこうわがままなのかなって思うところもあるんですけど、心配してもらえるとありがたいって思う反面、それをされ過ぎてしまうと、私はほかの人とそんなに違うのみたいな気持ちになるかなって思って。
じゃあ、私は何なんだろうみたいな気持ちになるなっていうのは、これまでの経験だったり、本当にちょっとしたところで思ったりとかすることがあったので。
私は私なんだっていうのを、私はこういった疾患を持ってるけど私であることには変わりがないっていうふうに周りにも思ってもらえたりとか、
その中に生活できるほうが、自分にとっては幸せかなっていうふうに思ったんで、そう考えました。
もちろん入るときには、(入試の)面接のときには人工透析をしていますっていうことは、お伝えをしました。大学のほうからは、まずは可能なのかどうなのかって聞かれるんですね。もちろん選ぶときには、その授業のカリキュラムを見させていただく中で、この時間にこうあって、ここから人工透析をする時間を確保する病院は近くにあるのかな、まず探していくんですね。
それでちょうど自分が受けようとする大学のところにはありましたので、それで可能ですっていうことはお伝えしていきました。
学校の先生からは、両立がまず可能なのかどうなのかって聞かれるので、それは可能ですっていうことはお伝えをしていきながらしていくんですが、ただやっぱり学校の授業って時間どおり終わらないことがありますので。
できるだけ終わるように自分の中で調整をしながら、そこは友達の中にもうカミングアウトしていましたので、「今日透析の日だよね、はよ帰りや」っていうふうに、言っていただいたっていうのが大きかったと思います。はい。
ーー(2年生から実習が始まって)そういう実習とかになると、またちょっと座学とは違ってくるかなと思うんですが、そのあたりでこう調整とか、大学にこうやって伝えていたとか、ご自身が不安だったこととか、何かありますか。
そうですね、まずはですね、実習先の病院に透析をしている、どうなのかっていうのを伝えるかどうかっていうところを、学校の先生には聞かれました。
そのときには、もう私は伝えなくていいですっていうふうにお伝えしたんですね。伝えることで、他の友達とかと、また違うような何か対応をされるのも嫌だなっていうふうに思っていましたので、そこは自分で調整しますっていうふうにお伝えしました。
就職するときは、もともと履歴書の時点で、疾患だったりとか既往歴だったりとか書く欄がありましたので、そこに正直に病名だったりとか今の状態みたいなのを記入しました。
っていうのは、就職する場所が医療の現場っていうこともありましたし、自分自身、医療の現場で働く上で、就職先にごまかしたりとかうそをつくのが嫌だなってなんとなく思った節がありまして。
だったら別に対応を何か求めてるわけではないけれど、素直に書いたほうがかえって自分には楽というか、過ごしやすいんじゃないかなっていうふうに思ったので、別に隠そうとはせずに素直に書きました。
(就職の面接で)やはりその疾患については、質問をされまして。今の自分の症状でしたりとか、治療状況でしたりとか、そういったところはまず質問はされました。何度もお話させていただいてるように、疾患があっても私は私っていう考えが自分の中にはあったので。
その話自体は、こういう状態があっていうマイナスで締めるんではなくて、こういうのがあって持ち続けてるけど、今まで私はこういうふうに生活をしていきましたっていうような、これまでの学生生活でしたりとか、そういったところでの自分が誇れる、疾患を持っててもプラスの出来事っていうのはお伝えはしました。
(履歴書に書いたことについては、)全然不安がなかったわけではないです。っていうのも、疾患自体があまり周知されていないっていうこともありましたので。伝えたときの相手の反応でしたりとか、どういうふうに取られるんだろうっていうのが一番不安でした。
その疾患を伝えたことで、例えばその就職に対してマイナスになるんではないかっていう不安よりは、ま、それもあったんですけど、まずその提示したことに対してどういうふうに思われるかっていうのが不安でした。
健康診断で分かっちゃうってことですね、第一に。検査データが普通の人と違うので、どんなに今も落ち着いてても貧血は貧血で出てくるので。あと内部疾患なので炎症データは普通の人より高いですし、受診してくださいになると。大体その結果は…ってなるので、就職した後に分かってっていうよりかは、もう先に言うしかないっていうことですね。
伝えないでいいんならば伝えたくないです、正直な話。てんびんにかけたときに、・・・よかったところ・・・。悪かったところのほうが多いですね、正直ね。ほんとに今でも伝えたくないと思います。
ただ伝えざるを得ない状況というか、ばれないだろうと思って行動しても多分ばれると思うし、社会人として言わなきゃいけないことなのかなーとも思うし、難しいですね、
(嫌な思いをした経験というと、サボっていると思われることと、)あともう一個あったのは精神的なものじゃないの? っていうのが多いんですね、多分、前NHKとかでもやってましたよね。
難病の特集でやってて、おんなじように看護師さんで働いてる人とかいうので、特集でやってたんですけど、その人も言ってたんですけど、精神的なものじゃないの? みたい(に言われてしまう)。確かにおなか痛いとか下痢するって言ったら、普通の人だったら精神的なものじゃない? って思われちゃうかもしれないですよね。
集合形式(の集まり)はやっぱり聞こえてないことで、みんなに迷惑を掛けちゃうんじゃないかなとかっていう思いはすごいあって、今の会社は比較的皆さん理解してくれてたりとかするんで、まだいいんですけど。
前職はやっぱり聞こえてて当然っていうか、オープンにしてなかった分、集合形式の勉強会とかそういうので、発表しなきゃいけないっていうことはストレスでしかなかったっていうのはあります。
だからやっぱりやっぱりオープンにするっていうのは自分自身だとは思うんですけど、障害があるないとかに関わらず、やっぱり自分自身の強さがないとオープンにできないっていうのがあるのかなというふうに感じてます。
できたら、言いたくない(笑)。言わないと伝わらないんだけど、やっぱり自分のマイナスな一面を出すっていうことには、すごく勇気がいると思います。
私はもともと事故に遭う前っていうのは、協調性もあったし、人と関わることが好きだったので。好きというか、好きなほうだったのかな。好きだったので、人と関わる仕事がしたい。一日中パソコンをかたかたやるとか、何か機械をずっと触るっていうのではなく、人と関わる仕事がしたいなっていうときに、医療系は食いっぱぐれない。看護師っていう進路があったので、私は…看護師になろうっていうわけで、看護科に入学をした…っていうことはあったのかな。だから特別、看護師になりたいっていうわけではなくって、ただ人と関わることが好きだったから。あと食いっぱぐれないという、情報も教えてもらったから、そこにただ都合良く飛び込んできたのが看護師だっただけであって。特別、看護にこだわりがあるわけではなかった…っていうわけなんですね。
確かに看護師を目指したのはテレビで昔「ER」っていうのをやってたんですけど、あれを見て、かっこよくて目指したのは実際のところあります。でも実習で初めて、終末期の患者さんを受け持ったことがあって、私自身はそういう亡くなる患者さんって自分の親族にもいなかったので初めての体験で、すごい衝撃だったんです。でもそのときの病棟の教育担当の人と師長さんがすごくいい関わりをしてくださって、私はもうそれで、このターミナルの緩和ケアに魅力をすごく感じて、実は就職するときの第一希望は内科だったんです、ターミナルケアで。(就職時は)4個しか希望を書けなくて、病棟名を書かなきゃいけなかったみたいなんですけど、私(それが)分かんなくて、内科、外科、その他って書いてしまいました。
それで、第1希望が内科、第2希望が外科って書いたから、両方やりたいのね、(それなら)集中治療室ってなったみたいで。(そのことは)就職してから病棟の師長さんに教えてもらったんですけど、他の同期は普通に病棟名書いてたみたいなんですけど、私の場合は内科、外科、その他って書いたので、集中治療室に配属されたそうです。
元々母が看護師をしていてすごく大変そうだったので自分は看護師じゃなくて、会社員になって、アフター5は習い事みたいな、そういう生活にあこがれてたので、普通の会社員になったんですけど。自分が入院したのをきっかけにやっぱり看護師さんはいいなと思いまして、それで受験することにしました。
ーー差し支えない範囲で構わないんですが、どんな入院でいらしたんですか。
卵巣のう腫の手術をしたんですね。どれぐらいかな、2~3週間入院したんです。
そのときにいろいろ考えて時間ができてしまったので。人の役に立つ仕事のほうが、やりがいがあるんじゃないかと思って選びました。
ーーそこから退院されて受験をしていくっていうかたちになったっていうことですかね。
そうです。
ーー社会人何年目に看護師になられたんですか。
社会人5年目ぐらいだったかと思います。
きっかけは、母親も看護師をしていて、小さい頃からすごい身近な職業ではあって。ただ大変な部分っていうのもやっぱり分かってはいたので、迷ってたんですけど。高校2年生の時に祖父ががんで亡くなったんですけど、その時自宅のほうで看取りをしたんですけど、やっぱり看護師をしてる母の存在だったりとか、すごい大変な中でも「かっこいい仕事だな」みたいに感じて。こういう生き方みたいなことが、自分もちょっとでもできたらいいなっていう憧れみたいなのがあって。本当に多分、その時は強くなりたいみたいな感じでもなく、自分が将来何しようかなっていう中の選択肢として選んではいたんですけど、そのあと学生生活4年間、大学の生活積み重ねる中で、何かすごい、いい仕事だなっていうのを感じられて。本当にその中で、看護師、頑張りたいっていうふうに思えるようになった感じでした。